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むかし、かべのなかより、もとめいでたりけむふみの名をば、いまの世の人の子は、夢ばかりも、身のうへの事とはしらざりけりな。みづくきのをかの葛原かへす%\もかきおくあとたしかなれども、かひなきものは、おやのいさめなりけり。また賢王の人をすて給はぬまつりごとにももれ、忠臣の世を思ふなさけにもすてらるるものは、かずならぬ身ひとつなりけりと思ひしりなば又さてしもあらで、なほこのうれへこそやるかたなくかなしけれ。
さらに思ひつゞくれば、やまとうたのみちは、たゞまことすくなく、あだなるすさみばかりとおもふ人もやあらむ。日のもとの國に、天の岩戸ひらけし時より、よもの神たちのかぐらの言葉をはじめて、世ををさめ物をやはらぐる中だちとなりにけりとぞ此の道のひじりたちはしるしおかれたりける。さても又、集をえらぶ人は、ためしおほかれども、二たび勅をうけて、よゝにきこえあげたる家は、たぐひなほありがたくやありけむ。その跡にしもたづさはりて、みたりのをのこ子ども、もゝちの歌のふるほぐどもを、いかなるえにかありけむ、あづかりもたることあれど、みちをたすけよ、子をはぐくめ、後の世をとへ、とて、ふかきちぎりをむすびおかれし細川のながれも、ゆゑなくせきとゞめられしかば、跡とふ法のともし火も、道をまもり、家をたすけむ親子のいのちも、もろともにきえをあらそふ年月をへて、あやふく心ぼそきながら、なにとして、つれなくけふまでながらふらむ。をしからぬ身ひとつは、やすくおもひすつれども、子を思ふ心のやみは、なほしのびがたく、道をかへりみるうらみは、やらむかたなくて、さてもなほ、あづまのかめのかゞみにうつせば、くもらぬ影もやあらはるゝと、せめておもひあまりて、よろづのはゞかりをわすれ、身をえうなきものになしはてて、ゆくりもなく、いさよふ月にさそはれいでなむとぞ思ひなりぬる。
さりとて、文屋の康秀がさそふにもあらず、すむべき國もとむるにもあらず。頃はみふゆたつはじめの空なれば、ふりみふらずみ、時雨もたえず、あらしにきほふ木の葉さへ、涙とともにみだれちりつゝ、ことにふれて心細くかなしけれど、人やりならぬみちなれば、いきうしとて、とどまるべきにもあらで、なにとなく、いそぎたちぬ。
めかれせざりつる程だに、あれまさりつる庭もまがきも、ましてと見まはされて、したはしげなる人々の袖のしづくも、なぐさめかねたる中にも、侍從・大夫などの、あながちに、うち屈じたるさま、いと心苦しければ、さま%\いひこしらへ、ねやのうちを見やれば、昔のまくらの、さながらかはらぬを見るも、いまさらかなしくて、かたはらにかきつく。
代々にかきおかれける歌の草子どものおくがきなどして、あだならぬかぎりを、えりしたゝめて、侍從のかたへおくるとて、かきそへたる歌
これをみて、侍從の返事いととくあり。
この返事いとおとなしければ、心やすくあはれなるにも、むかしの人にきかせたてまつりたくて、又うちしほたれぬ。
大夫の、かたはらさらずなれきつるを、ふりすてられなむ名殘、あながちに思ひしりて、手ならひしたるを見れば、
とかきつけたる、物よりことにあはれにて、おなじかみにかきそへつ。
とぞなぐさむる。
山より侍從のあにの、をりしも、いでたちみむとておはしたり。それも、いともの心ぼそしと思ひたるを、この手ならひどもを見て又かきそへたり。
とは、こといみしながら、なみだのこぼるゝを、あらゝかにものいひまぎらはすも、さま%\哀なるを、阿闍梨の君は山ぶしにて、この人々よりは兄なる、このたびのみちのしるべにおくらむとて出でたるめるを、この手ならひにまじはらざらむやはとて、かきつく。
女子はあまたもなし。たゞひとりにて、このちかきほどの女院にさぶらひ給ふ。院の姫宮一所むまれたまへりしばかりにて、心づかひもまことしきさまに、おとな/\しくおはすれば、宮の御方の御戀しさもかねて申しおくついでに、侍從・大夫などのこと、はぐくみおほすべきよしも、こまかにかきつゞけて、おくに、
ときこえたれば、御かへりもこまやかに、いとあはれにかきて、歌の返しには、
とぞある。
いつゝの子どものうた、のこるなくかきつゞけぬるも、かつは、いとおこがましけれど、おやのこゝろには、あはれにおぼゆるまゝに、かきあつめたり。
さのみ心よわくてもいかゞとて、つれなくふりすてつ。粟田口といふ所よりぞ車はかへしつる。ほどなく逢坂の關こゆる程も、
野路といふところ、こしかた行くさき人も見えず、日はくれかゝりていとものがなしと思ふに、時雨さへ打ちそゝぐ。
今夜は鏡といふ所につくべしとさだめつれど、暮れはてて、え行きつかず。守山といふ所にとゞまりぬ。こゝにも時雨なほしたひきにけり。
けふは十六日の夜なりけり。いとくるしくて、うちふしぬ。いまだ月の光かすかにのこりたる明けぼのに、守山をいでて行く。野洲川わたるほど、さき立ちてゆく人のこまのあしおとばかりさやかにて霧いとふかし。
十七日の夜は小野の宿といふ所にとゞまる。月いでて、山のみねに立ちつゞきたる松の木の間、けぢめ見えて、いとおもしろし。こゝも夜ふかき霧のまよひにたどりいでつ。
醒が井といふ水、夏ならばうちすぎましやと見るに、かち人は、なほたちよりてくむめり。
とぞおぼゆる。
十八日、美濃の國、關の藤川わたるほどに、まづおもひつゞけらる。
不破の關屋のいたびさしは、いまもかはらざりけり。
關よりかきくらしつる雨、時雨にすぎてふりくらせば、みちもいとあしくて、心よりほかに笠縫のむまやといふ所にとゞまる。
十九日、又こゝをいでて行く。よもすがらふりつる雨に、平野とかやといふほど、みちいとわろくて、人かよふべくもあらねば、水田の面をぞさながらわたり行く。あくるまゝに雨はふらずなりぬ。ひるつかた過ぎ行くみちに目にたつやしろあり。人にとへば、むすぶの神とぞ聞ゆるといへば、
洲俣とかやいふ河には舟をならべて、正木のつなにやあらむ、かけとゞめたる浮橋あり。いとあやふけれどわたる。この河、つゝみの方はいとふかくて、かた/\はあさければ、
とも思ひつゞけける。
又一の宮といふやしろをすぐとて、
二十日、尾張の國、下戸のむまやを出でて行く。よぎぬみちなれば熱田の宮へまゐりて、すゞりとりいでて、かきつけたてまつる歌いつゝ
しほひのほどなれば、さはりなく、ひがたを行く。をりしも濱千鳥おほくさきだちて行くも、しるべがほなる心ちして、
隅田川のわたりにこそありときゝしかど、みやこ鳥といふ鳥の、はしとあしとあかきは、この浦にもありけり。
二村山をこえて行く。山も野もいと遠くて、日もくれはてぬ。
八橋にとゞまらむと人々いふ。くらさに橋も見えずなりぬ。
二十一日、八橋をいでて行く。日いとよくはれたり。山もと遠き原野をわけ行く。ひるつかたになりて、もみぢいとおほき山にむかひて行く。風につれなきくれなゐ、ところ%\、くちばにそめかへてける常盤木どももたちまじりて、あをぢのにしきを見る心ちして人にとへば、宮路の山とぞいふ。
この山までは、むかし見しこゝちする、ころさへかはらねば、
山の裾野に竹ある所に、萱屋たゞひとつ見ゆる、いかにして、なにのたよりに、かくて住むらんと見ゆ。
日は入りはてて、なほもののあやめわかるゝほど、渡津とかやいふ所にとゞまりぬ。
二十二日の曉、夜ふかきありあけのかげに出でて行く。いつよりも、ものいとかなし。
とぞおもひつゞくる。ともなる人、ありあけの月さへかさきたりといふをきゝて、
高師の山もこえつ。海見ゆるほどいとおもしろし。浦風あれて、松のひゞきすごく、浪いとあらし。
いとしろきすさきに、くろき鳥のむれゐたるは、鵜といふとりなりけり。
濱名の橋より見わたせば、かもめといふ鳥、いとおほくとびちがひて、水のそこへもいる、岩のうへにも居たり。
今夜は引馬の宿といふ所にとゞまる。この所の大かたの名は濱松とぞいひし。したしといひしばかりの人々なども住む所なり。住みこし人のおもかげも、さま%\思ひ出でられて、又めぐりあひて見つるいのちのほども、かへす%\あはれなり。
その世に見し人の子、まごなど、よびいでてあひしらふ。
二十三日、てんちうのわたりといふ、舟にのるに、西行がむかしも思ひ出でられて心ぼそし。くみあはせたる舟たゞひとつにて、おほくの人の往き來に、さしかへるひまもなし。
今夜は遠江、見附の國府といふ所にとゞまる。里あれてものおそろし。かたはらに水の江あり。
二十四日、ひるになりて、小夜の中山こゆ。ことのまゝといふやしろのほど、もみぢいとおもしろし。山かげにて、あらしもおよばぬなめり。ふかく入るまゝに、をちこちのみねつゞき、こと山に似ず、心ぼそくあはれなり。ふもとのさと、菊川といふ所にとゞまる。
あかつき、おきて見れば月もいでにけり。
河おといとすごし。
二十五日、菊川をいでて、けふは大井河といふ川をわたる。水いとあせて、きゝしにはたがひて、わづらひなし。河原幾里とかや、いとはるかなり。水のいでたらむおもかげ、おしはからる。
宇津の山こゆるほどにしも、阿闍梨の見しりたる山伏行きあひたり。夢にも人をなど、むかしをわざとまねびたらむ心ちして、いとめづらかに、をかしくも、あはれにも、やさしくもおぼゆ。いそぐ道なりといへば、ふみもあまたはえかゝず。たゞやむごとなき所ひとつにぞおとづれきこゆる。
今夜は手越といふ所にとゞまる。なにがしの僧正とかやののぼりとて、いと人しげし。やどりかねたりつれど、さすがに人のなき宿もありけり。
二十六日、藁科河とかやわたりて、興津のはまにうちいづ。なくなくいでしあとの月影など、まづ思ひいでらる。ひるたち入りたる所に、あやしきつげのをまくらあり、いとくるしければうちふしたるに、すゞりも見ゆれば、枕の障子に、ふしながらかきつけつ。
くれかゝるほど清見が關をすぐ。岩こす浪のしろききぬをうちきするやうに見ゆるもをかし。
ほどなく暮れて、そのわたりの海ちかき里にとゞまりぬ。浦人のしわざにや、となりよりくゆりかゝる煙のいとむつかしきにほひなれば、夜の宿なまぐさしといひける人のことばもおもひ出でらる。夜もすがら風いとあれて、なみたゞ枕にたちさわぐ。
富士の山を見ればけぶりたゝず。むかし、ちゝの朝臣にさそはれて、いかになるみの浦なればなどよみし頃、とほつあふみの國までは見しかば、富士の煙のすゑも、あさゆふ、たしかに見えしものを、いつのとしよりか、たえしととへば、さだかにこたふる人だになし。
古今の序の言葉とておもひ出でられて、
こよひは波のうへといふ所にやどりて、あれたるおとさらにめもあはず。
二十七日、あけはなれてのち富士河わたる。あさかはいとさむし。かぞふれば十五瀬をぞわたりぬる。
けふは、日いとうらゝかにて田子の浦にうちいづ。あまどものいさりするを見ても、
とぞいはまほしき。
伊豆の國府といふ所にとゞまる。いまだ夕日のこるほど、三島の明神へまゐるとて、よみてたてまつる。
二十八日、伊豆の國府をいでて箱根路にかゝる。いまだ夜ふかかりければ、
足柄の山は、みちとほしとて箱根路にかゝるなりけり。
いとさかしき山をくだる。人のあしも、とゞまりがたし。湯坂とぞいふなる。からうじてこえはてたれば、ふもとに、早河といふ河あり。まことにいとはやし。木のおほくながるゝを、いかにと問へば、あまのもしほ木を浦へ出さむとてながすなりといふ。
湯坂より浦にいでて、日くれかゝるに、なほとまるべき所とほし。伊豆の大島まで見わたさるゝ海づらを、いづことかいふと問へば、しりたる人もなし。あまの家のみぞある。
鞠子河といふ河を、いとくらくてたどりわたる。こよひは酒勾といふ所にとゞまる。あすは鎌倉へ入るべしといふなり。
二十九日、酒勾をいでて、はまぢを、はる%\と行く。明けはなるゝ海の上を、いとほそき月出でたり。
なぎさによせかへる波のうへに、霧たちて、あまた見えつるつり舟も見えずなりぬ。
みやこの遠くへだたりはてぬるも、なほ夢のこゝちして、
【附記】 原本コヽマデヲ第三十枚ノ表四行ニテ終り、其ノ紙ヲ裏白トシ、第三十一枚ノ表中央ニ
安嘉門院四條法名阿佛作
ト記シテ裏白、第三十二枚ノ表ニ
中院大納言 置文和歌
日吉百ヶ日參籠之時日歌之内也
ト記シテ裏白、第三十三枚ノ表ヨリ、次の東日記ヲ記ス。
あづまにてすむ所は、月影のやつとぞいふなる。浦ちかき山もとにて風いとあらし。山寺のかたはらなれば、のどかに、すごくて、浪のおと、松の風たえず。
みやこのおとづれは、いつしかおぼつかなきほどにしも、宇津の山にて行きあひたりし山伏のたよりにことづて申したりし人の御もとより、たしかなる便につけて、ありし御返事とおぼしくて、
又
みやこをいでし事は、神無月十六日なりしかば、いさよふ月を、おぼしわすれざりけるにや、いとやさしく、あはれにて、たゞこの御返事ばかりをぞ又きこゆる。
前の右兵衞の督爲教君のむすめ、歌よむ人にて、たび%\勅撰にも入り給へりし大宮の院の中納言ときこゆる人、歌の事ゆゑ、あさゆふ申しなれしかばにや、道の程のおぼつかなさなど、おとづれ給へる文に、
返し
この御せうと、中將爲兼の君も、おなじさまに、おぼつかなさなど書きて、
返し
式乾門院のみくしげどのときこゆるは、久我の太政大臣の御むすめ、これも續後撰より、うちつゞき、二たび三たびの集にも、家々のうちぎきにも歌あまた入り給へる人なれば、御名もかくれなくこそは。いまは安嘉門院に、御方とてさぶらひ給ふ。あづまぢ思ひたちし、あすとて、まかり申しのよしに、北白河殿へまゐりたりしかど、みくしげどのは見えさせ給はざりしかば、今夜ばかりのいでたち、物さわがしくて、かくとだにきこえあへず、いそぎ出でにしも、心にかゝり給ひて、たよりにおとづれきこゆ。草の枕ながら年さへくれぬる心ぼそさ、雪のひまなさなど、かきあつめて、
などきこえたりしを、たちかへり、その御返事あり。
たよりあらばと、心にかけまゐらせさぶらひつるを、けふしはすの二十二日、御文まちえて、めづらしく、うれしさ、まづなにごとも、こまかに申したく候ふに、こよひの御方たがへの行幸、この御所へとて、世の中まぎるゝほどにて、思ふばかりもいかゞと本意なくこそ。御旅あすとて、御參り候ひける日しも、峯殿の紅葉見にとて、わかき人々さそひ候ひしほどに、のちにこそ、かゝる御事どもきこえ候ひしか。などや、かくとも御たづね候はざりし。
さてもそれより、雪になりゆくと候ひし御返事は、
とあれば、このたびは又、たつ日をきかぬとある御返事ばかりをぞきこゆる。
曉たよりありときゝて、夜もすがらおきゐて、みやこのふみどもかくなかに、ことにへだてなく、あはれにたのみかはしたる姉君に、をさなき人々の事など、さま%\書きやるほど、例の浪風はげしく聞ゆれば、たゞいまあるまゝの事をぞかきつけつる。
又おなじさまにて、ふるさとに戀ひ忍ぶおとうとの尼上にも、ふみたてまつるとて、磯菜どものはし/\を、いさゝかつゝみて、
ほどへて、このおとゞひ二人の返事あり。いとあはれにて、いそぎ見れば姉君、
この姉君は中の院の中將といひし人のうへなり。今は三位入道とか、おなじ世ながら遠ざかりはてゝ行ひ居たる人なり。そのおとうとの君も、めかりしほやくとありし返事、さま%\書きつゞけて、人こふるなみだのうみは、みやこにも枕の下にたゝへてこそなど書きて、
この人も安嘉門院にさぶらひし人なり。つゝましくする事どもを、思ひかねてひきつらねたるも、いとあはれにをかし。
ほどなく年くれて春にもなりにけり。かすみこめたるながめのすゑいとゞしく、谷の戸はとなりなれど、鶯のはつねだにおとづれこず。思ひなれにし春の空はしのびがたく、むかし戀しきほどにしも、又みやこのたよりありとつげたる人あれば、例の所々へふみかく中に、いさよふ月とおとづれ給へりし人の御もとへ、
など、そこはかとなき事どもをきこえたりしを、たしかなる所よりつたはりて、御返事も、いたうほどへず、まち見たてまつる。
權中納言の君は、まぎるゝ方なく歌をのみよみ給ふ人なれば、このほど手ならひにしおきたる歌どもも書きあつめてたてまつる。海いとちかき所なれば、かひなどひろふをり/\も、名草の濱ならねばかひなき心ちしてなどかきて、
などや、たゞふでにまかせて、うち思ふまゝに、いそぎたるつかひとて、かきさすやうなりしを、又ほどもへず返事し給へり。ひごろのおぼつかなさも、この御ふみに、かすみはれぬる心ちしてなどあり。
やよひのすゑつかた、わか/\しきわらはやみにや、日まぜにおこる事二たびになりぬ。あやしうしほれはてたる心ちしながら、三たびになるべき日の曉よりおきて、佛の御前にて、心をひとつにて、法華經八卷をよみつ。そのしるしにや、なごりもなくおちたり。をりしもみやこのたよりあれば、かゝる事こそなど、ふるさとへもつげやるついでに、例の權中納言の御もとへ、「旅の空にてたまきはるまでやとあやふきほどの心ぼそさも、さすがになほたもつ御法のしるしにや、今日まではかけとどめてこそ」などかきて、
ときこえたりしを、おどろきて、返事とくたまへり。
御經のしるしこそいとたふとくとて、
卯月のはじめつかた、たよりあれば、又おなじ人の御もとへ、こぞの春夏の戀しさなど書きつゞけて、
その返し又あり、
うちすてられたてまつりにしのちは
さてもほとゝぎすの御たづねこそ
實方の中將の、五月まで、ほとゝぎす聞かで、みちのくにより、みやこにはきゝふりぬらむほとゝぎすせきのこなたの身こそつらけれ、とかや申されたる事の候ふな。そのためしも思ひいでられ、この御ふみこそ、ことにやさしく
など書きおこせ給へり。
さるほどに卯月のすゑになりにければ、ほとゝぎすのはつね、ほのかにも思ひたえたり。人づてにきけば、比企のやつといふ所には、あまたこゑなきけるを人きゝたりなどいふをきゝて、
など、ひとりごちつれど、そのかひなし。もとより、あづまぢは、みちのおくまで、昔より郭公まれなるならひにやありけむ、一すぢに又なかずばよし、まれにも聞く人ありけるこそ、人わきしけるよと思ふも、なか/\いと心づくしにうらめしけれ。
又、和徳門院の新中納言の君ときこゆるは、京極の中納言定家のむすめ、深草の前の齋宮ときこえしに、父の中納言のまゐらせおき給へりけるまゝにて年へ給ひにける。この女院は齋宮の御子にしたてまつり給へりしかば、つたはりてさぶらひ給ふなりけり。うきみこがるゝもかり舟などよみ給へりし民部卿典侍のおとうとにぞおはする。さる人の子とて、あやしき歌よみて人にはきかれじと、あながちにつゝみ給ひしかど、はるかなる旅の空のおぼつかなさに、あはれなる事どもを書きつゞけて、
と、ふみことばにつゞけて、歌のやうにもあらず書きなし給へるも、人よりはなほざりならぬやうにおぼゆ。御返事は、
ときこゆ。そのついでに、故入道大納言の、草の枕にも常にたちそひて夢に見え給ふよしなど、この人ばかりや、あはれともおぼさむとて、かきつけて、たてまつるとて、
など書きてたてまつりたりしを、またあながちにたよりたづねて返事し給へり。さしもしのび給ふ事もをりからなりけり。
などのたまへり。
夏の程は、あやしきまで、おとづれたえて、おぼつかなさも一かたならず、みやこの方は、志賀の浦浪たちこえて、山・三井寺のさわぎなどきこゆるにも、いとゞおぼつかなし。からうじて、八月二日ぞたしかなるつかひまちえて、日ごろとりおきける人々の御ふみども、とりあつめて見つる。
侍從爲相の君のもとより、五十首の歌、當座によみたりけるとて、きよがきもしあへず、便宜すこしとてくだされたり。歌もいとゞおとなしくなりにけり。五十首に二十八首點あひつるも、あやしく、心のやみのひがめにこそはあらめ、そのなかに、
とある歌をみるに、この旅の空を思ひおこせて詠まれたるにこそはと、心をやりてあはれなれば、そのうたのかたはらに、もじちひさくて、返しをぞ書きそへてやる。
又おなじ旅の題にて、侍從のうたに、
とある所にも、また返事を書きそへたり。
又この五十首のおくに、ことばをかきそふ。おほかたの歌ざまなどを、ほめも、又よむべきやうなど、しるしつけておくに、昔の人のことを、
と書きつく。
侍從の弟、爲守の君のもとよりも三十首の歌をおくりて、これに點あひて、わろからむこと、こまかにしるしたべと、いはれたり。年もことしは十六ぞかし。歌の、くちなれ、やさしくおぼゆるも、かへす%\心のやみと、かたはらいたし。これも旅のうたには、こなたを思ひて詠みけりと見ゆ。くだりしほどの日なみの日記を、この人々のもとへつかはしたりしを見て詠まれたりけるなめり。
又これにもかへしをかきつく、
又權中納言の君、いとこまやかにふみかきて、
くだり給ひにしのちは歌よむ友なくて、秋になりては、いとゞ思ひいできこゆるまゝに、ひとり月をのみながめあかして、
など書きて、
この御返、これよりも、ふるさとの戀しさなど書きて、
都の歌ども、この後おほくつもりたり。又かきつくべし。
【附記】原本第五十三枚ノ表四行マデニテ此ノ鎌倉滞在中ノ記ヲ終リ其ノ紙ノ裏ニ
安嘉門院四條法名阿佛作東日記
ト記シ第五十四枚ノ表ヨリ「阿佛假名諷誦」ヲ記セリ。
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堀川の大殿樣のやうな方は、これまでは固より、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王の御姿が御母君の夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎に角御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の爲さいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川の御邸の御規模を拜見致しましても、壯大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿樣の御性行を始皇帝や煬帝に比べるものもございますが、それは
それでございますから、二條大宮の百鬼夜行に御遇ひになつても、格別御障りがなかつたのでございませう。又陸奧の鹽竈の景色を寫したので名高いあの東三條の河原院に、夜な夜な現はれると云ふ噂のあつた融の左大臣の靈でさへ、大殿樣のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御威光でございますから、その頃洛中の老若男女が、大殿樣と申しますと、まるで權者の再來のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。何時ぞや、内の梅花の宴からの御歸りに御車の牛が放れて、折から通りかかつた老人に怪我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿樣の牛にかけら
さやうな次第でございますから、大殿樣御一代の間には、後々までも語り草になりますやうな事が、隨分澤山にございました。大饗の引出物に白馬ばかりを三十頭、賜つたこともございますし、長良の橋の橋柱に御寵愛の童を立てた事もございますし、それから又華陀の術を傳へた震旦の僧に、御腿の瘡を御切らせになつた事もございますし、――一々數へ立てて居りましては、とても際限がございません。が、その數多い御逸事の中でも、今では御家の重寶になつて居ります地獄變の屏風の由來程、恐ろしい話はございますまい。日頃は物に御騒ぎにならない大殿樣でさへ、あの時ばかりは、流石に御驚きになつたやうでございました。まして御側に仕へてゐた私どもが、魂も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。中でもこの私なぞは、大殿樣にも二十年來御奉公申して居りましたが、それでさへ、あのやうな凄じい見物に出遇
しかし、その御話を致しますには、豫め先づ、あの地獄變の屏風を描きました、良秀と申す繪師の事を申し上げて置く必要がございませう。
良秀と申しましたら、或は唯今でも猶、あの男の事を覺えていらつしやる方がございませう。その頃繪筆をとりましては、良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な繪師でございます。あの時の事がございました時には、彼是もう五十の阪に、手がとどいて居りましたらうか。見た所は唯、背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の惡さうな老人でございました。それが大殿樣の御邸へ參ります時には、よく丁子染の狩衣に揉烏帽子をかけて居りま
いや猿秀と申せば、かやうな御話もございます。その頃大殿樣の御邸には、十五になる良秀の一人娘が、小女房に上つて居りましたが、これは又生みの親には似もつかない、愛嬌のある娘でございました。その上早く女親に別れましたせゐか、思ひやりの深い、年よりはませた、悧巧な生れつきで、年の若いのにも似ず、何かとよく氣がつくものでございますから、御臺樣を始め外の女房たちにも、可愛がられて居たやうでございます。
すると何かの折に、丹波の國から人馴れた猿を一匹、獻上したものがございまして、それに丁度惡戲盛りの若殿樣が、良秀と云ふ名を御つけになりました。唯でさへその猿の容子が可笑しい所へ、かやうな名がついたのでございますから、御邸中誰一人笑はないものはございません。それも笑ふばかりならよろしうございますが、面白半分に皆のものが、やれ御庭の松に上つたの、やれ曹司の疊をよごしたのと、その度毎に、良秀々々と呼び立てては、兎に角いぢめたがるのでございます。
所が或日の事、前に申しました良秀の娘が、御文を結んだ寒紅梅の枝を持つて、長い御廊下を通りかかりますと、遠くの遣戸の向うから、例の小猿の良秀が、大方足でも挫いたのでございませう、何時ものやうに柱へ驅け上る元氣もなく、跛を引き引き、一散に逃げて參るのでございます。しかもその後からは楚をふり上げた若殿樣が「柑子盗人め、待て。待て。」と仰有りながら、追ひ
が、若殿樣の方は、氣負つて驅けてお出でになつた所がございますから、むづかしい御顏をなすつて、二三度御み足を御踏鳴らしになりながら、
「何でかばふ。その猿は柑子盗人だぞ。」
「畜生でございますから、……」
娘はもう一度繰返しましたが、やがて寂しさうにほほ笑みますと、
「それに良秀と申しますと、父が御折檻を受けますやうで、どうも唯見ては居られませぬ。」と、思ひ切つたやうに申すのでございます。これには流石の若殿樣も、我を御折りになつたのでございませう。
「さうか。父親の命乞なら、枉げて赦してとらすとしよう。」
不承無承にかう仰有ると、楚をそこへ御捨てになつて、元いらしつた遣戸の方へ、その儘御歸りになつてしまひました。
良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘は御姫樣から頂戴した黄金の鈴を、美しい眞紅の紐に下げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまは
かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはございません。いや、反つてだんだん可愛がり始めて、しまひには若殿樣でさへ、時々柿や栗を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足蹴にした時なぞは、大層御立腹にもなつたさうでございます。その後大殿樣がわざわざ良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るやうと御沙汰になつたのも、この若殿樣の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。その序に自然と娘の猿を可愛がる所由も御耳にはひつたのでございませう。
「孝行な奴ぢや。褒めてとらすぞ。」
かやうな御意で、娘はその時、紅の袙を御褒美に頂きました。所がこの袙を
さて良秀の娘は、面目を施して御前を下りましたが、元より悧巧な女でございますから、はしたない外の女房たちの妬を受けるやうな事もございません。反つてそれ以來、猿と一しよに何かといとしがられまして、取分け御姫樣の御側からは御離れ申した事がないと云つてもよろしい位、物見車の御供にもつひ
が、娘の事は一先づ措きまして、これから又親の良秀の事を申し上げませう。成程猿の方は、かやうに間もなく、皆のものに可愛がられるやうになりましたが、肝腎の良秀はやはり誰にでも嫌はれて、不相變陰へまはつては、猿秀呼ばりをされて居りました。しかもそれが又、御邸の中ばかりではございません。現に横川の僧都樣も、良秀と申しますと、魔障にでも御遇ひになつたやうに、顏の色を變へて、御憎み遊ばしました。(尤もこれは良秀が僧都樣の御行状を戲畫に描いたからだなどと申しますが、何分下ざまの噂でございますから、確に左樣とは申されますまい。)兎に角、あの男の不評判は、どちらの方に伺ひましても、さう云ふ調子ばかりでございます。もし惡く云はないものがあつたと致しますと、それは二三人の繪師仲間か、或は又、あの男の繪を知つてゐるだけで、あの男の人間は知らないものばかりでございませう。
しかし實際良秀には、見た所が卑しかつたばかりでなく、もつと人に嫌がられる惡い癖があつたのでございますから、それも全く自業自得とでもなすより外に、致し方はございません。
その癖と申しますのは、吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠けもので、強慾で――いや、その中でも取分け甚しいのは、横柄で、高慢で、何時も本朝第一の繪師と申す事を、鼻の先へぶら下げてゐる事でございませう。それも畫道の上ばかりならまだしもでございますが、あの男の負け惜しみになりますと、世間の習慣とか慣例とか申すやうなものまで、すべて莫迦に致さずには置かないのでございます。これは永年良秀の弟子になつてゐた男の話でございますが、或
さやうな男でございますから、吉祥天を描く時は、卑しい傀儡の顏を寫しましたり、不道明王を描く時は、無頼の放免の姿を像りましたり、いろいろの勿體ない眞似を致しましたが、それでも當人を詰りますと「良秀の描いた神佛が、その良秀に冥罰を當てられるとは、異な事を聞くものぢや」と空嘯いてゐるではございませんか。これには流石の弟子たちも呆れ返つて、中には未來の恐ろしさに、匆々暇をとつたものも、少くなかつたやうに見うけました。――先づ一口に申しましたなら、慢業重疊とでも名づけませうか。兎に角當時天が下で、自分程の偉い人間はないと思つてゐた男でございます。
從つて良秀がどの位畫道でも、高く止つて居りましたかは、申し上げるまでもございますまい。尤もその繪でさへ、あの男のは筆使ひでも彩色でも、まるで外の繪師とは違つて居りましたから、仲の惡い繪師仲間では、山師だなどと申す評判も、大分あつたやうでございます。その連中の申しますには、川成とか金岡とか、その外昔の名匠の筆になつた物と申しますと、やれ板戸の梅の花が、月の夜毎に匂つたの、やれ屏風の大宮人が、笛を吹く音さへ聞えたのと、優美な噂が立つてゐるものでございますが、良秀の繪になりますと、何時でも必ず氣味の惡い、妙な評判だけしか傳はりません。譬へばあの男が龍蓋寺の門へ描きました、五趣生死の繪に致しましても、夜更けて門の下を通りますと、天人の嘆息をつく音や啜り泣きをする聲が、聞えたと申す事でございます。いや、中には死人の腐つて行く臭氣を、嗅いだと申すものさへございました。それから大殿樣の御云ひつけで描いた、女房たちの似繪なども、その繪に寫され
が、何分前にも申し上げました通り、横紙破りな男でございますから、それが反つて良秀は大自慢で、何時ぞや大殿樣が御冗談に、「その方は兎角醜いものが好きと見える。」と仰有つた時も、あの年に似ず赤い脣でにやりと氣味惡く笑ひながら、「さやうでござりまする。かいなでの繪師には總じて醜いものの美しさなどと申す事は、わからう筈がございませぬ。」と、横柄に御答へ申し上げました。如何に本朝第一の繪師にも致せ、よくも大殿樣の御前へ出て、そのやうな高言が吐けたものでございます。先刻引合に出しました弟子が、内内師匠に「智羅永壽」と云ふ諢名をつけて、増長慢を譏つて居りましたが、それも無理はございません。御承知でもございませうが、「智羅永壽」と申しま
しかしこの良秀でさへ――この何とも云ひやうのない、横道者の良秀にさへ、たつた一つ人間らしい、情愛のある所がございました。
と申しますのは、良秀が、あの一人娘の小女房をまるで氣違ひのやうに可愛がつてゐた事でございます。先刻申し上げました通り、娘も至つて氣のやさしい、親思ひの女でございましたが、あの男の子煩惱は、決してそれには劣りますまい。何しろ娘の着る物とか、髮飾とかの事と申しますと、どこの御寺の勸進にも喜捨をした事のないあの男が、金錢には更に惜し氣もなく、整へてやると云ふのでございますから、嘘のやうな氣が致すではございませんか。
が、良秀の娘を可愛がるのは、唯可愛がるだけで、やがてよい聟をとらうなどと申す事は、夢にも考へて居りません。それ所か、あの娘へ惡く云ひ寄るものでもございましたら、反つて辻冠者ばらでも驅り集めて、暗打位は喰はせ兼ねない量見でございます。でございますから、あの娘が大殿樣の御聲がかりで小女房に上りました時も、老爺の方は大不服で、當座の間は御前へ出ても、苦り切つてばかり居りました。大殿樣が娘の美しいのに御心を惹かされて、親の不承知なのもかまはずに、召し上げたなどと申す噂は、大方かやうな容子を見たものの當推量から出たのでございませう。
尤も其噂は噂でございましても、子煩惱の一心から、良秀が始終娘の下るやうに祈つて居りましたのは確でございます。或時大殿樣の御云ひつけで、稚兒文珠を描きました時も、御寵愛の童の顏を寫しまして、見事な出來でございましたから、大殿樣も至極御滿足で、
「褒美にも望みの物を取らせるぞ。遠慮なく望め。」と云ふ難有い御語が下りました。すると良秀は畏まつて、何を申すかと思ひますと、
「何卒私の娘をば御下げ下さいまするやうに。」と臆面もなく申し上げました。外の御邸ならば兎も角も、堀川の大殿樣の御側に仕へてゐるのを、如何に可愛いからと申しまして、かやうに無躾に御暇を願ひますものが、どこの國に居りませう。これには大腹中の大殿樣も聊か御機嫌を損じたと見えまして、暫くは唯默つて良秀の顏を眺めて御出でになりましたが、やがて、
「それはならぬ。」と吐出すやうに仰有ると、急にその儘御立ちになつてしまひました。かやうな事が、前後四五遍もございましたらうか。今になつて考へて見ますと、大殿樣の良秀を御覽になる眼は、その都度にだんだんと冷やかになつていらしつたやうでございます。すると又、それにつけても、娘の方は父親の身が案じられるせゐででもございますか、曹司へ下つてゐる時などは、よ
私どもの眼から見ますと、大殿樣が良秀の娘を御下げにならなかつたのは、全く娘の身の上を哀れに思召したからで、あのやうに頑な親の側へやるよりは御邸に置いて、何不自由なく暮させてやらうと云ふ難有い御考へだつたやうでございます。それは元より氣立ての優しいあの娘を、御贔屓になつたのは間違ひございません。が、色を御好みになつたと申しますのは、恐らく牽強附會の説でございませう。いや、跡方もない嘘と申した方が、宜しい位でございます。
それは兎も角もと致しまして、かやうに娘の事から良秀の御覺えが大分惡くなつて來た時でございます。どう思召したか、大殿樣は突然良秀を御召になつ
地獄變の屏風と申しますと、私はもうあの恐ろしい畫面の景色が、ありありと眼の前へ浮んで來るやうな氣が致します。
同じ地獄變と申しましても、良秀の描きましたのは、外の繪師のに比べますと、第一圖取りから似て居りません。それは一帖の屏風の片隅へ、小さく十王を始め眷屬たちの姿を描いて、あとは一面に物凄い猛火が劍山刀樹も爛れるかと思ふ程渦を卷いて居りました。でございますから、唐めいた冥官たちの衣裳が、點々と黄や藍を綴つて居ります外は、どこを見ても烈々とした火焔の色で、その中をまるで卍のやうに、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽つた火の粉とが、舞
こればかりでも、隨分人の目を驚かす筆勢でございますが、その上に又、業火に燒かれて、轉々と苦しんで居ります罪人も、殆ど一人として通例の地獄繪にあるものはございません。何故かと申しますと、良秀はこの多くの罪人の中に、上は月卿雲客から下は乞食非人まで、あらゆる身分の人間を寫して來たからでございます。束帶のいかめしい殿上人、五つ衣のなまめかしい青女房、珠數をかけた念佛僧、高足駄を穿いた侍學生、細長を着た女の童、幣をかざした陰陽師――一々數へ立てて居りましたら、とても際限はございますまい。兎に角さう云ふいろいろの人間が、火と煙とが逆捲く中を、牛頭馬頭の獄卒に虐まれて、大風に吹き散らされる落葉のやうに、粉々と四方八方へ逃げ迷つてゐるのでございます。鋼叉に髪をからまれて、蜘蛛よりも手足を縮めてゐる女は、神巫の類ででもございませうか。手矛に胸を刺し通されて、蝙蝠のやうに逆に
が、その中でも、殊に一つ目立つて凄じく見えるのは、まるで獸の牙のやうな刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者がるいるいと、五體を貫かれて居りましたが)中空から落ちて來る一輛の牛車でございませう。地獄の風に吹き上げられた、その車の簾の中には、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅びやかに裝つた女房が、丈の黒髮を炎の中になびかせて、白い頸を反らせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦を偲ばせないものはございません。云はば廣い畫面の恐ろしさが、この一人の人物に湊つてゐるとでも申しませう
ああ、これでございます、これを描く爲に、あの恐ろしい出來事が起つたのでございます。又さもなければ如何に良秀でも、どうしてかやうに生々と奈落の苦艱が畫かれませう。あの男はこの屏風の繪を仕上げた代りに、命さへも捨てるやうな、無慘な目に出遇ひました。云はばこの繪の地獄は、本朝第一の繪師良秀が、自分で何時か墮ちて行く地獄だつたのでございます。……
私はあの珍しい地獄變の屏風の事を申し上げますのを急いだあまりに、或は御話の順序を顛倒致したかも知れません。が、これから又引き續いて、大殿樣から地獄繪を描けと申す仰せを受けた良秀の事に移りませう。
良秀はそれから五六箇月の間、まるで御邸へも伺はないで、屏風の繪にばかりかかつて居りました。あれ程の子煩惱がいざ繪を描くと云ふ段になりますと、娘の顏を見る氣もなくなると申すのでございますから、不思議なものではございませんか。先刻申し上げました弟子の話では、何でもあの男は仕事にとりかかりますと、まるで狐でも憑いたやうになるらしうございます。いや實際當時の風評に、良秀が畫道で名を成したのは、福徳の大神に祈誓をかけたからで、その證據にはあの男が繪を描いてゐる所を、そつと物陰から覗いて見ると、必ず陰々として靈狐の姿が、一匹ならず前後左右に、群つてゐるのが見えるなどと申す者もございました。その位でございますから、いざ畫筆を取るとなると、
と申しますのは何もあの男が、晝も蔀を下した部屋の中で、結燈臺の火の下に、秘密の繪の具を合せたり、或は弟子たちを、水干やら狩衣やら、さまざまに着飾らせて、その姿を一人づつ丁寧に寫したり、――さう云ふ事ではございません。それ位の變つた事なら、別にあの地獄變の屏風を描かなくとも、仕事にかかつてゐる時とさへ申しますと、何時でもやり兼ねない男なのでございます。いや、現に龍蓋寺の五趣生死の圖を描きました時などは、當り前の人間なら、わざと眼を外らせて行くあの往來の死骸の前へ、悠々と腰を下して、半ば腐れかかつた顏や手足を、髮の毛一すぢも違へずに、寫して參つた事がござい
良秀の弟子の一人が(これもやはり、前に申した男でございますが)或日繪の具を溶いて居りますと、急に師匠が參りまして、
「己は少し午睡をしようと思ふ。が、どうもこの頃は夢見が惡い。」とかう申すのでございます。別にこれは珍しい事でも何でもございませんから、弟子は手を休めずに、唯、
「さやうでございますか。」と一通りの挨拶を致しました。所が良秀は何時になく寂しさうな顏をして、
「就いては、己が午睡をしてゐる間中、枕もとに坐つてゐて貰ひたいのだが。」
それが始めは唯、聲でございましたが、暫くしますと、次第に切れ切れな語になつて、云はば溺れかかつた人間が水の中で呻るやうに、かやうな事を申すのでございます。
「なに、己に來いと云ふのだな。――どこへ――どこへ來いと?奈落へ來い。炎熱地獄へ來い。――誰だ。さう云ふ貴樣は。――貴樣は誰だ――誰だと思つたら」
弟子は思はず繪の具を溶く手をやめて、恐る恐る師匠の顏を、覗くやうにして透して見ますと、皺だらけな顏が白くなつた上に、大粒な汗を滲ませながら、脣の干いた、齒の疎な口を喘ぐやうに大きく開けて居ります。さうして口の中
「誰だと思つたら――うん、貴樣だな。己も貴樣だらうと思つてゐた。なに、迎へに來たと?だから來い。奈落へ來い。奈落には――奈落には己の娘が待つてゐる。」
その時、弟子の眼には、朦朧とした異形の影が、屏風の面をかすめてむらむらと下りて來るやうに見えた程、氣味の惡い心もちが致したさうでございます。勿論弟子はすぐに良秀に手をかけて、力のあらん限り搖り起しましたが、師匠は猶夢現に獨り語を云ひつづけて、容易に眼のさめる氣色はございません。そこで弟子は思ひ切つて、側にあつた筆洗の水を、ざぶりとあの男の顏へ浴びせかけました。
「待つてゐるから、この車へ乘つて來い――この車へ乘つて、奈落へ來い――」と云ふ語がそれと同時に、喉をしめられるやうな呻き聲に變つたと思ひますと、やつと良秀は眼を開いて、針で刺されたよりも慌しく、矢庭にそこへ刎ね起きましたが、まだ夢の中の異類異形が、まぶたの後を去らないのでございませう。暫くは唯恐ろしさうな眼つきをして、やはり大きく口を開きながら、空を見つめて居りましたが、やがて我に返つた容子で、
「もう好いから、あちらへ行つてくれ。」と、今度は如何にも素つ氣なく、云ひつけるのでございます。弟子はかう云ふ時に逆ふと、何時でも大小言を云はれるので、匆々師匠の部屋から出て參りましたが、まだ明るい外の日の光を見た時には、まるで自分が惡夢から覺めた樣な、ほつとした氣が致したとか申して居りました。
しかしこれなぞはまだよい方なので、その後一月ばかりたつてから、今度は
「御苦勞だが、又裸になつて貰はうか。」と申すのでございます。これはその時までにも、どうかすると師匠が云ひつけた事でございますから、弟子は早速衣類をぬぎすてて、赤裸になりますと、あの男は妙に顏をしかめながら、
「わしは鎖で縛られた人間が見たいと思ふのだが、氣の毒でも暫くの間、わしのする通りになつてゐてはくれまいか。」と、その癖少しも氣の毒らしい容子などは見せずに、冷然とかう申しました。元來この弟子は畫筆などを握るよりも、太刀でも持つた方が好ささうな、逞しい若者でございましたが、これには流石に驚いたと見えて、後々までもその時の話を致しますと、「これは師匠が氣が違つて、私を殺すのではないかと思ひました。」と繰返して申したさうでございます。が、良秀の方では、相手の愚圖々々してゐるのが、燥つたくなつ
その時の弟子の恰好は、まるで酒甕を轉がしたやうだとでも申しませうか。何しろ手も足も慘たらしく折り曲げられて居りますから、動くのは唯首ばかりでございます。そこへ肥つた體中の血が、鎖に循環を止められたので、顏と云
が、もし何事も起らなかつたと致しましたら、この苦しみは恐らくまだその上にも、つづけられた事でございませう。幸(と申しますより、或は不幸にと申した方がよろしいかも知れません。)暫く致しますと、部屋の隅にある壺の陰から、まるで黒い油のやうなものが、一すぢ細くうねりながら、流れ出して參りました。それが始の中は餘程粘り氣のあるもののやうに、ゆつくり動いて居りましたが、だんだん滑らかに辷り始めて、やがてちらちら光りながら、鼻の先まで流れ着いたのを眺めますと、弟子は思はず、息を引いて、
「蛇が――蛇が。」と喚きました。その時は全く體中の血が一時に凍るかと思つたと申しますが、それも無理はございません。蛇は實際もう少しで、鎖の食ひこんでゐる、頸の肉へその冷い舌の先を觸れようとしてゐたのでございます。この思ひもよらない出來事には、いくら横道な良秀でも、ぎよつと致したのでございませう。慌てて畫筆を投げ棄てながら、咄嗟に身をかがめたと思ふと、素早く蛇の尾をつかまへて、ぶらりと逆に吊り下げました。蛇は吊り下げられながらも、頭を上げて、きりきりと自分の體へ卷つきましたが、どうしてもあの男の手の所まではとどきません。
「おのれ故に、あつたら一筆を仕損じたぞ。」
良秀は忌々しさうにかう呟くと、蛇はその儘部屋の隅の壺の中へ抛りこんで、それからさも不承無承に、弟子の體へかかつてゐる鎖を解いてくれました。それも唯解いてくれたと云ふ丈で、肝腎の弟子の方へは、優しい言葉一つかけて
これだけの事を御聞きになつたのでも、良秀の氣違ひじみた、薄氣味の惡い夢中になり方が、略、御わかりになつた事でございませう。所が最後にもう一つ、今度はまだ十三四の弟子が、やはり地獄變の屏風の御かげで、云はば命にも關はり兼ねない、恐ろしい目に出遇ひました。その弟子は生れつき色の白い女のやうな男でございましたが、或夜の事、何氣なく師匠の部屋へ呼ばれて參りますと、良秀は燈臺の火の下で掌に何やら腥い肉をのせながら、見馴れない一羽の鳥を養つてゐるのでございます。大きさは先づ、世の常の猫ほどもございませうか。さう云へば、耳のやうに兩方へつき出た羽毛と云ひ、琥珀のやうな色をした、大きな圓い眼と云ひ、見た所も何となく猫に似て居りました。
元來良秀と云ふ男は、何でも自分のしてゐる事に嘴を入れられるのが大嫌ひで、先刻申し上げた蛇などもさうでございますが、自分の部屋の中に何があるか、一切さう云ふ事は弟子たちにも知らせた事がございません。でございますから、或時は机の上に髑髏がのつてゐたり、或時は又、銀の椀や蒔繪の高坏が並んでゐたり、その時描いてゐる畫次第で、隨分思ひもよらない物が出て居りました。が、ふだんはかやうな品を、一體どこにしまつて置くのか、それは又誰にもわからなかつたさうでございます。あの男が福徳の大神の冥助を受けてゐるなどと申す噂も、一つは確にさう云ふ事が起りになつてゐたのでございませう。
そこで弟子は、机の上のその異樣な鳥も、やはり地獄變の屏風を描くのに入用なのに違ひないと、かう獨り考へながら、師匠の前へ畏まつて、「何か御用でございますか」と、恭しく申しますと、良秀はまるでそれが聞えないやうに、あの赤い脣へ舌なめずりをして、
「どうだ。よく馴れてゐるではないか。」と、鳥の方へ頤をやります。
「これは何と云ふものでございませう。私はつひぞまだ、見た事はございませんが。」
弟子はかう申しながら、この耳のある、猫のやうな鳥を、氣味惡さうにじろじろ眺めますと、良秀は不相變何時もの嘲笑ふやうな調子で、
「なに、見た事がない?都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の獵師がわしにくれた耳木兎と云ふ鳥だ。唯、こんなに馴れてゐるのは、澤山あるまい。」
かう云ひながらあの男は、徐に手をあげて、丁度餌を食べてしまつた耳木兎の背中の毛を、そつと下から撫で上げました。するとその途端でございます。鳥は急に鋭い聲で、短く一聲啼いたと思ふと、忽ち机の上から飛び上つて、兩脚の爪を張りながら、いきなり弟子の顏へとびかかりました。もしもその時、弟子が袖をかざして、慌てて顏を隱さなかつたら、きつともう疵の一つや二つは負はされて居りましたらう。あつと云ひながら、その袖を振つて、逐ひ拂はうとする所を、耳木兎は蓋にかかつて、嘴を鳴らしながら、又一突き――弟子は師匠の前も忘れて、立つては防ぎ、坐つては逐ひ、思はず狹い部屋の中を、あちらこちらと逃げ惑ひました。怪鳥も元よりそれにつれて、高く低く翔りながら、隙さへあれば驀地に眼を目がけて飛んで來ます。その度にばさばさと、凄じく翼を鳴らすのが、落葉の匂だか、瀧の飛沫だか、或は又猿酒の饐ゑたいきれだか、何やら怪しげなもののけはひを誘つて、氣味の惡さと云つたらござ
しかし弟子が恐ろしかつたのは、何も耳木兎に襲はれると云ふ、その事ばかりではございません。いや、それよりも一層身の毛がよだつたのは、師匠の良秀がその騒ぎを冷然と眺めながら、徐に紙を展べ筆を舐つて、女のやうな少年が異形な鳥に虐まれる、物凄い有樣を寫してゐた事でございます。弟子は一目それを見ますと、忽ち云ひやうのない恐ろしさに脅かされて、實際一時は師匠の爲に、殺されるのではないかとさへ、思つたと申して居りました。
實際師匠に殺されると云ふ事も、全くないとは申されません。現にその晩わざわざ弟子を呼びよせたのでさへ、實は耳木兎を唆かけて、弟子の逃げまはる有樣を寫さうと云ふ魂膽らしかつたのでございます。でございますから、弟子は、師匠の容子を一目見るが早いか、思はず兩袖に頭を隱しながら、自分にも何と云つたかわからないやうな悲鳴をあげて、その儘部屋の隅の遣戸の裾へ、居すくまつてしまひました。とその拍子に、良秀も何やら慌てたやうな聲をあげて、立上つた氣色でございましたが、忽ち耳木兎の羽音が一層前よりはげしくなつて、物の倒れる音や破れる音が、けたたましく聞えるではございませんか。これには弟子も二度、度を失つて、思はず隱してゐた頭を上げて見ますと、部屋の中は何時かまつ暗になつてゐて、師匠の弟子たちを呼び立てる聲が、その中で苛立たしさうにして居ります。
やがて弟子の一人が、遠くの方で返事をして、それから灯をかざしながら、
かう云ふ類の事は、その外まだ、幾つとなくございました。前には申し落しましたが、地獄變の屏風を描けと云ふ御沙汰があつたのは、秋の初でございますから、それ以來冬の末まで、良秀の弟子たちは、絶えず師匠の怪しげな振舞に脅かされてゐた訣でございます。が、その冬の末に良秀は何か屏風の畫で、自由にならない事が出來たのでございませう、それまでよりは、一層容子も陰氣になり、物云ひも目に見えて、荒々しくなつて參りました。と同時に又屏風の畫も、下畫が八分通り出來上つた儘、更に捗どる模樣はございません。いや、どうかすると今までに描いた所さへ、塗り消してもしまひ兼ねない氣色なのでございます。
その癖、屏風の何が自由にならないのだか、それは誰にもわかりません。又誰もわからうとしたものもございますまい。前のいろいろな出來事に懲りてゐ
從つてその間の事に就いては、別に取り立てて申し上げる程の御話もございません。もし強ひて申し上げると致しましたら、それはあの強情な老爺が、何故か妙に涙脆くなつて、人のゐない所では時々獨りで泣いてゐたと云ふ御話位なものでございませう。殊に或日、何かの用で弟子の一人が、庭先へ參りました時なぞは、廊下に立つてぼんやり春の近い空を眺めてゐる師匠の眼が、涙で一ぱいになつてゐたさうでございます。弟子はそれを見ますと、反つてこちらが恥しいやうな氣がしたので、默つてこそこそ引き返したと申す事でございま
所が一方良秀がこのやうに、まるで正氣の人間とは思はれない程夢中になつて、屏風の繪を描いて居ります中に、又一方ではあの娘が、何故かだんだん氣鬱になつて、私どもにさへ涙を堪へてゐる容子が、眼に立つて參りました。それが元來愁顏の、色の白い、つつましやかな女だけに、かうなると何だか睫毛が重くなつて、眼のまはりに隈がかかつたやうな、餘計寂しい氣が致すのでございます。始はやれ父思ひのせゐだの、やれ戀煩ひをしてゐるからだの、いろいろ臆測を致したものがございますが、中頃から、なにあれは大殿樣が御意に從はせようとしていらつしやるのだと云ふ評判が立ち始めて、夫からは誰も忘れた樣に、ぱつたりあの娘の噂をしなくなつて了ひました。
丁度その頃の事でございませう。或夜、更が闌けてから、私が獨り御廊下を通りかかりますと、あの猿の良秀がいきなりどこからか飛んで參りまして、私の裾を頻りにひつぱるのでございます。確、もう梅の匂でも致しさうな、うすい月の光のさしてゐる、暖い夜でございましたが、其明りですかして見ますと、猿はまつ白な齒をむき出しながら、鼻の先へ皺をよせて、氣が違はないばかりにけたたましく啼き立ててゐるではございませんか。私は氣味の惡いのが三分と、新しい袴をひつぱられる腹立たしさが七分とで、最初は猿を蹴放して、その儘通りすぎようかとも思ひましたが、又思ひ返して見ますと、前にこの猿を折檻して、若殿樣の御不興を受けた侍の例もございます。それに猿の振舞が、どうも唯事とは思はれません。そこでとうとう私も思ひ切つて、そのひつぱる方へ五六間歩くともなく歩いて參りました。
すると御廊下が一曲り曲つて、夜目にもうす白い御池の水が枝ぶりのやさしい松の向うにひろびろと見渡せる、丁度そこ迄參つた時の事でございます。どこか近くの部屋の中で人の爭つてゐるらしいけはひが、慌しく、又妙にひつそりと私の耳を脅しました。あたりはどこも森と靜まり返つて、月明りとも靄ともつかないものの中で、魚の跳る音がする外は、話し聲一つ聞えません。そこへこの物音でございますから、私は思はず立止つて、もし狼藉者ででもあつたなら目にもの見せてくれようと、そつとその遣戸の外へ、息をひそめながら身をよせました。
所が猿は私のやり方がまだるかつたのでございませう。良秀はさもさももどかしさうに、二三度私の足のまはりを駈けまはつたと思ひますと、まるで咽を
それが良秀の娘だつたことは、何もわざわざ申し上げるまでもございますま
すると娘は脣を噛みながら、默つて首をふりました。その容子が如何にも亦口惜しさうなのでございます。
そこで私は身をかがめながら、娘の耳へ口をつけるやうにして、今度は「誰です」と小聲で尋ねました。が、娘はやはり首を振つたばかりで、何とも返事を致しません。いや、それと同時に長い睫毛の先へ、涙を一ぱいためながら、
性得愚な私には、分りすぎてゐる程分つてゐる事の外は、生憎何一つ呑みこめません。でございますから、私は語のかけやうも知らないで、暫くは唯、娘の胸の動悸に耳を澄ませるやうな心もちで、ぢつとそこに立ちすくんで居りました。尤もこれは一つには、何故かこの上問ひ訊すのが惡いやうな、氣咎めが致したからでもございます。――
それがどの位續いたか、わかりません。が、やがて開け放した遣戸を閉しながら、少しは上氣の褪めたらしい娘の方を見返つて、「もう曹司へ御歸りなさい」と出來る丈やさしく申しました。さうして私も自分ながら、何か見てはならないものを見たやうな、不安な心もちに脅されて、誰にともなく恥しい思ひをしながら、そつと元來た方へ歩き出しました。所が十歩と歩かない中に、誰か又私の袴の裾を、後から恐る恐る、引き止めるではございませんか。私は驚
見るとそれは私の足もとにあの猿の良秀が、人間のやうに兩手をついて、黄金の鈴を鳴らしながら、何度となく丁寧に頭を下げてゐるのでございました。
するとその晩の出來事があつてから、半月ばかり後の事でございます。或日良秀は突然御邸へ參りまして、大殿樣へ直の御眼通りを願ひました。卑しい身分のものでございますが、日頃から格別御意に入つてゐたからでございませう。誰にでも容易に御會ひになつた事のない大殿樣が、その日も快く御承知になつて、早速御前近くへ御召になりました。あの男は例の通り香染めの狩衣に萎えた烏帽子を頂いて、何時もよりは一層氣むづかしさうな顏をしながら、恭しく
「兼ね兼ね御云ひつけになりました地獄變の屏風でございますが、私も日夜に丹誠を抽んでて、筆を執りました甲斐が見えまして、もはやあらまし出來上つたのも同然でございまする。」
「それは目出度い。予も滿足ぢや。」
しかしかう仰有る大殿樣の御聲には、何故か妙に力の無い、張合のぬけた所がございました。
「いえ、それが一向目出度くはござりませぬ。」良秀は、稍腹立しさうな容子でぢつと眼を伏せながら、「あらましは出來上りましたが、唯一つ、今以て私には描けぬ所がございまする。」
「なに、描けぬ所がある?」
「さやうでございまする。私は總じて、見たものでなければ描けませぬ。よし
これを御聞きになると、大殿樣の御顏には、嘲るやうな御微笑が浮びました。
「では地獄變の屏風を描かうとすれば、地獄を見なければなるまいな。」
「さやうでござりまする。が、私は先年大火事がございました時に、炎熱地獄の猛火にもまがふ火の手を、眼のあたりに眺めました。『よぢり不動』の火焔を描きましたのも、實はあの火事に遇つたからでございまする。御前もあの繪は御承知でございませう。」
「しかし罪人はどうぢや。獄卒は見た事があるまいな。」大殿樣はまるで良秀の申す事が御耳にはひらなかつたやうな御容子で、かう疊みかけて御尋ねになりました。
「私は鐵の鎖に縛られたものを見た事がございまする。怪鳥に惱まされるものの姿も、具に寫しとりました。されば罪人の呵責に苦しむ樣も知らぬと申され
それには大殿樣も、流石に御驚きになつたでございませう。暫くは唯苛立たしさうに、良秀の顏を睨めて御出でになりましたが、やがて眉を險しく御動かしになりながら、「では何が描けぬと申すのぢや。」と打捨るやうに仰有いました。
「私は屏風の唯中に、檳榔毛の車が一輛、空から落ちて來る所を描かうと思つて居りまする。」良秀はかう云つて、始めて鋭く大殿樣の御顏を眺めました。あの男は畫の事を云ふと、氣違ひ同樣になるとは聞いて居りましたが、その時の眼のくばりには確にさやうな恐ろしさがあつたやうでございます。
「その車の中には、一人のあでやかな上臈が、猛火の中に黒髮を亂しながら、悶え苦しんでゐるのでございまする。顏は煙に咽びながら、眉を顰めて、空ざまに車蓋を仰いで居りませう。手は下簾を引きちぎつて、降りかかる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬ。さうしてそのまはりには、怪しげな鷙鳥が十羽となく、二十羽となく、嘴を鳴らして粉々と飛び繞つてゐるのでございまする。――ああ、それが、牛車の中の上臈が、どうしても私には描けませぬ。」
「さうして――どうぢや。」
大殿樣はどう云ふ訣か、妙に悦ばしさうな御氣色で、かう良秀を御促しにな
「それが私には描けませぬ。」と、もう一度繰返しましたが、突然噛みつくやうな勢になつて、
「どうか檳榔毛の車を一輛、私の見てゐる前で、火をかけて頂きたうございまする。さうしてもし出來まするならば――」
大殿樣は御顏を暗くなすつたと思ふと、突然けたたましく御笑ひになりました。さうしてその御笑ひ聲に息をつまらせながら、仰有いますには、
「おお、萬事その方が申す通りに致して遣はさう。出來る出來ぬの詮議は無益の沙汰ぢや。」
私はその御語を伺ひますと、蟲の知らせか、何となく凄じい氣が致しました。實際又大殿樣の御容子も、御口の端には白く泡がたまつて居りますし、御眉の
「檳榔毛の車にも火をかけよう。又その中にはあでやかな女を一人、上臈の裝をさせて乘せて遣はさう。炎を黒煙とに攻められて、車の中の女が悶え死をする――それを描かうと思ひついたのは、流石に天下第一の繪師ぢや。褒めてとらす。おお、褒めてとらすぞ。」
大殿樣の御語を聞きますと、良秀は急に色を失つて喘ぐやうに唯、脣ばかり動して居りましたが、やがて體中の筋が緩んだやうに、べたりと疊へ兩手をつくと、
「難有い仕合せでございまする。」と、聞えるか聞えないかわからない程低い
それから二三日した夜の事でございます。大殿樣は御約束通り、良秀を御召になつて、檳榔毛の車の燒ける所を、目近く見せて御やりになりました。尤もこれは堀川の御邸であつた事ではございません。俗に雪解の御所と云ふ、昔大殿樣の妹君がいらしつた洛外の山莊で、御燒きになつたのでございます。
この雪解の御所と申しますのは、久しくどなたにも御住ひにはならなかつた
丁度その夜はやはり月のない、まつ暗な晩でございましたが、大殿油の灯影で眺めますと、縁に近く座を御占めになつた大殿樣は、淺黄の直衣に濃い紫の浮紋の指貫を御召になつて、白地の錦の縁をとつた圓座に、高々とあぐらを組んでいらつしやいました。その前後左右に御側の者どもが五六人、恭しく居並んで居りましたのは、別に取り立てて申し上げるまでもございますまい。が、
その上に又、御庭に引き据ゑた檳榔毛の車が、高い車蓋にのつしりと暗を抑へて、牛はつけず黒い轅を斜に榻へかけながら、金物の黄金を星のやうに、ちらちら光らせてゐるのを眺めますと、春とは云ふものの何となく肌寒い氣が致します。尤もその車の内は、浮線綾の縁をとつた青簾が、重く封じこめて居りますから、はこには何がはひつてゐるか判りません。さうしてそのまはりには仕丁たちが、手ん手に燃えさかる松明を執つて、煙が御縁の方へ靡くのを氣にしながら、仔細らしく控へて居ります。
當の良秀は稍離れて、丁度御縁の眞向に、跪いて居りましたが、これは何時もの香染らしい狩衣に萎えた揉烏帽子を頂いて、星空の重みに壓されたかと思ふ位、何時もよりは猶小さく、見すぼらしげに見えました。その後に又一人同じやうな烏帽子狩衣の蹲つたのは、多分召し連れた弟子の一人ででもございませうか。それが丁度二人とも、遠いうす暗がりの中に蹲つて居りますので、私のゐた御縁の下からは、狩衣の色さへ定かにはわかりません。
時刻は彼是眞夜中にも近かつたでございませう。林泉をつつんだ暗がひつそりと聲を呑んで、一同のする息を窺つてゐると思ふ中には、唯かすかな夜風の渡る音がして、松明の煙がその度に煤臭い匂を送つて參ります。大殿樣は暫く
「良秀、」と、鋭く御呼びかけになりました。
良秀は何やら御返事を致したやうでございますが、私の耳には唯、唸るやうな聲しか聞えて參りません。
「良秀。今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せて遣はさう。」
大殿樣はかう仰有つて、御側の者たちの方を流し眄に御覽になりました。その時何か大殿樣と御側の誰彼との間には、意味ありげな微笑が交されたやうにも見うけましたが、これは或は私の氣のせゐかも分りません。すると良秀は畏る畏る頭を擧げて御縁の上を仰いだらしうございますが、やはり何も申し上げずに控へて居ります。
「よう見い。それは予が日頃乘る車ぢや。その方も覺えがあらう。――予はそ
大殿樣は又語を御止めになつて、御側の者たちにめくばせをなさいました。それから急に苦々しい御調子で、「その中には罪人の女房が一人、縛めた儘乘せてある。されば車に火をかけたら、必定その女めは肉を燒き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであらう。その方が屏風を仕上げるには、又とない好い手本ぢや。雪のやうな肌が燃え爛れるのを見のがすな。黒髮が火の粉になつて、舞ひ上るさまもよう見て置け。」
大殿樣は三度口を御噤みになりましたが、何を御思になつたのか、今度は唯肩を搖つて、聲も立てずに御笑ひなさりながら、
「末代までもない觀物ぢや。予もここで見物しよう。それそれ、簾を揚げて、良秀に中の女を見せて遣はさぬか。」
仰を聞くと仕丁の一人は、片手に松明の火を高くかざしながら、つかつかとはこの中を鮮かに照し出しましたが、とこの上に慘らしく、鎖にかけられた女房は――ああ、誰か見違へを致しませう。きらびやかな繍のある櫻の唐衣にすべらかしの黒髮が艶やかに垂れて、うちかたむいた黄金の釵子も美しく輝いて見えましたが、身なりこそ違へ、小造りな體つきは、猿轡のかかつた頸のあたりは、さうしてあの寂しい位つつましやかな横顏は、良秀の娘に相違ございません。私は危く叫び聲を立てようと致しました。
その時でございます。私と向ひあつてゐた侍は慌しく身を起して、柄頭を片手に抑へながら、屹と良秀の方を睨みました。それに驚いて眺めますと、あの男はこの景色に、半ば正氣を失つたのでございませう。今まで下に蹲つてゐたのが、急に飛び立つたと思ひますと、兩手を前へ伸した儘、車の方へ思はず知
火は見る見る中に、車蓋をつつみました。庇についた紫の流蘇が、煽られたやうにさつと靡くと、その下から濛々と夜目にも白い煙が渦を卷いて、或は簾、
良秀のその時の顏つきは、今でも私は忘れません。思はず車の方へ驅け寄らうとしたあの男は、火が燃え上ると同時に、足を止めて、やはり手をさし伸した儘、食ひ入るばかりの眼つきをして、車をつつむ焔煙を吸ひつけられたやうに眺めて居りましたが、滿身に浴びた火の光で、皺だらけな醜い顏は、髭の先までもよく見えます。が、その大きく見開いた眼の中と云ひ、引き歪めた脣のあたりと云ひ、或は又絶えず引き攣つてゐる頬の肉の震へと云ひ、良秀
が、大殿樣は緊く脣を御噛みになりながら、時々氣味惡く御笑ひになつて、眼も放さずぢつと車の方を御見つめになつていらつしやいます。さうしてその車の中には――ああ、私はその時、その車にどんな娘の姿を眺めたか、それを詳しく申し上げる勇氣は、到底あらうとも思はれません。あの煙に咽んで仰向けた顏の白さ、焔を掃つてふり亂れた髮の長さ、それから又見る間に火と變つて行く、櫻の唐衣の美しさ、――何と云ふ慘たらしい景色でございましたらう。殊に夜風が一下しして、煙が向うへ靡いた時、赤い上に金粉を撒いたやうな、焔の中から浮き上つて、猿轡を噛みながら、縛の鎖も切れるばかり身悶えをした
するとその夜風が又一渡り、御庭の木々の梢にさつと通ふ――と誰でも、思ひましたらう。さう云ふ音が暗い空を、どことも知らず走つたと思ふと、忽ち何か黒いものが、地にもつかず宙にも飛ばず、鞠のやうに躍りながら、御所の屋根から火の燃えさかる車の中へ、一文字にとびこみました。さうして朱塗のやうな袖格子が、ばらばらと燒け落ちる中に、のけ反つた娘の肩を抱いて、帛を裂くやうな鋭い聲を、何とも云へず苦しさうに、長く煙の外へ飛ばせました。續いて又、二聲三聲――私たちは我知らず、あつと同音に叫びました。壁代のやうな焔を後にして、娘の肩に縋つてゐるのは、堀川の御邸に繋いであつた、あの良秀と諢名のある、猿だつたのでございますから。
が、猿の姿が見えたのは、ほんの一瞬間でございました。金梨子地のやうな火の粉が一しきり、ぱつと空へ上つたかと思ふ中に、猿は元より娘の姿も、黒煙の底に隱されて、御庭のまん中には唯、一輛の火の車が凄じい音を立てながら、燃え沸つてゐるばかりでございます。いや、火の車と云ふよりも、或は火の柱と云つた方が、あの星空を衝いて煮え返る、恐ろしい火焔の有樣にはふさはしいかも知れません。
その火の柱を前にして、凝り固まつたやうに立つてゐる良秀は、――何と云ふ不思議な事でございませう。あのさつきまで地獄の責苦に惱んでゐたやうな良秀は、今は云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だ
しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の斷末魔を嬉しさうに眺めてゐた、そればかりではございません。その時の良秀には、何故か人間とは思はれない、夢に見る獅子王の怒りに似た怪しげな嚴さがございました。でございますから不意の火の手に驚いて、啼き騒ぎながら飛びまはる數の知れない夜鳥でさへ、氣のせゐか良秀の揉烏帽子のまはりへは、近づかなかつたやうでございます。恐らくは無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、圓光の如く懸つてゐる、不可思議な威嚴が見えたのでございませう。
鳥でさへさうでございます。まして私たち仕丁までも、皆息をひそめながら、身の内も震へるばかり、異樣な隨喜の心に充ち滿ちて、まるで開眼の佛でも見るやうに、眼も離さず、良秀を見つめました。空一面に鳴り渡る車の火と、それに魂を奪はれて、立ちすくんでゐる良秀と――何と云ふ莊嚴、何と云ふ歡喜でございませう。が、その中でたつた一人、御縁の上の大殿樣だけは、まるで別人かと思はれる程、御顏の色も青ざめて、口元に泡を御ためになりながら、紫の指貫の膝を兩手にしつかり御つかみになつて、丁度喉の渇いた獸のやうに喘ぎつづけていらつしやいました。……
その夜雪解の御所で、大殿樣が車を御燒きになつた事は、誰の口からともな
それからあの良秀が、目前で娘を燒き殺されながら、それでも屏風の畫を描きたいと云ふその木石のやうな心もちが、やはり何かとあげつらはれたやうでございます。中にはあの男を罵つて、畫の爲に親子の情愛も忘れてしまふ、人面獸心の曲者だなどと申すものもございました。あの横川の僧都樣などは、かう云ふ考へに味方なすつた御一人で、「如何に一藝一能に秀でようとも、人として五常を辨へねば、地獄に墮ちる外はない」などと、よく仰有つたものでございます。
所がその後一月ばかり經つて、愈地獄變の屏風が出來上りますと、良秀は早速それを御邸へ持つて出て、恭しく大殿樣の御覽に供へました。丁度その時は僧都樣も御居合せになりましたが、屏風の畫を一目御覽になりますと、流石にあの一帖の天地に吹き荒んでゐる火の嵐の恐ろしさに御驚きなすつたのでございませう。それまでは苦い顏をなさりながら、良秀の方をじろじろ睨めつけていらしつたのが、思はず知らず膝を打つて、「出かし居つた」と仰有いました。この語を御聞になつて、大殿樣が苦笑なすつた時の御容子も、未だに私は忘れません。
それ以來あの男を惡く云ふものは、少くとも御邸の中だけでは、殆ど一人もゐなくなりました。誰でもあの屏風を見るものは、如何に日頃良秀を憎く思つてゐるにせよ、不思議に嚴な心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如實に感
しかしさうなつた時分には、良秀はもうこの世に無い人の數にはひつて居りました。それも屏風の出來上つた次の夜に、自分の部屋の梁へ繩をかけて、縊れ死んだのでございます。一人娘を先立てたあの男は、恐らく安閑として生きながらへるのに堪へなかつたのでございませう。死骸は今でもあの男の家の跡に埋まつて居ります。尤も小さな標の石は、その後何十年かの風雨に曝されて、とうの昔誰の墓とも知れないやうに、苔蒸してゐるにちがひございません。
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これは或精神病院の患者――第二十三號が誰にでもしやべる話である。彼はもう三十を越してゐるであらう。が、一見した所は如何にも若々しい狂人である。彼の半生の經驗は、――いや、そんなことはどうでも善い。彼は唯ぢつと兩膝をかかへ、時々窓の外へ目をやりながら、(鐵格子をはめた窓の外には枯れ葉さへ見えない樫の木が一本、雪曇りの空に枝を張つてゐた。)院長のS博士や僕を相手に長々とこの話をしやべりつづけた。尤も身ぶりはしなかつた訣ではない。彼はたとへば「驚いた」と言ふ時には急に顏をのけ反らせたりした。……
僕はかう云ふ彼の話を可なり正確に寫したつもりである。若し又誰か僕の筆記に飽き足りない人があるとすれば、東京市外××村のS精神病院を尋ねて見るが善い。年よりも若い第二十三號はまづ丁寧に頭を下げ、蒲團のない椅子を指さすであらう。それから憂鬱な微笑を浮かべ、靜かにこの話を繰り返すであらう。最後に、――僕はこの話を終つた時の彼の顏色を覺えてゐる。彼は最後に身を起すが早いか、忽ち拳骨をふりまはしながら、誰にでもかう怒鳴りつけるであらう。――「出て行け! この悪黨めが! 貴樣も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、圖々しい、うぬ惚れきつた、殘酷な、蟲の善い動物なんだらう。出て行け! この悪黨めが!」
三年前の夏のことです。僕は人並みにリユツク・サツクを背負ひ、あの上高地の温泉宿から穗高山へ登らうとしました。穗高山へ登るのには御承知の通り梓川を溯る外はありません。僕は前に穗高山は勿論、槍ケ岳にも登つてゐましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登つて行きました。朝霧の下りた梓川の谷を――しかしその霧はいつまでたつても晴れる景色は見えません。のみならず反つて深くなるのです。僕は一時間ばかり歩いた後、一度は上高地の温泉宿へ引き返すことにしようかと思ひました。けれども上高地へ引き返すにしても、兎に角霧の晴れるのを待つた上にしなければなりません。と云つて霧は一刻毎にずんずん深くなるばかりなのです。「ええ、一そ登つてしまへ。」――僕はかう考へましたから、梓川の谷を離れないやうに熊笹の中を分けて行きました。
しかし僕の目を遮るものはやはり深い霧ばかりです。尤も時々霧の中から太い毛生欅や樅の枝が青あをと葉を垂らしたのも見えなかつた訣ではありません。それから又放牧の馬や牛も突然僕の前へ顏を出しました。けれどもそれ等は見えたと思ふと、忽ち又濛々とした霧の中に隱れてしまふのです。そのうちに足もくたびれて來れば、腹もだんだん減りはじめる、――おまけに霧に濡れ透つた登山服や毛布なども並み大抵の重さではありません。僕はとうとう我を折りましたから、岩にせかれてゐる水の音を便りに梓川の谷へ下りることにしました。
僕は水ぎはの岩に腰かけ、とりあへず食事にとりかかりました。コオンド・ビイフの罐を切つたり、枯れ枝を集めて火をつけたり、――そんなことをしてゐるうちに彼是十分はたつたでせう。その間にどこまでも意地の惡い霧はいつかほのぼのと晴れかかりました。僕はパンを噛じりながら、ちよつと腕時計を覗いて見ました。時刻はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か氣味の惡い顏が一つ、圓い腕時計の硝子の上へちらりと影を落したことです。僕は驚いてふり返りました。すると、――僕が河童と云ふものを見たのは實にこの時が始めてだつたのです。僕の後ろにある岩の上には畫にある通りの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱へ、片手は目の上にかざしたなり、珍らしさうに僕を見おろしてゐました。
僕は呆つ氣にとられたまま、暫くは身動きもしずにゐました。河童もやはり驚いたと見え、目の上の手さへ動かしません。そのうちに僕は飛び立つが早いか、岩の上の河童へ躍りかかりました。同時に又河童も逃げ出しました。いや、恐らくは逃げ出したのでせう。實はひらりと身を反したと思ふと、忽ちどこかへ消えてしまつたのです。僕は愈驚きながら、熊笹の中を見まはしました。すると河童は逃げ腰をしたなり、二三メエトル隔つた向うに僕を振り返つて見てゐるのです。それは不思議でも何でもありません。しかし僕に意外だつたのは、河童の體の色のことです。岩の上に僕を見てゐた河童は一面に灰色を帶びてゐました。けれども今は體中すつかり緑いろに變つてゐるのです。僕は「畜生!」とおほ聲を擧げ、もう一度河童へ飛びかかりました。河童が逃げ出したのは勿論です。それから僕は三十分ばかり、熊笹を突きぬけ、岩を飛び越え、遮二無二河童を追ひつづけました。
河童も亦足の早いことは決して猿などに劣りません。僕は夢中になつて追ひかける間に何度もその姿を見失はうとしました。のみならず足を辷らして轉がつたことも度たびです。が、大きい橡の木が一本、太ぶとと枝を張つた下へ來ると、幸ひにも放牧の牛が一匹、河童の往く先へ立ち塞がりました。しかもそれは角の太い、目を血走らせた牡牛なのです、河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴を擧げながら、一きは高い熊笹の中へもんどりを打つやうに飛び込みました。僕は、――僕も「しめた」と思ひましたから、いきなりそのあとへ追ひすがりました。するとそこには僕の知らない穴でもあいてゐたのでせう。僕は滑かな河童の背中にやつと指先がさはつたと思ふと、忽ち深い闇の中へまつ逆さまに轉げ落ちました。が、我々人間の心はかう云ふ危機一髪の際にも途方もないことを考へるものです。僕は「あつ」と思ふ拍子にあの上高地の温泉宿の側に「河童橋」と云ふ橋があるのを思ひ出しました。それから、――それから先のことは覺えてゐません。僕は唯目の前に稻妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正氣を失つてゐました。
そのうちにやつと氣がついて見ると、僕は仰向けに倒れたまま、大勢の河童にとり圍まれてゐました。のみならず太い嘴の上に鼻目金をかけた河童が一匹、僕の側へ跪きながら、僕の胸へ聽診器を當ててゐました。その河童は僕が目をあいたのを見ると、僕に「靜かに」と云ふ手眞似をし、それから誰か後ろにゐる河童へQuax, quax と聲をかけました。するとどこからか河童が二匹、擔架を持つて歩いて來ました。僕はこの擔架にのせられたまま、大勢の河童の群がつた中を靜かに何町か進んで行きました。僕の兩側に並んでゐる町は少しも銀座通りと違ひありません。やはり毛生欅の並み木のかげにいろいろの店が日除けを並べ、その又並み木に挾まれた道を自動車が何臺も走つてゐるのです。
やがて僕を載せた擔架は細い横町を曲つたと思ふと、或家の中へ舁ぎこまれました。それは後に知つた所によれば、あの鼻目金をかけた河童の家、――チヤツクと云ふ醫者の家だつたのです。チヤツクは僕を小綺麗なベツドの上へ寢かせました。それから何か透明な水藥を一杯飮ませました。僕はベツドの上に横たはつたなり、チヤツクのするままになつてゐました。實際又僕の體は碌に身動きも出來ないほど、節々が痛んでゐたのですから。
チヤツクは一日に二三度は必ず僕を診察に來ました。又三日に一度位は僕の最初に見かけた河童、――バツグと云ふ漁夫も尋ねて來ました。河童は我々人間が河童のことを知つてゐるよりも遙かに人間のことを知つてゐます。それは我々人間が河童を捕獲することよりもずつと河童が人間を捕獲することが多い爲でせう。捕獲と云ふのは當らないまでも、我々人間は僕の前にも度々河童の國へ來てゐるのです。のみならず一生河童の國に住んでゐたものも多かつたのです。なぜと言つて御覽なさい。僕等は唯河童ではない、人間であると云ふ特權の爲に働かずに食つてゐられるのです。現にバツグの話によれば、或若い道路工夫などはやはり偶然この國へ來た後、雌の河童を妻に娶り、死ぬまで住んでゐたと云ふことです。尤もその又雌の河童はこの國第一の美人だつた上、夫の道路工夫を護摩化すのにも妙を極めてゐたと云ふことです。
僕は一週間ばかりたつた後、この國の法律の定める所により、「特別保護住民」としてチヤツクの隣に住むことになりました。僕の家は小さい割に如何にも瀟洒と出來上つてゐました。勿論この國の文明は我々人間の國の文明――少くとも日本の文明などと餘り大差はありません。往來に面した客間の隅には小さいピアノが一臺あり、それから又壁には額縁へ入れたエツテイングなども懸つてゐました。唯肝腎の家をはじめ、テエブルや椅子の寸法も河童の身長に合はせてありますから、子供の部屋に入れられたやうにそれだけは不便に思ひました。
僕はいつも日暮れがたになると、この部屋にチヤツクやバツグを迎へ、河童の言葉を習ひました。いや、彼等ばかりではありません。特別保護住民だつた僕に誰も皆好奇心を持つてゐましたから、毎日血壓を調べて貰ひに、わざわざチヤツクを呼び寄せるゲエルと云ふ硝子會社の社長などもやはりこの部屋へ顏を出したものです。しかし最初の半月ほどの間に一番僕と親しくしたのはやはりあのバツグと云ふ漁夫だつたのです。
或生暖かい日の暮です。僕はこの部屋のテエブルを中に漁夫のバツグと向ひ合つてゐました。するとバツグはどう思つたか、急に默つてしまつた上、大きい目を一層大きくしてぢつと僕を見つめました。僕は勿論妙に思ひましたから、「Quax, Bag, quo quel quan? 」と言ひました。これは日本語に飜譯すれば、「おい、バツグ、どうしたんだ」と云ふことです。が、バツグは返事をしません。のみならずいきなり立ち上ると、べろりと舌を出したなり、丁度蛙の跳ねるやうに飛びかかる氣色さへ示しました。僕は愈無氣味になり、そつと椅子から立ち上ると、一足飛びに戸口へ飛び出さうとしました。丁度そこへ顏を出したのは幸ひにも醫者のチヤツクです。
「こら、バツグ、何をしてゐるのだ?」
チヤツクは鼻目金をかけたまま、かう云ふバツグを睨みつけました。するとバツグは恐れ入つたと見え、何度も頭へ手をやりながら、かう言つてチヤツクにあやまるのです。
「どうもまことに相すみません。實はこの旦那の氣味惡がるのが面白かつたものですから、つい調子に乘つて惡戲をしたのです。どうか旦那も堪忍して下さい。」
僕はこの先を話す前にちよつと河童と云ふものを説明して置かなければなりません。河童は未だに實在するかどうかも疑問になつてゐる動物です。が、それは僕自身が彼等の間に住んでゐた以上、少しも疑ふ餘地はない筈です。では又どう云ふ動物かと云へば、頭に短い毛のあるのは勿論、手足に水掻きのついてゐることも「水虎考略」などに出てゐるのと著しい違ひはありません。身長もざつと一メエトルを越えるか越えぬ位でせう。體重は醫者のチヤツクによれば、二十ポンドから三十ポンドまで、――稀には五十何ポンド位の大河童もゐると言つてゐました。それから頭のまん中には楕圓形の皿があり、その又皿は年齡により、だんだん固さを加へるやうです。現に年をとつたバツグの皿は若いチヤツクの皿などとは全然手ざはりも違ふのです。しかし一番不思議なのは河童の皮膚の色のことでせう。河童は我々人間のやうに一定の皮膚の色を持つてゐません。何でもその周圍の色と同じ色に變つてしまふ、――たとへば草の中にゐる時には草のやうに緑色に變り、岩の上にゐる時には岩のやうに灰色に變るのです。これは勿論河童に限らず、カメレオンにもあることです。或は河童は皮膚組織の上に何かカメレオンに近い所を持つてゐるのかも知れません。僕はこの事實を發見した時、西國の河童は緑色であり、東北の河童は赤いと云ふ民族學上の記録を思ひ出しました。のみならずバツグを追ひかける時、突然どこへ行つたのか、見えなくなつたことを思ひ出しました。しかも河童は皮膚の下に餘程厚い脂肪を持つてゐると見え、この地下の國の温度は比較的低いのにも關らず、(平均華氏五十度前後です。)着物と云ふものを知らずにゐるのです。勿論どの河童も目金をかけたり、卷煙草の箱を携へたり、金入れを持つたりはしてゐるでせう。しかし河童はカンガルウのやうに腹に袋を持つてゐますから、それ等のものをしまふ時にも格別不便はしないのです。唯僕に可笑しかつたのは腰のまはりさへ蔽はないことです。僕は或時この習慣をなぜかとバツグに尋ねて見ました。するとバツグはのけぞつたまま、いつまでもげらげら笑つてゐました。おまけに「わたしはお前さんの隱してゐるのが可笑しい」と返事をしました。
僕はだんだん河童の使ふ日常の言葉を覺えて來ました。從つて河童の風俗や習慣ものみこめるやうになつて來ました。その中でも一番不思議だつたのは河童は我々人間の眞面目に思ふことを可笑しがる、同時に我々人間の可笑しがることを眞面目に思ふ――かう云ふとんちんかんな習慣です。たとへば我々人間は正義とか人道とか云ふことを眞面目に思ふ、しかし河童はそんなことを聞くと、腹をかかへて笑ひ出すのです。つまり彼等の滑稽と云ふ觀念は我々の滑稽と云ふ觀念と全然標準を異にしてゐるのでせう。僕は或時醫者のチヤツクと産兒制限の話をしてゐました。するとチヤツクは大口をあいて、鼻目金の落ちるほど笑ひ出しました。僕は勿論腹が立ちましたから、何が可笑しいかと詰問しました。何でもチヤツクの返答は大體かうだつたやうに覺えてゐます。尤も多少細かい所は間違つてゐるかも知れません。何しろまだその頃は僕も河童の使ふ言葉をすつかり理解してゐなかつたのですから。
「しかし兩親の都合ばかり考へてゐるのは可笑しいですからね。どうも餘り手前勝手ですからね。」
その代りに我々人間から見れば、實際又河童のお産位、可笑しいものはありません。現に僕は暫くたつてから、バツグの細君のお産をする所をバツグの小屋へ見物に行きました。河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり醫者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて來るかどうか、よく考へた上で返事をしろ」と大きな聲で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水藥で嗽ひをしました。すると細君の腹の中の子は多少氣兼でもしてゐると見え、かう小聲に返事をしました。
「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺傳は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を惡いと信じてゐますから。」
バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を掻いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液體を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を拔いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。
かう云ふ返事をする位ですから、河童の子供は生れるが早いか、勿論歩いたりしやべつたりするのです。何でもチヤツクの話では出産後二十六日目に神の有無に就いて講演をした子供もあつたとか云ふことです。尤もその子供は二月目には死んでしまつたと云ふことですが。
お産の話をした次手ですから、僕がこの國へ來た三月目に偶然或街の角で見かけた、大きいポスタアの話をしませう。その大きいポスタアの下には喇叭を吹いてゐる河童だの劍を持つてゐる河童だのが十二三匹描いてありました。それから又上には河童の使ふ、丁度時計のゼンマイに似た螺旋文字が一面に竝べてありました。この螺旋文字を飜譯すると、大體かう云ふ意味になるのです。これも或は細かい所は間違つてゐるかも知れません。が、兎に角僕としては僕と一しよに歩いてゐた、ラツプと云ふ河童の學生が大聲に讀み上げてくれる言葉を一々ノオトにとつて置いたのです。
僕は勿論その時にもそんなことの行はれないことをラツプに話して聞かせました。するとラツプばかりではない、ポスタアの近所にゐた河童は悉くげらげら笑ひ出しました。
「行はれない? だつてあなたの話ではあなたがたもやはり我々のやうに行つてゐると思ひますがね。あなたは令息が女中に惚れたり、令孃が運轉手に惚れたりするのは何の爲だと思つてゐるのです? あれは皆無意識的に惡遺傳を撲滅してゐるのですよ。第一この間あなたの話したあなたがた人間の義勇隊よりも、――一本の鐡道を奪ふ爲に互に殺し合ふ義勇隊ですね、――ああ云ふ義勇隊に比べれば、ずつと僕たちの義勇隊は高尚ではないかと思ひますがね。」
ラツプは眞面目にかう言ひながら、しかも太い腹だけは可笑しさうに絶えず浪立たせてゐました。が、僕は笑ふどころか、慌てて或河童を掴まへようとしました。それは僕の油斷を見すまし、その河童が僕の萬年筆を盗んだことに氣がついたからです。しかし皮膚の滑かな河童は容易に我々には掴まりません。その河童もぬらりと辷り拔けるが早いか一散に逃げ出してしまひました。丁度蚊のやうに痩せた體を倒れるかと思ふ位のめらせながら。
僕はこのラツプと云ふ河童にバツグにも劣らぬ世話になりました。が、その中でも忘れられないのはトツクと云ふ河童に紹介されたことです。トツクは河童仲間の詩人です。詩人が髪を長くしてゐることは我々人間と變りません。僕は時々トツクの家へ退屈凌ぎに遊びに行きました。トツクはいつも狹い部屋に高山植物の鉢植ゑを並べ、詩を書いたり煙草をのんだり、如何にも氣樂さうに暮らしてゐました。その又部屋の隅には雌の河童が一匹、(トツクは自由戀愛家ですから、細君と云ふものは持たないのです。)編み物か何かしてゐました。トツクは僕の顏を見ると、いつも微笑してかう言ふのです。(尤も河童の微笑するのは餘り好いものではありません。少くとも僕は最初のうちは寧ろ無氣味に感じたものです。)
「やあ、よく來たね。まあ、その椅子にかけ給へ。」
トツクはよく河童の生活だの河童の藝術だのの話をしました。トツクの信ずる所によれば、當り前の河童の生活位、莫迦げてゐるものはありません。親子夫婦兄弟などと云ふのは悉く互に苦しめ合ふことを唯一の樂しみにして暮らしてゐるのです。殊に家族制度と云ふものは莫迦げてゐる以上にも莫迦げてゐるのです。トツクは或時窓の外を指さし、「見給へ。あの莫迦げさ加減を!」と吐き出すやうに言ひました。窓の外の往來にはまだ年の若い河童が一匹、兩親らしい河童を始め、七八匹の雌雄の河童を頸のまはりへぶら下げながら、息も絶え絶えに歩いてゐました。しかし僕は年の若い河童の犠牲的精神に感心しましたから、反つてその健氣さを褒め立てました。
「ふん、君はこの國でも市民になる資格を持つてゐる。……時に君は社會主義者かね?」
僕は勿論 qua (これは河童の使ふ言葉では「然り」と云ふ意味を現すのです。)と答へました。
「では百人の凡人の爲に甘んじて一人の天才を犠牲にすることも顧みない筈だ。」
「では君は何主義者だ?誰かトツク君の信條は無政府主義だと言つてゐたが、……」
「僕か?僕は超人(直譯すれば超河童です。)だ。」
トツクは昂然と言ひ放ちました。かう云ふトツクは藝術の上にも獨特な考へを持つてゐます。トツクの信ずる所によれば、藝術は何ものの支配をも受けない、藝術の爲の藝術である、從つて藝術家たるものは何よりも先に善惡を絶した超人でなければならぬと云ふのです。尤もこれは必しもトツク一匹の意見ではありません。トツクの仲間の詩人たちは大抵同意見を持つてゐるやうです。現に僕はトツクと一しよに度たび超人倶樂部へ遊びに行きました。超人倶樂部に集まつて來るのは詩人、小説家、戲曲家、批評家、畫家、音樂家、彫刻家、藝術上の素人等です。しかしいづれも超人です。彼等は電燈の明るいサロンにいつも快活に話し合つてゐました。のみならず時には得々と彼等の超人ぶりを示し合つてゐました。たとへば或彫刻家などは大きい鬼羊齒の鉢植ゑの間に年の若い河童をつかまへながら、頻に男色を弄んでゐました。又或雌の小説家などはテエブルの上に立ち上つたなり、アブサントを六十本飮んで見せました。尤もこれは六十本目にテエブルの下へ轉げ落ちるが早いか、忽ち往生してしまひましたが。
僕は或月の好い晩、詩人のトツクと肘を組んだまま、超人倶樂部から歸つて來ました。トツクはいつになく沈みこんで一ことも口を利かずにゐました。そのうちに僕等は火かげのさした、小さい窓の前を通りかかりました。その又窓の向うには夫婦らしい雌雄の河童が二匹、三匹の子供の河童と一しよに晩餐のテエブルに向つてゐるのです。するとトツクはため息をしながら、突然かう僕に話しかけました。
「僕は超人的戀愛家だと思つてゐるがね、ああ云ふ家庭の容子を見ると、やはり羨しさを感じるんだよ。」
「しかしそれはどう考へても、矛盾してゐるとは思はないかね?」
けれどもトツクは月明りの下にぢつと腕を組んだまま、あの小さい窓の向うを、――平和な五匹の河童たちの晩餐のテエブルを見守つてゐました。それから暫くしてかう答へました。
「あすこにある玉子燒は何と言つても、戀愛などよりも衞生的だからね。」
實際又河童の戀愛は我々人間の戀愛とは餘程趣を異にしてゐます。雌の河童はこれぞと云ふ雄の河童を見つけるが早いか、雄の河童を捉へるのに如何なる手段も顧みません、一番正直な雌の河童は遮二無二雄の河童を追ひかけるのです。現に僕は氣違ひのやうに雄の河童を追ひかけてゐる雌の河童を見かけました。いや、そればかりではありません。若い雌の河童は勿論、その河童の兩親や兄弟まで一しよになつて追ひかけるのです。雄の河童こそ見じめです。何しろさんざん逃げまはつた揚句、運好くつかまらずにすんだとしても、二三箇月は床についてしまふのですから。僕は或時僕の家にトツクの詩集を讀んでゐました。するとそこへ駈けこんで來たのはあのラツプと云ふ學生です。ラツプは僕の家へ轉げこむと、床の上に倒れたなり、息も切れ切れにかう言ふのです。
「大變だ! とうとう僕は抱きつかれてしまつた!」
僕は咄嗟に詩集を投げ出し、戸口の錠をおろしてしまひました。しかし鍵穴から覗いて見ると、硫黄の粉末を顏に塗つた、背の低い雌の河童が一匹、まだ戸口にうろついてゐるのです。ラツプはその日から何週間か僕の床の上に寢てゐました。のみならずいつかラツプの嘴はすつかり腐つて落ちてしまひました。
尤も又時には雌の河童を一生懸命に追ひかける雄の河童もないではありません。しかしそれもほんたうの所は追ひかけずにはゐられないやうに雌の河童が仕向けるのです。僕はやはり氣違ひのやうに雌の河童を追ひかけてゐる雄の河童も見かけました。雌の河童は逃げて行くうちにも、時々わざと立ち止まつて見たり、四つん這ひになつたりして見せるのです。おまけに丁度好い時分になると、さもがつかりしたやうに樂々とつかませてしまふのです。僕の見かけた雄の河童は雌の河童を抱いたなり、暫くそこに轉がつてゐました。が、やつと起き上つたのを見ると、失望と云ふか、後悔と云ふか、兎に角何とも形容出來ない、氣の毒な顏をしてゐました。しかしそれはまだ好いのです。これも僕の見かけた中に小さい雄の河童が一匹、雌の河童を追ひかけてゐました。雌の河童は例の通り、誘惑的遁走をしてゐるのです。するとそこへ向うの街から大きい雄の河童が一匹、鼻息を鳴らせて歩いて來ました。雌の河童は何かの拍子にふとこの雄の河童を見ると「大變です! 助けて下さい! あの河童はわたしを殺さうとするのです!」と金切り聲を出して叫びました。勿論大きい雄の河童は忽ち小さい河童をつかまへ、往來のまん中へねぢ伏せました。小さい河童は水掻きのある手に二三度空を掴んだなり、とうとう死んでしまひました。けれどももうその時には雌の河童はにやにやしながら、大きい河童の頸つ玉へしつかりしがみついてしまつてゐたのです。
僕の知つてゐた雄の河童は誰も皆言ひ合はせたやうに雌の河童に追ひかけられました。勿論妻子を持つてゐるバツグでもやはり追ひかけられたのです。のみならず二三度はつかまつたのです。唯マツグと云ふ哲學者だけは(これはあのトツクと云ふ詩人の隣にゐる河童です。)一度もつかまつたことはありません。これは一つにはマツグ位、醜い河童も少ない爲でせう。しかし又一つにはマツグだけは餘り往來へ顏を出さずに家にばかりゐる爲です。僕はこのマツグの家へも時々話しに出かけました。マツグはいつも薄暗い部屋に七色の色硝子のランタアンをともし、脚の高い机に向ひながら、厚い本ばかり讀んでゐるのです。僕は或時かう云ふマツグと河童の戀愛を論じ合ひました。
「なぜ政府は雌の河童が雄の河童を追ひかけるのをもつと嚴重に取り締らないのです?」
「それは一つには官吏の中に雌の河童の少ない爲ですよ。雌の河童は雄の河童よりも一層嫉妬心は強いものですからね、雌の河童の官吏さへ殖えれば、きつと今よりも雄の河童は追ひかけられずに暮せるでせう。しかしその効力も知れたものですね。なぜと言つて御覽なさい。官吏同志でも雌の河童は雄の河童を追ひかけますからね。」
「ぢやあなたのやうに暮してゐるのは一番幸福な訣ですね。」
するとマツグは椅子を離れ、僕の兩手を握つたまま、ため息と一しよにかう言ひました。
「あなたは我々河童ではありませんから、おわかりにならないのも尤もです。しかしわたしもどうかすると、あの恐ろしい雌の河童に追ひかけられたい氣も起るのですよ。」
僕は又詩人のトツクと度たび音樂會へも出かけました。が、未だに忘れられないのは三度目に聽きに行つた音樂會のことです。尤も會場の容子などは餘り日本と變つてゐません。やはりだんだんせり上つた席に雌雄の河童が三四百匹、いづれもプログラムを手にしながら、一心に耳を澄ませてゐるのです。僕はこの三度目の音樂會の時にはトツクやトツクの雌の河童の外にも哲學者のマツグと一しよになり、一番前の席に坐つてゐました。するとセロの獨奏が終つた後、妙に目の細い河童が一匹、無造作に譜本を抱へたまま、壇の上へ上つて來ました。この河童はプログラムの教へる通り、名高いクラバツクと云ふ作曲家です。プログラムの教へる通り、――いや、プログラムを見るまでもありません。クラバツクはトツクが屬してゐる超人倶樂部の會員ですから、僕も亦顏だけは知つてゐるのです。
「Lied ―― Craback」(この國のプログラムも大抵は獨逸語を並べてゐました。)
クラバツクは盛んな拍手の中にちよつと我々へ一禮した後、靜にピアノの前へ歩み寄りました。それからやはり無造作に自作のリイドを彈きはじめました。クラバツクはトツクの言葉によれば、この國の生んだ音樂家中、前後に比類のない天才ださうです。僕はクラバツクの音樂は勿論、その又餘技の抒情詩にも興味を持つてゐましたから、大きい弓なりのピアノの音に熱心に耳を傾けてゐました。トツクやマツグも恍惚としてゐたことは或は僕よりも勝つてゐたでせう。が、あの美しい(少くとも河童たちの話によれば)雌の河童だけはしつかりプログラムを握つたなり、時々さも苛ら立たしさうに長い舌をべろべろ出してゐました。これはマツグの話によれば、何でも彼是十年前にクラバツクを掴まへそこなつたものですから、未だにこの音樂家を目の敵にしてゐるのだとか云ふことです。
クラバツクは全身に情熱をこめ、戰ふやうにピアノを彈きつづけました。すると突然會場の中に神鳴りのやうに響渡つたのは「演奏禁止」と云ふ聲です。僕はこの聲にびつくりし、思はず後をふり返りました。聲の主は紛れもない、一番後の席にゐる身の丈拔群の巡査です。巡査は僕がふり向いた時、悠然と腰をおろしたまま、もう一度前よりもおほ聲に「演奏禁止」と怒鳴りました。それから、――
それから先は大混亂です。「警官横暴!」「クラバツク、彈け! 彈け!」「莫迦!」「畜生!」「ひつこめ!」「負けるな!」――かう云ふ聲の湧き上つた中に椅子は倒れる、プログラムは飛ぶ、おまけに誰が投げるのか、サイダアの空罎や石ころや噛じりかけの胡瓜さへ降つて來るのです。僕は呆つ氣にとられましたから、トツクにその理由を尋ねようとしました。が、トツクも興奮したと見え、椅子の上に突つ立ちながら、「クラバツク、彈け! 彈け!」と喚きつづけてゐます。のみならずトツクの雌の河童もいつの間に敵意を忘れたのか、「警官横暴」と叫んでゐることは少しもトツクに變りません。僕はやむを得ずマツグに向かひ、「どうしたのです?」と尋ねて見ました。
「これですか?これはこの國ではよくあることですよ。元來畫だの文藝だのは……」
マツグは何か飛んで來る度にちよつと頸を縮めながら、不相變靜に説明しました。
「元來畫だの文藝だのは誰の目にも何を表はしてゐるかは兎に角ちやんとわかる筈ですから、この國では決して發賣禁止や展覽禁止は行はれません。その代りにあるのが演奏禁止です。何しろ音樂と云ふものだけはどんなに風俗を壞亂する曲でも、耳のない河童にはわかりませんからね。」
「しかしあの巡査は耳があるのですか?」
「さあ、それは疑問ですね。多分今の旋律を聞いてゐるうちに細君と一しよに寢てゐる時の心臟の鼓動でも思ひ出したのでせう。」
かう云ふ間にも大騒ぎは愈盛んになるばかりです。クラバツクはピアノに向つたまま、傲然と我々をふり返つてゐました。が、いくら傲然としてゐても、いろいろのものの飛んで來るのはよけない訣に行きません。從つてつまり二三秒置きに折角の態度も變つた訣です。しかし兎に角大體としては大音樂家の威嚴を保ちながら、細い目を凄まじく赫やかせてゐました。僕は――僕も勿論危險を避ける爲にトツクを小楯にとつてゐたものです。が、やはり好奇心に驅られ、熱心にマツグと話しつづけました。
「そんな檢閲は亂暴ぢやありませんか?」
「何、どの國の檢閲よりも却つて進歩してゐる位ですよ。たとへば日本を御覽なさい。現につい一月ばかり前にも、……」
丁度かう言ひかけた途端です。マツグは生憎腦天に空罎が落ちたものですから、quack (これは唯間投詞です。)と一聲叫んだぎり、とうとう氣を失つてしまひました。
僕は硝子會社の社長のゲエルに不思議にも好意を持つてゐました。ゲエルは資本家中の資本家です。恐らくはこの國の河童の中でも、ゲエルほど大きい腹をした河童は一匹もゐなかつたのに違ひありません。しかし茘枝に似た細君や胡瓜に似た子供を左右にしながら、安樂椅子に坐つてゐる所は殆ど幸福そのものです。僕は時々裁判官のペツプや醫者のチヤツクにつれられてゲエル家の晩餐に出かけました。又ゲエルの紹介状を持つてゲエルやゲエルの友人たちが多少の關係を持つてゐるいろいろの工場も見て歩きました。そのいろいろの工場の中でも殊に僕に面白かつたのは書籍製造會社の工場です。僕は年の若い河童の技師とこの工場の中へはひり、水力電氣を動力にした、大きい機械を眺めた時、今更のやうに河童の國の機械工業の進歩に驚嘆しました。何でもそこでは一年間に七百萬部の本を製造するさうです。が、僕を驚かしたのは本の部數ではありません。それだけの本を製造するのに少しも手數のかからないことです。何しろこの國では本を造るのに唯機械の漏斗形の口へ紙とインクと灰色をした粉末とを入れるだけなのですから。それ等の原料は機械の中へはひると、殆ど五分とたたないうちに、菊版、四六版、菊半裁版などの無數の本になつて出て來るのです。僕は瀑のやうに流れ落ちるいろいろの本を眺めながら、反り身になつた河童の技師にその灰色の粉末は何と云ふものかと尋ねて見ました。すると技師は黒光りに光つた機械の前に佇んだまま、つまらなさうにかう返事をしました。
「これですか?これは驢馬の腦髓ですよ。ええ、一度乾燥させてから、ざつと粉末にしただけのものです。時價は一噸二三錢ですがね。」
勿論かう云ふ工業上の奇蹟は書籍製造會社にばかり起つてゐる訣ではありません。繪畫製造會社にも、音樂製造會社にも、同じやうに起つてゐるのです。實際又ゲエルの話によれば、この國では平均一箇月に七八百種の機械が新案され、何でもずんずん人手を待たずに大量生産が行はれるさうです。從つて又職工の解雇されるのも四五萬匹を下らないさうです。その癖まだこの國では毎朝新聞を讀んでゐても、一度も罷業と云ふ字に出會ひません。僕はこれを妙に思ひましたから、或時又ペツプやチヤツクとゲエル家の晩餐に招かれた機會にこのことをなぜかと尋ねて見ました。
「それはみんな食つてしまふのですよ。」
食後の葉卷を啣へたゲエルは如何にも無造作にかう言ひました。しかし「食つてしまふ」と云ふのは何のことだかわかりません。すると鼻目金をかけたチヤツクは僕の不審を察したと見え、横あひから説明を加へてくれました。
「その職工をみんな殺してしまつて、肉を食料に使ふのです。ここにある新聞を御覽なさい。今月は丁度六萬四千七百六十九匹の職工が解雇されましたから、それだけ肉の價段も下つた訣ですよ。」
「職工は默つて殺されるのですか?」
「それは騷いでも仕かたはありません。職工屠殺法があるのですから。」
これは山桃の鉢植ゑを後に苦い顏をしてゐたペツプの言葉です。僕は勿論不快を感じました。しかし主人公のゲエルは勿論、ペツプやチヤツクもそんなことは當然と思つてゐるらしいのです。現にチヤツクは笑ひながら、嘲るやうに僕に話しかけました。
「つまり餓死したり自殺したりする手數を國家的に省略してやるのですね。ちよつと有毒瓦斯を嗅がせるだけですから、大した苦痛はありませんよ。」
「けれどもその肉を食ふと云ふのは、……」
「常談を言つてはいけません。あのマツグに聞かせたら、さぞ大笑ひに笑ふでせう。あなたの國でも第四階級の娘たちは賣笑婦になつてゐるではありませんか?職工の肉を食ふことなどに憤慨したりするのは感傷主義ですよ。」
かう云ふ問答を聞いてゐたゲエルは手近いテエブルの上にあつたサンドウイツチの皿を勸めながら、恬然と僕にかう言ひました。
「どうです?一つとりませんか?これも職工の肉ですがね。」
僕は勿論辟易しました。いや、そればかりではありません。ペツプやチヤツクの笑ひ聲を後にゲエル家の客間を飛び出しました。それは丁度家々の空に星明りも見えない荒れ模樣の夜です。僕はその闇の中を僕の住居へ歸りながら、のべつ幕なしに嘔吐を吐きました。夜目にも白じらと流れる嘔吐を。
しかし硝子會社の社長のゲエルは人懷こい河童だつたのに違ひません。僕は度たびゲエルと一しよにゲエルの屬してゐる倶樂部へ行き、愉快に一晩を暮らしました。それは一つにはその倶樂部はトツクの屬してゐる超人倶樂部よりも遙かに居心の善かつた爲です。のみならず又ゲエルの話は哲學者のマツグの話のやうに深みを持つてゐなかつたにせよ、僕には全然新らしい世界を、――廣い世界を覗かせました。ゲエルは、いつも純金の匙に珈琲の茶碗をかきまはしながら、快活にいろいろの話をしたものです。
何でも或霧の深い晩、僕は冬薔薇を盛つた花瓶を中にゲエルの話を聞いてゐました。それは確か部屋全體は勿論、椅子やテエブルも白い上に細い金の縁をとつたセセツシヨン風の部屋だつたやうに覺えてゐます。ゲエルはふだんよりも得意さうに顏中に微笑を漲らせたまま、丁度その頃天下を取つてゐた Quorax 黨内閣のことなどを話しました。クオラツクスと云ふ言葉は唯意味のない間投詞ですから、「おや」とでも譯す外はありません。が、兎に角何よりも先に「河童全體の利益」と云ふことを標榜してゐた正黨だつたのです。
「クオラツクス黨を支配してゐるものは名高い政治家のロツペです。『正直は最良の外交である』とはビスマルクの言つた言葉でせう。しかしロツペは正直を内治の上にも及ぼしてゐるのです。……」
「けれどもロツペの演説は……」
「まあ、わたしの言ふことをお聞きなさい。あの演説は勿論悉くうそです。が、うそと云ふことは誰でも知つてゐますから、畢竟正直と變らないでせう、それを一概にうそと云ふのはあなたがただけの偏見ですよ。我々河童はあなたがたのやうに、……しかしそれはどうでもよろしい、わたしの話したいのはロツペのことです。ロツペはクオラツクス黨を支配してゐる、その又ロツペを支配してゐるものは Pou-Fou 新聞の(この『プウ・フウ』と云ふ言葉もやはり意味のない間投詞です。若し強ひて譯すれば、『ああ』とでも云ふ外はありません。)社長のクイクイです。が、クイクイも彼自身の主人と云ふ訣には行きません。クイクイを支配してゐるものはあなたの前にゐるゲエルです。」
「けれども――これは失禮かも知れませんけれども、プウ・フウ新聞は勞働者の味かたをする新聞でせう。その社長のクイクイもあなたの支配を受けてゐると云ふのは、……」
「プウ・フウ新聞の記者たちは勿論勞働者の味かたです。しかし記者たちを支配するものはクイクイの外はありますまい。しかもクイクイはこのゲエルの後援を受けずにはゐられないのです。」
ゲエルは不相變微笑しながら、純金の匙をおもちやにしてゐます。僕はかう云ふゲエルを見ると、ゲエル自身を憎むよりも、プウ・フウ新聞の記者たちに同情の起るのを感じました。するとゲエルは僕の無言に忽ちこの同情を感じたと見え、大きい腹を膨ませてかう言ふのです。
「何、プウ・フウ新聞の記者たちも全部勞働者の味かたではありませんよ。少くとも我々河童と云ふものは誰の味かたをするよりも先に我々自身の味かたをしますからね。……しかし更に厄介なことにはこのゲエル自身さへやはり他人の支配を受けてゐるのです。あなたはそれを誰だと思ひますか?それはわたしの妻ですよ。美しいゲエル夫人ですよ。」
ゲエルはおほ聲に笑ひました。
「それは寧ろ仕合せでせう。」
「兎に角わたしは滿足してゐます。しかしこれもあなたの前だけに、――河童でないあなたの前だけに手放しで吹聽出來るのです。」
「するとつまりクオラツクス内閣はゲエル夫人が支配してゐるのですね。」
「さあさうも言はれますかね。……しかし七年前の戰爭などは確かに或雌の河童の爲に始まつたものに違ひありません。」
「戰爭?この國にも戰爭はあつたのですか?」
「ありましたとも。將來もいつあるかわかりません。何しろ隣國のある限りは、……」
僕は實際この時始めて河童の國も國家的に孤立してゐないことを知りました。ゲエルの説明する所によれば、河童はいつも獺を假設敵にしてゐると云ふことです。しかも獺は河童に負けない軍備を具へてゐると云ふことです。僕はこの獺を相手に河童の戰爭した話に少からず興味を感じました。(何しろ河童の強敵に獺のゐるなどと云ふことは「水虎考略」の著者は勿論、「山島民譚集」の著者柳田國男さんさへ知らずにゐたらしい新事實ですから。)
「あの戰爭の起る前には勿論兩國とも油斷せずにぢつと相手を窺つてゐました。と云ふのはどちらも同じやうに相手を恐怖してゐたからです。そこへこの國にゐた獺が一匹、或河童の夫婦を訪問しました。その又雌の河童と云ふのは亭主を殺すつもりでゐたのです。何しろ亭主は道樂者でしたからね。おまけに生命保險のついてゐたことも多少の誘惑になつたかも知れません。」
「あなたはその夫婦を御存じですか?」
「ええ、――いや、雄の河童だけは知つてゐます。わたしの妻などはこの河童を惡人のやうに言つてゐますがね。しかしわたしに言はせれば、惡人よりも寧ろ雌の河童に掴まることを恐れてゐる被害妄想の多い狂人です。……そこでその雌の河童は亭主のココアの茶碗の中へ青化加里を入れて置いたのです。それを又どう間違へたか、客の獺に飮ませてしまつたのです。獺は勿論死んでしまひました。それから……」
「それから戰爭になつたのですか?」
「ええ、生憎その獺は勳章を持つてゐたものですからね。」
「戰爭はどちらの勝になつたのですか?」
「勿論この國の勝になつたのです。三十六萬九千五百匹の河童たちはその爲に健氣にも戰死しました。しかし敵國に比べれば、その位の損害は何ともありません。この國にある毛皮と云ふ毛皮は大抵獺の毛皮です。わたしもあの戰爭の時には硝子を製造する外にも石炭殻を戰地へ送りました。」
「石炭殻を何にするのですか?」
「勿論食糧にするのです。我々は、河童は腹さへ減れば、何でも食ふのにきまつてゐますからね。」
「それは――どうか怒らずに下さい。それは戰地にゐる河童たちには……我々の國では醜聞ですがね。」
「この國でも醜聞には違ひありません。しかしわたし自身かう言つてゐれば、誰も醜聞にはしないものです。哲學者のマツグも言つてゐるでせう。『汝の惡は汝自ら言へ。惡はおのづから消滅すべし。』……しかもわたしは利益の外にも愛國心に燃え立つてゐたのですからね。」
丁度そこへはひつて來たのはこの倶樂部の給仕です。給仕はゲエルにお時宜をした後、朗讀でもするやうにかう言ひました。
「お宅のお隣に火事がございます。」
「火――火事!」
ゲエルは驚いて立ち上りました。僕も立ち上つたのは勿論です。が、給仕は落ち着き拂つて次の言葉をつけ加へました。
「しかしもう消し止めました。」
ゲエルは給仕を見送りながら、泣き笑ひに近い表情をしました。僕はかう云ふ顏を見ると、いつかこの硝子會社の社長を憎んでゐたことに氣づきました。が、ゲエルはもう今では大資本家でも何でもない唯の河童になつて立つてゐるのです。僕は花瓶の中の冬薔薇の花を拔き、ゲエルの手へ渡しました。
「しかし火事は消えたと云つても、奥さんはさぞお驚きでせう。さあ、これを持つてお歸りなさい。」
「難有う。」
ゲエルは僕の手を握りました。それから急ににやりと笑ひ、小聲にかう僕に話しかけました。
「隣はわたしの家作ですからね。火災保險の金だけはとれるのですよ。」
僕はこの時のゲエルの微笑を――輕蔑することも出來なければ、憎惡することも出來ないゲエルの微笑を未だにありありと覺えてゐます。
「どうしたね?けふは又妙にふさいでゐるぢやないか?」
その火事のあつた翌日です。僕は卷煙草を啣へながら、僕の客間の椅子に腰をおろした學生のラツプにかう言ひました。實際又ラツプは右の脚の上へ左の脚をのせたまま、腐つた嘴も見えないほど、ぼんやり床の上ばかり見てゐたのです。
「ラツプ君、どうしたねと言へば。」
「いや、何、つまらないことなのですよ。――」
ラツプはやつと頭を擧げ、悲しい鼻聲を出しました。
「僕はけふ窓の外を見ながら、『おや蟲取り菫が咲いた』と何氣なしに呟いたのです。すると僕の妹は急に顏色を變へたと思ふと、『どうせわたしは蟲取り菫よ』と當り散らすぢやありませんか? おまけに又僕のおふくろも大の妹贔屓ですから、やはり僕に食つてかかるのです。」
「蟲取り菫が咲いたと云ふことはどうして妹さんには不快なのだね?」
「さあ、多分雄の河童を掴まへると云ふ意味にでもとつたのでせう。そこへおふくろと仲惡い叔母も喧嘩の仲間入りをしたのですから、愈大騒動になつてしまひました。しかも年中醉つ拂つてゐるおやぢはこの喧嘩を聞きつけると、誰彼の差別なしに毆り出したのです。それだけでも始末のつかない所へ僕の弟はその間におふくろの財布を盗むが早いか、キネマか何かを見に行つてしまひました。僕は……ほんたうに僕はもう、……」
ラツプは兩手に顏を埋め、何も言はずに泣いてしまひました。僕の同情したのは勿論です。同時に又家族制度に對する詩人のトツクの輕蔑を思ひ出したのも勿論です。僕はラツプの肩を叩き、一生懸命に慰めました。
「そんなことはどこでもあり勝ちだよ。まあ勇氣を出し給へ。」
「しかし……しかし嘴でも腐つてゐなければ、……」
「それはあきらめる外はないさ。さあ、トツク君の家へでも行かう。」
「トツクさんは僕を輕蔑してゐます。僕はトツクさんのやうに大膽に家族を捨てることが出來ませんから。」
「ぢやクラバツク君の家へ行かう。」
僕はあの音樂會以來、クラバツクにも友だちになつてゐましたから、兎に角この大音樂家の家へラツプをつれ出すことにしました。クラバツクはトツクに比べれば、遙かに贅澤に暮らしてゐます。と云ふのは資本家のゲエルのやうに暮らしてゐると云ふ意味ではありません。唯いろいろの骨董を、――タナグラの人形やペルシアの陶器を部屋一ぱいに竝べた中にトルコ風の長椅子を据ゑ、クラバツク自身の肖像畫の下にいつも子供たちと遊んでゐるのです。が、けふはどうしたのか兩腕を胸へ組んだまま、苦い顏をして坐つてゐました。のみならずその又足もとには紙屑が一面に散らばつてゐました。ラツプも詩人トツクと一しよに度たびクラバツクには會つてゐる筈です。しかしこの容子に恐れたと見え、けふは丁寧にお時宜をしたなり、默つて部屋の隅に腰をおろしました。
「どうしたね?クラバツク君。」
僕は殆ど挨拶の代りにかう大音樂家へ問かけました。
「どうするものか? 批評家の阿呆め! 僕の抒情詩はトツクの抒情詩と比べものにならないと言やがるんだ。」
「しかし君は音樂家だし、……」
「それだけならば我慢も出來る。僕はロツクに比べれば、音樂家の名に價しないと言やがるぢやないか?」
ロツクと云ふのはクラバツクと度たび比べられる音樂家です。が、生憎超人倶樂部の會員になつてゐない關係上、僕は一度も話したことはありません。尤も嘴の反り上つた、一癖あるらしい顏だけは度たび寫眞でも見かけてゐました。
「ロツクも天才には違ひない。しかしロツクの音樂は君の音樂に溢れてゐる近代的情熱を持つてゐない。」
「君はほんたうにさう思ふか?」
「さう思ふとも。」
するとクラバツクは立ち上るが早いか、タナグラの人形をひつ掴み、いきなり床の上に叩きつけました。ラツプは餘程驚いたと見え、何か聲を擧げて逃げようとしました。が、クラバツクはラツプや僕にはちよつと「驚くな」と云ふ手眞似をした上、今度は冷やかにかう言ふのです。
「それは君も亦俗人のやうに耳を持つてゐないからだ。僕はロツクを恐れてゐる。……」
「君が?謙遜家を氣どるのはやめ給へ。」
「誰が謙遜家を氣どるものか? 第一君たちに氣どつて見せる位ならば、批評家たちの前に氣どつて見せてゐる。僕は――クラバツクは天才だ。その點ではロツクを恐れてゐない。」
「では何を恐れてゐるのだ?」
「何か正體の知れないものを、――言はばロツクを支配してゐる星を。」
「どうも僕には腑に落ちないがね。」
「ではかう言へばわかるだらう。ロツクは僕の影響を受けない。が、僕はいつの間にかロツクの影響を受けてしまふのだ。」
「それは君の感受性の……。」
「まあ、聞き給へ。感受性などの問題ではない。ロツクはいつも安んじてあいつだけに出來る仕事をしてゐる。しかし僕は苛ら苛らするのだ。それはロツクの目から見れば、或は一歩の差かも知れない。けれども僕には十哩も違ふのだ。」
「しかし先生の英雄曲は……」
クラバツクは細い目を一層細め、忌々しさうにラツプを睨みつけました。
「默り給へ。君などに何がわかる?僕はロツクを知つてゐるのだ。ロツクに平身低頭する犬どもよりもロツクを知つてゐるのだ。」
「まあ少し靜かにし給へ。」
「若し靜かにしてゐられるならば、……僕はいつもかう思つてゐる。――僕等の知らない何ものかは僕を、――クラバツクを嘲る爲にロツクを僕の前に立たせたのだ。哲學者のマツグはかう云ふことを何も彼も承知してゐる。いつもあの色硝子のランタアンの下に古ぼけた本ばかり讀んでゐる癖に。」
「どうして?」
「この近頃マツグの書いた『阿呆の言葉』と云ふ本を見給へ。――」
クラバツクは僕に一冊の本を渡す――と云ふよりも投げつけました。それから又腕を組んだまま、突けんどんにかう言ひ放ちました。
「ぢやけふは失敬しよう。」
僕は悄氣返つたラツプと一しよにもう一度往來へ出ることにしました。人通りの多い往來は不相變毛生欅の並み木のかげにいろいろの店を並べてゐます。僕等は何と云ふこともなしに默つて歩いて行きました。するとそこへ通りかかつたのは髪の長い詩人のトツクです。トツクは僕等の顏を見ると、腹の袋から手巾を出し、何度も額を拭ひました。
「やあ、暫らく會はなかつたね。僕はけふは久しぶりにクラバツクを尋ねようと思ふのだが、……」
僕はこの藝術家たちを喧嘩させては惡いと思ひ、クラバツクの如何にも不機嫌だつたことを婉曲にトツクに話しました。
「さうか。ぢややめにしよう。何しろクラバツクは神經衰弱だからね。……僕もこの二三週間は眠られないのに弱つてゐるのだ。」
「どうだね、僕等と一しよに散歩をしては?」
「いや、けふはやめにしよう。おや!」
トツクはかう叫ぶが早いか、しつかり僕の腕を掴みました。しかもいつか體中に冷や汗を流してゐるのです。
「どうしたのだ?」
「どうしたのです?」
「何あの自動車の窓の中から緑いろの猿が一匹首を出したやうに見えたのだよ。」
僕は多少心配になり、兎に角あの醫者のチヤツクに診察して貰ふやうに勸めました。しかしトツクは何と言つても、承知する氣色さへ見せません。のみならず何か疑はしさうに僕等の顏を見比べながら、こんなことさへ言ひ出すのです。
「僕は決して無政府主義者ではないよ。それだけはきつと忘れずにゐてくれ給へ。――ではさやうなら。チヤツクなどは眞平御免だ。」
僕等はぼんやり佇んだまま、トツクの後ろ姿を見送つてゐました。僕等は――いや、「僕等」ではありません。學生のラツプはいつの間にか往來のまん中に脚をひろげ、しつきりない自動車や人通りを股目金に覗いてゐるのです。僕はこの河童も發狂したかと思ひ、驚いてラツプを引き起しました。
「常談ぢやない。何をしてゐる?」
しかしラツプは目をこすりながら、意外にも落ち着いて返事をしました。
「いえ、餘り憂鬱ですから、逆まに世の中を眺めて見たのです。けれどもやはり同じことですね。」
これは哲學者のマツグの書いた「阿呆の言葉」の中の何章かです。――
×
阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。
×
我々の自然を愛するのは自然は我々を憎んだり嫉妬したりしない爲もないことはない。
×
最も賢い生活は一時代の習慣を輕蔑しながら、しかもその又習慣を少しも破らないやうに暮らすことである。
×
我々の最も誇りたいものは我々の持つてゐないものだけである。
×
何びとも偶像を破壞することに異存を持つてゐるものはない。同時に又何びとも偶像になることに異存を持つてゐるものはない。しかし偶像の臺座の上に安んじて坐つてゐられるものは最も神々に惠まれたもの、――阿呆か、惡人か、英雄かである。(クラバツクはこの章の上へ爪の痕をつけてゐました。)
×
我々の生活に必要な思想は三千年前に盡きたかも知れない。我々は唯古い薪に新らしい炎を加へるだけであらう。
×
我々の特色は我々自身の意識を超越するのを常としてゐる。
×
幸福は苦痛を伴ひ、平和は倦怠を伴ふとすれば、――?
×
自己を辯護することは他人を辯護することよりも困難である。疑ふものは辯護士を見よ。
×
矜誇、愛慾、疑惑――あらゆる罪は三千年來、この三者から發してゐる。同時に又恐らくはあらゆる徳も。
×
物質的欲望を滅ずることは必しも平和を齎さない。我々は平和を得る爲には精神的欲望も滅じなければならぬ。(クラバツクはこの章の上にも爪の痕を殘してゐました。)
×
我々は人間よりも不幸である。人間は河童ほど進化してゐない。(僕はこの章を讀んだ時思はず笑つてしまひました。)
×
成すことは成し得ることであり、成し得ることは成すことである。畢竟我々の生活はかう云ふ循環論法を脱することは出來ない。――即ち不合理に終始してゐる。
×
ボオドレエルは白痴になつた後、彼の人生觀をたつた一語に、――女陰の一語に表白した。しかし彼自身を語るものは必しもかう言つたことではない。寧ろ彼の天才に、――彼の生活を維持するに足る詩的天才に信頼した爲に胃袋の一語を忘れたことである。(この章にもやはりクラバツクの爪の痕は殘つてゐました。)
×
若し理性に終始するとすれば、我々は當然我々自身の存在を否定しなければならぬ。理性を神にしたヴオルテエルの幸福に一生を了つたのは即ち人間の河童よりも進化してゐないことを示すものである。
或割り合に寒い午後です。僕は「阿呆の言葉」も讀み飽きましたから、哲學者のマツグを尋ねに出かけました。すると或寂しい町の角に蚊のやうに痩せた河童が一匹、ぼんやり壁によりかかつてゐました。しかもそれは紛れもない、いつか僕の萬年筆を盗んで行つた河童なのです。僕はしめたと思ひましたから、丁度そこへ通りかかつた、逞しい巡査を呼びとめました。
「ちよつとあの河童を取り調べて下さい。あの河童は丁度一月ばかり前にわたしの萬年筆を盗んだのですから。」
巡査は右手の棒をあげ、(この國の巡査は劍の代りに水松の棒を持つてゐるのです。)「おい、君」とその河童へ聲をかけました。僕は或はその河童は逃げ出しはしないかと思つてゐました。が、存外落ち着き拂つて巡査の前へ歩み寄りました。のみならず腕を組んだまま、如何にも傲然と僕の顏や巡査の顏をじろじろ見てゐるのです。しかし巡査は怒りもせず、腹の袋から手帳を出して早速尋問にとりかかりました。
「お前の名は?」
「グルツク。」
「職業は?」
「つい二三日前までは郵便配達夫をしてゐました。」
「よろしい。そこでこの人の申し立てによれば、君はこの人の萬年筆を盗んで行つたと云ふことだがね。」
「ええ、一月ばかり前に盗みました。」
「何の爲に?」
「子供の玩具にしようと思つたのです。」
「その子供は?」
巡査は始めて相手の河童へ鋭い目を注ぎました。
「一週間前に死んでしまひました。」
「死亡證明書を持つてゐるかね?」
痩せた河童は腹の袋から一枚の紙をとり出しました。巡査はその紙へ目を通すと、急ににやにや笑ひながら、相手の肩を叩きました。
「よろしい。どうも御苦勞だつたね。」
僕は呆氣にとられたまま、巡査の顏を眺めてゐました。しかもそのうちに痩せた河童は何かぶつぶつ呟きながら、僕等を後ろにして行つてしまふのです。僕はやつと氣をとり直し、かう巡査に尋ねて見ました。
「どうしてあの河童を掴まへないのです?」
「あの河童は無罪ですよ。」
「しかし僕の萬年筆を盗んだのは……」
「子供の玩具にする爲だつたのでせう。けれどもその子供は死んでゐるのです。若し何か御不審だつたら、刑法千二百八十五條をお調べなさい。」
巡査はかう言ひすてたなり、さつさとどこかへ行つてしまひました。僕は仕かたがありませんから、「刑法千二百八十五條」を口の中に繰り返し、マツグの家へ急いで行きました。哲學者のマツグは客好きです。現にけふも薄暗い部屋には裁判官のペツプや醫者のチヤツクや硝子會社の社長のゲエルなどが集り、七色の色硝子のランタアンの下に煙草の煙を立ち昇らせてゐました。そこに裁判官のペツプが來てゐたのは何よりも僕には好都合です。僕は椅子にかけるが早いか、刑法第千二百八十五條を檢べる代りに早速ペツプへ問ひかけました。
「ペツプ君、甚だ失禮ですが、この國では罪人を罰しないのですか?」
ペツプは金口の煙草の煙をまづ悠々と吹き上げてから、如何にもつまらなさうに返事をしました。
「罰しますとも。死刑さへ行はれる位ですからね。」
「しかし僕は一月ばかり前に、……」
僕は委細を話した後、例の刑法千二百八十五條のことを尋ねて見ました。
「ふむ、それはかう云ふのです。――『如何なる犯罪を行ひたりと雖も、該犯罪を行はしめたる事情の消失したる後は該犯罪者を處罰することを得ず』つまりあなたの場合で言へば、その河童は嘗ては親だつたのですが、今はもう親ではありませんから、犯罪も自然と消滅するのです。」
「それはどうも不合理ですね。」
「常談を言つてはいけません。親だつた河童も親である河童も同一に見るのこそ不合理です。さうさう、日本の法律では同一に見ることになつてゐるのですね。それはどうも我々には滑稽です。ふふふふふふふふふふ。」
ペツプは卷煙草を抛り出しながら、氣のない薄笑ひを洩らしてゐました。そこへ口を出したのは法律には縁の遠いチヤツクです。チヤツクはちよつと鼻目金を直し、かう僕に質問しました。
「日本にも死刑はありますか?」
「ありますとも。日本では絞罪です。」
僕は冷然と構へこんだペツプに多少反感を感じてゐましたから、この機會に皮肉を浴せてやりました。
「この國の死刑は日本よりも文明的に出來てゐるでせうね?」
「それは勿論文明的です。」
ペツプはやはり落ち着いてゐました。
「この國では絞罪などは用ひません。稀には電氣を用ひることもあります。しかし大抵は電氣も用ひません。唯その犯罪の名を言つて聞かせるだけです。」
「それだけで河童は死ぬのですか?」
「死にますとも。我々河童の神經作用はあなたがたのよりも微妙ですからね。」
「それは死刑ばかりではありません。殺人にもその手を使ふのがあります――」
社長のゲエルは色硝子の光に顏中紫に染りながら、人懷つこい笑顏をして見せました。
「わたしはこの間も或社會主義者に『貴樣は盗人だ』と言はれた爲に心臟麻痺を起しかかつたものです。」
「それは案外多いやうですね。わたしの知つてゐた或辯護士などはやはりその爲に死んでしまつたのですからね。」
僕はかう口を入れた河童、――哲學者のマツグをふりかへりました。マツグはやはりいつものやうに皮肉な微笑を浮かべたまま、誰の顏を見ずにしやべつてゐるのです。
「その河童は誰かに蛙だと言はれ、――勿論あなたも御承知でせう、この國で蛙だと言はれるのは人非人と云ふ意味になること位は。――己は蛙かな? 蛙ではないかな? と毎日考へてゐるうちにとうとう死んでしまつたものです。」
「それはつまり自殺ですね。」
「尤もその河童を蛙だと言つたやつは殺すつもりで云つたのですがね。あなたがたの目から見れば、やはりそれも自殺と云ふ……」
丁度マツグがかう言つた時です。突然その部屋の壁の向うに、――確かに詩人のトツクの家に鋭いピストルの音が一發、空氣を反ね返へすやうに響き渡りました。
僕等はトツクの家へ駈けつけました。トツクは右の手にピストルを握り、頭の皿から血を出したまま、高山植物の鉢植ゑの中に仰向けになつて倒れてゐました。その又側には雌の河童が一匹、トツクの胸に顏を埋め、大聲を擧げて泣いてゐました。僕は雌の河童を抱き起しながら、(一體僕はぬらぬらする河童の皮膚に手を觸れることを餘り好んではゐないのですが。)「どうしたのです?」と尋ねました。
「どうしたのだか、わかりません。唯何か書いてゐたと思ふと、いきなりピストルで頭を打つたのです。ああ、わたしはどうしませう? qur-r-r-r-r, qur-r-r-r-r」(これは河童の泣き聲です。)
「何しろトツク君は我儘だつたからね。」
硝子會社の社長のゲエルは悲しさうに頭を振りながら、裁判官のペツプにかう言ひました。しかしペツプは何も言はずに金口の卷煙草に火をつけてゐました。すると今まで跪いて、トツクの創口などを調べてゐたチヤツクは如何にも醫者らしい態度をしたまま、僕等五人に宣言しました。(實は一人と四匹とです。)
「もう駄目です。トツク君は元來胃病でしたから、それだけでも憂鬱になり易かつたのです。」
「何か書いてゐたと云ふことですが。」
哲學者のマツグは辯解するやうにかう獨り語を洩らしながら、机の上の紙をとり上げました。僕等は皆頸をのばし、(尤も僕だけは例外です。)幅の廣いマツグの肩越しに一枚の紙を覗きこみました。
「いざ、立ちて行かん。娑婆界を隔つる谷へ。岩むらはこごしく、やま水は清く、
藥草の花はにほへる谷へ。」
マツグは僕等をふり返りながら、微苦笑と一しよにかう言ひました。
「これはゲエテの『ミニヨンの歌』の剽竊ですよ。するとトツク君の自殺したのは詩人としても疲れてゐたのですね。」
そこへ偶然自動車を乘りつけたのはあの音樂家のクラバツクです。クラバツクはかう云ふ光景を見ると、暫く戸口に佇んでゐました。が、僕等の前へ歩み寄ると、怒鳴りつけるやうにマツグに話しかけました。
「それはトツクの遺言状ですか?」
「いや、最後に書いてゐた詩です。」
「詩?」
やはり少しも騒がないマツグは髪を逆立てたクラバツクにトツクの詩稿を渡しました。クラバツクはあたりには目もやらずに熱心にその詩稿を讀み出しました。しかもマツグの言葉には殆ど返事さへしないのです。
「あなたはトツク君の死をどう思ひますか?」
「いざ、立ちて、……僕も亦いつ死ぬかわかりません。……娑婆界を隔つる谷へ。……」
「しかしあなたはトツク君とはやはり親友の一人だつたのでせう?」
「親友? トツクはいつも孤獨だつたのです。……娑婆界を隔つる谷へ。……唯トツクは不幸にも、……岩むらはこごしく……」
「不幸にも?」
「やま水は清く、……あなたがたは幸福です。……岩むらはこごしく。……」
僕は未だに泣き聲を絶たない雌の河童に同情しましたから、そつと肩を抱へるやうにし、部屋の隅の長椅子へつれて行きました。そこには二歳か三歳かの河童が一匹、何も知らずに笑つてゐるのです。僕は雌の河童の代りに子供の河童をあやしてやりました。するといつか僕の目にも涙のたまるのを感じました。僕が河童の國に住んでゐるうちに涙と云ふものをこぼしたのは前にも後にもこの時だけです。
「しかしかう云ふ我儘な河童と一しよになつた家族は氣の毒ですね。」
「何しろあとのことも考へないのですから。」
裁判官のペツプは不相變、新しい卷煙草に火をつけながら、資本家のゲエルに返事をしてゐました。すると僕等を驚かせたのは音樂家のクラバツクのおほ聲です。クラバツクは詩稿を握つたまま、誰にもとなしに呼びかけました。
「しめた! すばらしい葬送曲が出來るぞ。」
クラバツクは細い目を赫やかせたまま、ちよつとマツグの手を握ると、いきなり戸口へ飛んで行きました。勿論もうこの時には隣近所の河童が大勢、トツクの家の戸口に集まり、珍らしさうに家の中を覗いてゐるのです。しかしクラバツクはこの河童たちを遮二無二左右へ押しのけるが早いか、ひらりと自動車へ飛び乘りました。同時に又自動車は爆音を立てて忽ちどこかへ行つてしまひました。
「こら、こら、さう覗いてはいかん。」
裁判官のペツプは巡査の代りに大勢の河童を押し出した後、トツクの家の戸をしめてしまひました。部屋の中はそのせゐか急にひつそりなつたものです。僕等はかう云ふ靜かさの中に――高山植物の花の香に交つたトツクの血の匂の中に後始末のことなどを相談しました。しかしあの哲學者のマツグだけはトツクの死骸を眺めたまま、ぼんやり何か考へてゐます。僕はマツグの肩を叩き、「何を考へてゐるのです?」と尋ねました。
「河童の生活と云ふものをね。」
「河童の生活がどうなるのです?」
「我々河童は何と云つても、河童の生活を完うする爲には、……」
マツグは多少羞しさうにかう小聲でつけ加へました。
「兎に角我々河童以外の何ものかの力を信ずることですね。」
僕に宗教と云ふものを思ひ出させたのはかう云ふマツグの言葉です。僕は勿論物質主義者ですから、眞面目に宗教を考へたことは一度もなかつたのに違ひありません。が、この時はトツクの死に或感動を受けてゐた爲に一體河童の宗教は何であるかと考へ出したのです。僕は早速學生のラツプにこの問題を尋ねて見ました。
「それは基督教、佛教、モハメツト教、拜火教なども行はれてゐます。まづ一番勢力のあるものは何と言つても近代教でせう。生活教とも言ひますがね。」(「生活教」と云ふ譯語は當つてゐないかも知れません。この原語は Quemoocha です。cha は英吉利語の ism と云ふ意味に當るでせう。quemoo の原形 quemal の譯は單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり、酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。)
「ぢやこの國にも教會だの寺院だのはある訣なのだね?」
「常談を言つてはいけません。近代教の大寺院などはこの國第一の大建築ですよ。どうです、ちよつと見物に行つては?」
或生温い曇天の午後、ラツプは得々と僕と一しよにこの大寺院へ出かけました。成程それはニコライ堂の十倍もある大建築です。のみならずあらゆる建築樣式を一つに組み上げた大建築です。僕はこの大寺院の前に立ち、高い塔や圓屋根を眺めた時、何か無氣味にさへ感じました。實際それ等は天に向つて伸びた無數の觸手のやうに見えたものです。僕等は玄關の前に佇んだまま、(その又玄關に比べて見ても、どの位僕等は小さかつたのでせう!)暫らくこの建築よりも寧ろ途方もない怪物に近い稀代の大寺院を見上げてゐました。
大寺院の内部も亦廣大です。そのコリント風の圓柱の立つた中には參詣人が何人も歩いてゐました。しかしそれ等は僕等のやうに非常に小さく見えたものです。そのうちに僕等は腰の曲つた一匹の河童に出合ひました。するとラツプはこの河童にちよつと頭を下げた上、丁寧にかう話しかけました。
「長老、御達者なのは何よりもです。」
相手の河童もお時宜をした後、やはり丁寧に返事をしました。
「これはラツプさんですか?あなたも不相變、――(と言ひかけながら、ちよつと言葉をつがなかつたのはラツプの嘴の腐つてゐるのにやつと氣がついた爲だつたでせう。)――ああ、兎に角御丈夫らしいやうですね。が、けふはどうして又……」
「けふはこの方のお伴をして來たのです。この方は多分御承知の通り、――」
それからラツプは滔々と僕のことを話しました。どうも又それはこの大寺院へラツプが滅多に來ないことの辯解にもなつてゐたらしいのです。
「就いてはどうかこの方の御案内を願ひたいと思ふのですが。」
長老は大樣に微笑しながら、まづ僕に挨拶をし、靜かに正面の祭壇を指さしました。
「御案内と申しても、何も御役に立つことは出來ません。我々信徒の禮拜するのは正面の祭壇にある『生命の樹』です。『生命の樹』には、御覽の通り、金と緑との果がなつてゐます。あの金の果を『善の果』と云ひ、あの緑の果を『惡の果』と云ひます。……」
僕はかう云ふ説明のうちにもう退屈を感じ出しました。それは折角の長老の言葉も古い比喩のやうに聞えたからです。僕は勿論熱心に聞いてゐる容子を裝つてゐました。が、時々は大寺院の内部へそつと目をやるのを忘れずにゐました。
コリント風の柱、ゴシク風の穹窿、アラビアじみた市松模樣の床、セセツシヨン紛ひの祈祷机、――かう云ふものの作つてゐる調和は妙に野蠻な美を具へてゐました。しかし僕の目を惹いたのは何よりも兩側の龕の中にある大理石の半身像です。僕は何かそれ等の像を見知つてゐるやうに思ひました。それも亦不思議ではありません。あの腰の曲つた河童は「生命の樹」の説明を了ると、今度は僕やラツプと一しよに右側の龕の前へ歩み寄り、その龕の中の半身像にかう云ふ説明を加へ出しました。
「これは我々の聖徒の一人、――あらゆるものに反逆した聖徒ストリントベリイです。この聖徒はさんざん苦しんだ揚句、スウエデンボルグの哲學の爲に救はれたやうに言はれてゐます。が、實は救はれなかつたのです。この聖徒は唯我々のやうに生活教を信じてゐました。――と云ふよりも信じる外はなかつたのでせう。この聖徒の我々に殘した『傳説』と云ふ本を讀んで御覽なさい。この聖徒も自殺未遂者だつたことは聖徒自身告白してゐます。」
僕はちよつと憂鬱になり、次の龕へ目をやりました。次の龕にある半身像は口髭の太い獨逸人です。
「これはツアラトストラの詩人ニイチエです。この聖徒は聖徒自身の造つた超人に救ひを求めました。が、やはり救はれずに氣違ひになつてしまつたのです。若し氣違ひにならなかつたとすれば、或は聖徒の數へはひることも出來なかつたかも知れません。……」
長老はちよつと默つた後、第三の龕の前へ案内しました。
「三番目にあるのはトルストイです。この聖徒は誰よりも苦行をしました。それは元來貴族だつた爲に好奇心の多い公衆に苦しみを見せることを嫌つたからです。この聖徒は事實上信ぜられない基督を信じようと努力しました。いや、信じてゐるやうにさへ公言したこともあつたのです。しかしとうとう晩年には悲壯なうそつきだつたことに堪へられないやうになりました。この聖徒も時々書齋の梁に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の數にはひつてゐる位ですから、勿論自殺したのではありません。」
第四の龕の中の半身像は我々日本人の一人です。僕はこの日本人の顏を見た時、さすがに懷しさを感じました。
「これは國木田獨歩です。轢死する人足の心もちをはつきり知つてゐた詩人です。しかしそれ以上の説明はあなたには不必要に違ひありません。では五番目の龕の中を御覽下さい。――」
「これはワグネルではありませんか?」
「さうです。國王の友だちだつた革命家です。聖徒ワグネルは晩年には食前の祈祷さへしてゐました。しかし勿論基督教よりも生活教の信徒の一人だつたのです。ワグネルの殘した手紙によれば、娑婆苦は何度この聖徒を死の前に驅りやつたかわかりません。」
僕等はもうその時には第六の龕の前に立つてゐました。
「これは聖徒ストリントベリイの友だちです。子供の大勢ある細君の代りに十三四のタイテイの女を娶つた商賣人上りの佛蘭西の畫家です。この聖徒は太い血管の中に水夫の血を流してゐました。が、脣を御覽なさい。砒素か何かの痕が殘つてゐます。第七の龕の中にあるのは……もうあなたはお疲れでせう。ではどうかこちらへお出で下さい。」
僕は實際疲れてゐましたから、ラツプと一しよに長老に從ひ、香の匂のする廊下傳ひに或部屋へはひりました。その又小さい部屋の隅には黒いヴエヌスの像の下に山葡萄が一ふさ獻じてあるのです。僕は何の裝飾もない僧房を想像してゐただけにちよつと意外に感じました。すると長老は僕の容子にかう云ふ氣もちを感じたと見え、僕等に椅子を薦める前に半ば氣の毒さうに説明しました。
「どうか我々の宗教の生活教であることを忘れずに下さい。我々の神、――『生命の樹』の教へは『旺盛に生きよ』と云ふのですから。……ラツプさん、あなたはこのかたに我々の聖書を御覽に入れましたか?」
「いえ、……實はわたし自身も殆ど讀んだことはないのです。」
ラツプは頭の皿を掻きながら、正直にかう返事をしました。が、長老は不相變靜かに微笑して話しつづけました。
「それではおわかりなりますまい。我々の神は一日のうちにこの世界を造りました。(『生命の樹』は樹と云ふものの、成し能はないことはないのです。)のみならず雌の河童を造りました。すると雌の河童は退屈の餘り、雄の河童を求めました。我々の神はこの歎きを憐み、雌の河童の腦髓を取り、雄の河童を造りました。我々の神はこの二匹の河童に『食へよ、交合せよ、旺盛に生きよ』と云ふ祝福を與へました。……」
僕は長老の言葉のうちに詩人のトツクを思ひ出しました。詩人のトツクは不幸にも僕のやうに無神論者です。僕は河童ではありませんから、生活教を知らなかつたのも無理はありません。けれども河童の國に生まれたトツクは勿論「生命の樹」を知つてゐた筈です。僕はこの教へに從はなかつたトツクの最後を憐みましたから、長老の言葉を遮るやうにトツクのことを話し出しました。
「ああ、あの氣の毒な詩人ですね。」
長老は僕の話を聞き、深い息を洩らしました。
「我々の運命を定めるものは信仰と境遇と偶然とだけです。(尤もあなたがたはその外に遺傳をお數へなさるでせう。)トツクさんは不幸にも信仰をお持ちにならなかつたのです。」
「トツクはあなたを羨んでゐたでせう。いや、僕も羨んでゐます。ラツプ君などは年も若いし、……」
「僕も嘴さへちやんとしてゐれば或は樂天的だつたかも知れません。」
長老は僕等にかう言はれると、もう一度深い息を洩らしました。しかもその目は涙ぐんだまま、ぢつと黒いヴエヌスを見つめてゐるのです。
「わたしも實は、――これはわたしの秘密ですから、どうか誰にも仰有らずに下さい。――わたしも實は我々の神を信ずる訣に行かないのです。しかしいつかわたしの祈祷は、――」
丁度長老のかう言つた時です。突然部屋の戸があいたと思ふと、大きい雌の河童が一匹、いきなり長老へ飛びかかりました。僕等がこの雌の河童を抱きとめようとしたのは勿論です。が、雌の河童は咄嗟の間に床の上へ長老を投げ倒しました。
「この爺め!けふも又わたしの財布から一杯やる金を盗んで行つたな!」
十分ばかりたつた後、僕等は實際逃げ出さないばかりに長老夫婦をあとに殘し、大寺院の玄關を下りて行きました。
「あれではあの長老も『生命の樹』を信じない筈ですね。」
暫く默つて歩いた後、ラツプは僕にかう言ひました。が、僕は返事をするよりも思はず大寺院を振り返りました。大寺院はどんより曇つた空にやはり高い塔や圓屋根を無數の觸手のやうに伸ばしてゐます。何か沙漠の空に見える蜃氣樓の無氣味さを漂はせたまま。……
それから彼是一週間の後、僕はふと醫者のチヤツクに珍らしい話を聞きました。と云ふのはあのトツクの家に幽靈の出ると云ふ話なのです。其頃にはもう雌の河童はどこか外へ行つてしまひ、僕等の友だちの詩人の家も寫眞師のステユデイオに變つてゐました。何でもチヤツクの話によれば、このステユデイオでは寫眞をとると、トツクの姿もいつの間にか必ず朦朧と客の後ろに映つてゐるとか云ふことです。尤もチヤツクは物質主義者ですから、死後の生命などを信じてゐません。現にその話をした時にも惡意のある微笑を浮べながら、「やはり靈魂と云ふものも物質的存在と見えますね」などと註釋めいたことをつけ加へてゐました。僕も幽靈を信じないことはチヤツクと餘り變りません。けれども詩人のトツクには親しみを感じてゐましたから、早速本屋の店へ駈けつけ、トツクの幽靈に關する記事やトツクの幽靈の寫眞の出てゐる新聞や雜誌を買つて來ました。成程それ等の寫眞を見ると、どこかトツクらしい河童が一匹、老若男女の河童の後にぼんやりと姿を現してゐました。しかし僕を驚かせたのはトツクの幽靈の寫眞よりもトツクの幽靈に關する記事、――殊にトツクの幽靈に關する心靈學協會の報告です。僕は可也逐語的にその報告を譯して置きましたから、下に大略を掲げることにしませう。但し括弧の中にあるのは僕自身の加へた註釋なのです。――
詩人トツク君の幽靈に關する報告。(心靈學協會雜誌第八千二百七十四號所載)
わが心靈學協會は先般自殺したる詩人トツク君の舊居にして現在は××寫眞師のステユデイオなる□□街第二百五十一號に臨時調査會を開催せり。列席せる會員は下の如し。(氏名を略す。)
我等十七名の會員は心靈學協會々長ペツク氏と共に九月十七日午前十時三十分、我等の最も信頼するメデイアム、ホツプ夫人を同伴し、該ステユデイオの一室に參集せり。ホツプ夫人は該ステユデイオに入るや、既に心靈的空氣を感じ、全身に痙攣を催しつつ、嘔吐すること數囘に及べり。夫人の語る所によれば、こは詩人トツク君の強烈なる煙草を愛したる結果、その心靈的空氣も亦ニコテインを含有する爲なりと云ふ。
我等會員はホツプ夫人と共に圓卓を繞りて默坐したり。夫人は三分二十五秒の後、極めて急劇なる夢遊状態に陥り、且詩人トツク君の心靈の憑依する所となれり。我等會員は年齡順に從ひ、夫人に憑依せるトツク君の心靈と左の如き問答を開始したり。
問君は何故に幽靈に出づるか?
答死後の名聲を知らんが爲なり。
問君――或は心靈諸君は死後も尚名聲を欲するや?
答少くとも予は欲せざる能はず。然れども予の邂逅したる日本の一詩人の如きは死後の名聲を輕蔑し居たり。
問君はその詩人の姓名を知れりや?
答予は不幸にも忘れたり。唯彼の好んで作れる十七字詩の一章を記憶するのみ。
問その詩は如何?
答「古池や蛙飛びこむ水の音。」
問君はその詩を佳作なりと做すや?
答予は必しも惡作なりと做さず。唯「蛙」を「河童」とせん乎、更に光彩陸離たるべし。
問然らばその理由は如何?
答我等河童は如何なる藝術にも河童を求むること痛切なればなり。
會長ペツク氏はこの時に當り、我等十七名の會員にこは心靈學協會の臨時調査會にして合評會にあらざるを注意したり。
問心靈諸君の生活は如何?
答諸君の生活と異ること無し。
問然らば君は君自身の自殺せしを後悔するや?
答必しも後悔せず。予は心靈的生活に倦まば、更にピストルを取りて自活すべし。
問自活するは容易なりや否や?
トツク君の心靈はこの問に答ふるに更に問を以てしたり。こはトツク君を知れるものには頗る自然なる應酬なるべし。
答自殺するは容易なりや否や?
問諸君の生命は永遠なりや?
答我等の生命に關しては諸説粉々として信ずべからず。幸ひに我等の間にも基督教、佛教、モハメツト教、拜火教等の諸宗あることを忘るる勿れ。
問君自身の信ずる所は?
答予は常に懷疑主義者なり。
問然れども君は少くとも心靈の存在を疑はざるべし?
答諸君の如く確信する能はず。
問君の交友の多少は如何?
答予の交友は古今東西に亙り、三百人を下らざるべし。その著名なるものを擧ぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル……
問君の交友は自殺者のみなりや?
答必しも然りとせず。自殺を辯護せるモンテエニユの如きは予が畏友の一人なり。唯予は自殺せざりし厭世主義者、――シヨオペンハウエルの輩とは交際せず。
問シヨオペンハウエルは健在なりや?
答彼は目下心靈的厭世主義を樹立し、自活する可否を論じつつあり。然れどもコレラも黴菌病なりしを知り、頗る安堵せるものの如し。
我等會員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウイン、クレオパトラ、釋迦、デモステネス、ダンテ、千の利休等の心靈の消息を質問したり。然れどもトツク君は不幸にも詳細に答ふることを做せず、反つてトツク君自身に關する種々のゴシツプを質問したり。
問予の死後の名聲は如何?
答或批評家は「群小詩人の一人」と言へり。
問彼は予が詩集を贈らざりしに怨恨を含める一人なるべし。予の全集は出版せられしや?
答君の全集は出版せられたれども、賣行甚だ振はざるが如し。
問予の全集は三百年の後、――即ち著作權の失はれたる後、萬人の購ふ所となるべし。予の同棲せる女友だちは如何?
答彼女は書肆ラツク君の夫人となれり。
問彼女は未だ不幸にもラツクの義眼なるを知らざるなるべし。予が子は如何?
答國立孤兒院にありと聞けり。
トツク君は暫く沈默せる後、新たに質問を開始したり。
問予が家は如何?
答某寫眞師のステデイオとなれり。
問予の机は如何になれるか?
答如何なれるかを知るものなし。
問予は予の机の抽斗に予の
ホツプ夫人は最後の言葉と共に再び急劇に覺醒したり。我等十七名の會員はこの問答の眞なりしことを上天の神に誓つて保證せんとす。(尚又我等の信頼するホツプ夫人に對する報酬は嘗て夫人が女優たりし時の日當に從ひて支辨したり。)
僕はかう云ふ記事を讀んだ後、だんだんこの國にゐることも憂鬱になつて來ましたから、どうか我々人間の國へ歸ることにしたいと思ひました。しかしいくら探して歩いても、僕の落ちた穴は見つかりません。そのうちにあのバツグと云ふ漁夫の河童の話には、何でもこの國の街はづれに或年をとつた河童が一匹、本を讀んだり、笛を吹いたり、靜かに暮らしてゐると云ふことです。僕はこの河童に尋ねて見れば、或はこの國を逃げ出す途もわかりはしないかと思ひましたから、早速街はづれへ出かけて行きました。しかしそこへ行つて見ると、如何にも小さい家の中に、年をとつた河童どころか、頭の皿も固まらない、やつと十二三の河童が一匹、悠々と笛を吹いてゐました。僕は勿論間違つた家へはひつたのではないかと思ひました。が、念の爲に名をきいて見ると、やはりバツグの教へてくれた年よりの河童に違ひないのです。
「しかしあなたは子供のやうですが……」
「お前さんはまだ知らないのかい?わたしはどう云ふ運命か、母親の腹を出た時には白髪頭をしてゐたのだよ。それからだんだん年が若くなり、今ではこんな子供になつたのだよ。けれども年を勘定すれば、生まれる前を六十としても、彼是百十五六にはなるかも知れない。」
僕は部屋の中を見まはしました。そこには僕の氣のせゐか、質素な椅子やテエブルの間に何か清らかな幸福が漂つてゐるやうに見えるのです。
「あなたはどうもほかの河童よりも仕合せに暮らしてゐるやうですね?」
「さあ、それはさうかも知れない。わたしは若い時は年よりだつたし、年をとつた時は若いものになつてゐる。從つて年よりのやうに慾にも渇かず、若いもののやうに色にも溺れない。兎に角わたしの生涯はたとひ仕合せではないにもしろ、安らかだつたのには違ひあるまい。」
「成程それでは安らかでせう。」
「いや、まだそれだけでは安らかにはならない。わたしは體も丈夫だつたし、一生食ふに困らぬ位の財産を持つてゐたのだよ。しかし一番仕合せだつたのはやはり生まれて來た時に年よりだつたことだと思つてゐる。」
僕は暫くこの河童と自殺したトツクの話だの毎日醫者に見て貰つてゐるゲエルの話だのをしてゐました。が、なぜか年をとつた河童は餘り僕の話などに興味のないやうな顏をしてゐました。
「ではあなたはほかの河童のやうに格別生きてゐることに執着を持つてはゐないのですね?」
年をとつた河童は僕の顏を見ながら、靜かにかう返事をしました。
「わたしもほかの河童のやうにこの國へ生まれて來るかどうか、一應父親に尋ねられてから母親の胎内を離れたのだよ。」
「しかし僕はふとした拍子に、この國へ轉げ落ちてしまつたのです。どうか僕にこの國から出て行かれる路を教へて下さい。」
「出て行かれる路は一つしかない。」
「と云ふのは?」
「それはお前さんのここへ來た路だ。」
僕はこの答を聞いた時になぜか身の毛がよだちました。
「その路が生憎見つからないのです。」
年をとつた河童は水々しい目にぢつと僕の顏を見つめました。それからやつと體を起し、部屋の隅へ歩み寄ると、天井からそこに下つてゐた一本の綱を引きました。すると今まで氣のつかなかつた天窓が一つ開きました。その又圓い天窓の外には松や檜が枝を張つた向うに大空が青あをと晴れ渡つてゐます。いや、大きい鏃に似た鎗ケ岳の峯も聳えてゐます。僕は飛行機を見た子供のやうに實際飛び上つて喜びました。
「さあ、あすこから出て行くが好い。」
年をとつた河童はかう言ひながら、さつきの綱を指さしました。今まで僕の綱と思つてゐたのは實は綱梯子に出來てゐたのです。
「ではあすこから出さして貰ひます。」
「唯わたしは前以て言ふがね。出て行つて後悔しないやうに。」
「大丈夫です。僕は後悔などはしません。」
僕はかう返事をするが早いか、もう綱梯子を攀ぢ登つてゐました。年をとつた河童の頭の皿を遙か下に眺めながら。
僕は河童の國から歸つて來た後、暫くは我々人間の皮膚の匂に閉口しました。我々人間に比べれば、河童は實に清潔なものです。のみならず我々人間の頭は河童ばかり見てゐた僕には如何にも氣味の惡いものに見えました。これは或はあなたにはおわかりにならないかも知れません。しかし目や口は兎も角も、この鼻と云ふものは妙に恐しい氣を起させるものです。僕は勿論出來るだけ、誰にも會はない算段をしました。が、我々人間にもいつか次第に慣れ出したと見え、半年ばかりたつうちにどこへでも出るやうになりました。唯それでも困つたことは何か話をしてゐるうちにうつかり河童の國の言葉を口に出してしまふことです。
「君はあしたは家にゐるかね?」
「Qua」
「何だつて?」
「いや、ゐると云ふことだよ。」
大體かう云ふ調子だつたものです。
しかし河童の國から歸つて來た後、丁度一年ほどたつた時、僕は或事業の失敗した爲に……
(S博士は彼がかう言つた時、「その話はおよしなさい」と注意をした。何でも博士の話によれば、彼はこの話をする度に看護人の手にも了へない位、亂暴になるとか云ふことである。)
ではその話はやめませう。しかし或事業の失敗した爲に僕は又河童の國へ歸りたいと思ひ出しました。さうです。「行きたい」のではありません。「歸りたい」と思ひ出したのです。河童の國は當時の僕には故郷のやうに感ぜられましたから。
僕はそつと家を脱け出し、中央線の汽車へ乘らうとしました。そこを生憎巡査につかまり、とうとう病院へ入れられたのです。僕はこの病院へはひつた當座も河童の國のことを想ひつづけました。醫者のチヤツクはどうしてゐるでせう?哲學者のマツグも不相變七色の色硝子のランタアンの下に何か考へてゐるかも知れません。殊に僕の親友だつた、嘴の腐つた學生のラツプは、――或けふのやうに曇つた午後です。こんな追憶に耽つてゐた僕は思はず聲を擧げようとしました。それはいつの間にはひつて來たか、バツグと云ふ漁夫の河童が一匹、僕の前に佇みながら、何度も頭を下げてゐたからです。僕は心をとり直した後、――泣いたか笑つたかも覺えてゐません。が、兎に角久しぶりに河童の國の言葉を使ふことに感動してゐたことは確かです。
「おい、バツグ、どうして來た?」
「へい、お見舞ひに上つたのです。何でも御病氣だとか云ふことですから。」
「どうしてそんなことを知つてゐる?」
「ラデイオのニウスで知つたのです。」
バツグは得意さうに笑つてゐるのです。
「それにしてもよく來られたね?」
「何、造作はありません。東京の川や堀割りは河童には往來も同樣ですから。」
僕は河童も蛙のやうに水陸兩棲の動物だつたことに今更のやうに氣がつきました。
「しかしこの邊には川はないがね。」
「いえ、こちらへ上つたのは水道の鐡管を拔けて來たのです。それからちよつと消火栓をあけて……」
「消火栓をあけて?」
「旦那はお忘れなすつたのですか?河童にも機械屋のゐると云ふことを。」
それから僕は二三日毎にいろいろの河童の訪問を受けました。僕の病はS博士によれば早發生痴呆症と云ふことです。しかしあの醫者のチヤツクは(これは甚だあなたにも失禮に當るのに違ひありません。)僕は早發生痴呆症患者ではない、早發生痴呆症患者はS博士を始め、あなたがた自身だと言つてゐました。醫者のチヤツクも來る位ですから、學生のラツプや哲學者のマツグの見舞ひに來たことは勿論です。が、あの漁夫のバツグの外に晝間は誰も尋ねて來ません。殊に二三匹一しよに來るのは夜、――それも月のある夜です。僕はゆうべも月明りの中に硝子會社の社長のゲエルや哲學者のマツグと話をしました。のみならず音樂家のクラバツクにもヴアイオリンを一曲彈いて貰ひました。そら、向うの机の上に黒百合の花束がのつてゐるでせう?あれもゆうべクラバツクが土産に持つて來てくれたものです。……
(僕は後を振り返つて見た。が、勿論机の上には花束も何ものつてゐなかつた。)
それからこの本も哲學者のマツグがわざわざ持つて來てくれたものです。ちよつと最初の詩を讀んで御覽なさい。いや、あなたは河童の國の言葉を御存知になる筈はありません。では代りに讀んで見ませう。これは近頃出版になつたトツクの全集の一冊です。――
(彼は古い電話帳をひろげ、かう云ふ詩をおほ聲に讀みはじめた。)
――椰子の花や竹の中に
路ばたに枯れた無花果と一しよに
しかし我々は休まなければならぬ
(その又背景の裏を見れば、繼ぎはぎだらけのカンヴアスばかりだ?)――
けれども僕はこの詩人のやうに厭世的ではありません。河童たちの時々來てくれる限りは、――ああ、このことは忘れてゐました。あなたは僕の友だちだつた裁判官のペツプを覺えてゐるでせう。あの河童は職を失つた後、ほんたうに發狂してしまひました。何でも今は河童の國の精神病院にゐると云ふことです。僕はS博士さへ承知してくれれば、見舞ひに行つてやりたいのですがね……。
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我が君の天の下知ろしめしてよりこの方、四つの海浪の聲聞えず、九つの國貢ぎ物絶ゆることなし。おほよそ日の中に萬のことわざ多かるなかに、花の春月の秋、折につけ事に臨みて空しくすぐしがたくなむ坐します。これに由りて、 近く侍ひ遠く聞く人、月に嘲り風に欺くこと絶えず、花を弄び、鳥を憐まずといふことなし。遂におほむ遊のあまりに、志き島のやまと歌集めさせたまふことあり。拾遺集に入らざる中頃のをかしき言の葉、藻鹽草かき集むべきよしなむ有りける。仰を承はれる我等、あしたにみことのりを承はり、夕べにのべ給ふ事、誠にしげし。この仰、心にかゝりて思ひながら、年を送る事、こゝのかへりの春秋になりにけり。いぬる應徳の始の年、夏みな月の二十日餘りのころほひ、やくらの司に備はりて、五日の暇もさまたげなし。そのかみの仰を、老曾の森に思ひたまへて、ちり%\なる言の葉かき出づるなかに、いそのかみ舊りにたる事は、古今、後撰、拾遺集に載せて一つも殘らず。その外の歌、秋の虫のさせる節なく、芦間の舟のさはり多かれど、中頃よりこの方、今に至るまでの歌のなかにとり弄ぶべきも有り。天暦の末より今日に至るまで、世は十つぎあまり一つぎ、年は百年あまりみそぢになむ過ぎにける。住吉の松久しく、あらたまの年も過ぎて、濱の眞砂の數志らぬまで、家々の言の葉多く積りにけり。事を撰ぶ道、すべらぎの畏き志わざとてもさらず。譽をとる時、山賤の賤しきことゝても捨つる事なし。姿秋の月の朗かに、詞春の花の匂あるをば、千歌二もゝち十あまり八つを撰びてはた卷とせり。名づけて後拾遺和歌集といふ。おほよそ古今、後撰二つの集に歌入りたるともがらの家の集をば、世もあがり人も畏くて、難波のあしよし定めむ事も憚あれば、之に除きたり。昔梨壷のいつゝの人といひて、歌に巧なる者あり。いはゆる大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城ら是なり。さきに歌の心を得て、呉竹のよゝに、池水のいひふるされたる人なり。これらの人の歌をさきとして、今の世のことを好む輩に至るまで、目につき心に適ふをば入れたり。世にある人、聞く事を畏しとし、見る事を卑しとすることわざによりて、近き世の歌に心をとゞめむこと難くなむあるべき。志かはあれど、後みむ爲に、吉野川よしといひながさむ人に、あふみのいさら川いさゝかにこの集を撰べり。この事今日に始まれるにあらず。奈良の帝は萬葉集二十卷を撰びて、常の玩びものと志たまへり。かの集の心は、易きことをかくして、難き事を現はせり。そのかみのこと今の世に叶はずして、惑へる者多し。延喜の聖の帝は、萬葉集の外の歌二十卷を撰びて、世に傳へたまへり。いはゆる今の古今和歌集是なり。村上の畏き御代には、また古今和歌集に入らざる歌二十卷を撰び出でゝ、後撰集と名づけ、また花山の法皇はさきの二つの集に入らざるうたを取りひろひて、拾遺集と名づけたまへり。かの四つの集は、こと葉ぬひ物の如くにて、心海よりも深し。この外大納言公任卿三十ぢあまり六つの歌人をぬき出でゝ、これかれたへなる歌もゝちあまり五十ぢをかきいだし、又十あまり五つがひの歌を合せて世に傳へたり。然のみにあらず。大和唐土のをかしきことふた卷撰びて、物につけ事によそへて、人の心をゆかさしむ。又こゝの品のやまと歌を撰びて人にさとし、わが心に適へる歌一卷を集めて、深き窓にかくす集といへり。今も古も、優れたる中にすぐれたる歌をかき出して、黄金の玉の集となむ名づけたる。その言葉名に現はれて、その歌なさけ多し。おほよそこの六くさの集は、畏きも賤しきも、知れるも知らざるも、玉くしげあけくれの心をやるなかだちとせずといふことなし。また近く能因法師といふ者あり。心、花の山の跡を願ひて、言葉、人に志られたり。わが世にあひとしあひたる人の歌を撰びて、玄々集と名づけたり。これらの集に入りたる歌は、海士の栲繩繰りかへし、同じことを抜きいづべきにもあらざれば、この集にのする事なし。又麗しき花の集といひ、足引の山伏が志わざなど名づけうゑ樹の下の集といひ、集めて言の葉いやしく姿
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む月一日詠みはべりける
みちのくにゝ侍りける時春たつ日よみ侍りける
春は東より來るといふ心を詠みはべりける
春たつ日よみ侍りける
寛和二年花山院の歌合によみ侍りける
年ごもりに山寺に侍りけるに今日はいかゞと人のとひて侍りければよめる
山寺にて睦月に雪のふれるをよめる
題志らず
天暦三年太政大臣の七十賀し侍りける屏風によめる
一條院の御時殿上人春の歌とて乞ひはべりければよめる
花山院の歌合に霞をよみ侍りける
題志らず
應司どのゝ七十賀の月次の屏風に臨時に客のきたる所をよめる
春臨時客をよめる
入道前太政大臣大饗し侍りける屏風に臨時客のかたかきたる所をよめる
同じ屏風に大饗のかたかきたる所をよみ侍りける
民部卿泰憲近江守に侍りける時三井寺にて歌合し侍りけるによめる
鶯をよみ侍りける
正月二日逢坂にて鶯の聲を聞きてよみ侍りける
選子内親王いつきときこえける時正月三日上達部あまた參りて梅が枝といふ歌を歌ひて遊びけるに内よりかはらけ出すとてよみ侍りける
加階申しけるに賜はらで鶯のなくをきゝて詠みはべりける
俊綱の朝臣の家にて春山里に人を尋ぬといふ心をよめる
小野宮太政大臣の家に子日し侍りけるに詠みはべりける
題志らず
正月子日庭におりて松など手すさびに引きはべりけるをみてよめる
正月子日に當りて侍りけるに良暹法師の許より子日志になむいづるいざなどいひにおこせ侍りけるにまたもおとせで日くれにければよみて遣はしける
今上六條に坐しまして上達部うへのをのこどもなど中島に渡りて子日し侍りけるによみ侍りける
三條院の御時に上達部殿上人など子日せむとし侍りけるに齋院の女房船岡にもの見むとしけるをとゞまりにければそのつとめて齋院に奉り侍りける
題志らず
承暦二年内裏の歌合に詠侍りける
正月七日子日に當りて雪の降り侍りけるによめる
正月七日卯日にあたりて侍りけるに今日は卯杖つきてやなど道宗の朝臣のもとよりいひおこせて侍りければよめる
題志らず
後冷泉院の御時后の宮の歌合に詠み侍りける
正月七日周防の内侍のもとに遣はしける
長樂寺にて故郷の霞といふ心を詠み侍りける
題志らず
春難波といふ所にて綱引くを見て詠み侍りける
題志らず
正月ばかりに津の國に侍りける頃人の許にいひつかはしける
題志らず
春の駒をよめる
長久二年弘徽殿女の御の歌合し侍りけるに春駒をよめる
屏風の繪にきじおほくむれゐて旅人の眺望する所をよめる
題志らず
後冷泉院の御時きさいの宮の歌合に殘雪をよめる
屏風の繪に梅の花ある家に男きたる所をよめる
ある所の歌合に梅をよめる
春の夜のやみはあやなしといふ事をよみ侍りける
題志らず
村上の御時御前の紅梅を女藏人どもによませさせたまひけるにかはりてよめる
山里に住侍りける頃梅花を詠める
題志らず
山家梅花をよめる
春風夜芳といふ心をよめる
梅の花を折りてよみ侍りける
太皇太后宮東三條にて后にたゝせ給ひけるに家の紅梅をうつしうゑられて花の盛にしのびにまかりていと面白くさきたる枝にむすびつけ侍りける
題志らず
道雅の三位の八條の家の障子に人の家に梅の木ある所に水流れて客人來れる所をよめる
水邊梅花といふこゝろを
長樂寺にすみ侍りける頃二月ばかりに人のもとにいひつかはしける
題志らず
歸雁をよめる
屏風に二月山田うつ所にかへる雁などある所をよみ侍りける
天徳四年内裏の歌合に柳をよめる
柳池の水を拂ふといふ心をよめる
題志らず
二月ばかり良暹法師のもとにありやと音づれて侍りければ人々具して花見になむ出でぬときゝて常はいざなふ物をと思ひて尋ねて遣はしける
人々花見にまかりけるをかくともつげ侍らざりければつかはしける
二月のころほひ花見に俊綱の朝臣の伏見の家に人々まかれりけるにたれともしらせでさしおかせて侍りける
花見にまかりけるに嵯峨野をやきけるを見てよみ侍りける
題志らず
一條院の御時殿上の人々花見にまかりて女のもとに遣しける
かへし
後冷泉院の御時うへのをのこども花見にまかりて歌などよみてたかくらの一宮の御かたにもてまゐりて侍りけるに
今上の御時殿上の人々花見にまかり出でける道に中宮の御方よりとて人にかはりて遣しける
障子の繪に花多かる山里に女ある所をよみ侍りける
題志らず
遠き花を尋ぬといふ心をよめる
長樂寺に侍りける頃齋院より山里の櫻はいかゞとありければよみ侍りける
白河院にて花を見てよみ侍りける
南殿の櫻を見るといふことを
うへのをのこども歌よみ侍りけるに春心を花によすといふ事をよみ侍りける
花を惜むこゝろをよめる
河原院にて遙に山櫻を見て詠める
夜思櫻といふ心をよめる
櫻を植ゑおきてぬしなくなり侍りにければよめる
遠き所にまうでゝ歸る道に山の櫻を見やりてよめる
題志らず
なげかしき事侍りける頃花を見てよめる
堀河右大臣の九條の家にて毎山春ありといふ心をよみ侍りける
題志らず
承暦二年内裏の歌合によめる
屏風に旅人花見る所をよめる
屏風繪に三月花の宴する所に客人來る所をよめる
後冷泉院東宮と申しける時殿上のをのこども花見むとて雲林院にまかれりけるによみて遣はしける
通宗の朝臣能登守に侍りける時國にて歌合し侍りけるによめる
宇治前太政大臣花見になむときゝてつかはしける
つゝしむべき年なればありくまじき由いひ侍りけれど三月ばかりに白川にまかりけるを聞きて相摸がもとよりかくもありけるはといひおこせて侍りけるによめる
遠花誰家ぞといふ心をよめる
年毎に花を見るといふ心を詠める
高陽院の花盛に志のびて東西の山の花見にまかりてければ宇治前太政大臣きゝつけて、此程いかなる歌かよみたるなど問はせて侍りければ、久しく田舎に侍りてさるべき歌などもよみ侍らず、今日かくなむおもほゆるとてよみ侍りける
是を聞きて太政大臣いとあはれなりといひてかづけ物などして侍りけるとなむいひ傳へたる。
美作にまかり下りけるにおほいまうち君のかづけ物の事を思ひ出でゝ範永の朝臣のもとに遣しける
高倉の一宮の女房花見に白川にまかれりけるによめる
内のおほいまうち君の家にて人々酒たうべて歌よみ侍りけるに遙に山の櫻を望むといふ心をよめる
遠山櫻といふ心をよめる
周防にまかりくだらむとしけるに家の花をしむ心人々よみ侍りけるによめる
花のもとに歸らむ事を忘るといふ心をよめる
基長の中納言東山に花見侍りけるにぬのごろもきたるに法師して誰とも志らせでとらせ侍りける
東三條院の御屏風に旅人山櫻を見る所をよめる
同じ御時屏風繪に櫻花多く咲ける所に人々あるを詠める
大納言公任花の盛にこなといひておとづれ侍らざりければ
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元日に二條のきさいの宮にて白き大袿を給はりて
春たつ日よめる
ある人の許に新參りの女の侍りけるが月日久しく經て正月の朔頃にまへ許されたりけるに雨のふるを見て
朱雀院の子日におはしましけるにさはる事侍りてえつかうまつらずして延光朝臣につかはしける
院御かへし
子の日にをとこのもとより今日は小松引きになむまかり出づるといへりければ
題しらず
子日しにまかりける人のもとにおくれ侍りてつかはしける
宇多院に子日せむとありければ式部卿のみこをさそふとて
はつ春の歌とて
寛平の御時きさいの宮の歌合の歌
しはすばかりに大和へ事につきてまかりける程に宿りて侍りける人の家のむすめを思ひかけて侍りけれどもやむことなき事によりてまかりのぼりにけり。あくる春親の許に遣しける
かれにける男のもとにその住みけるかたの庭の木の枯たりける枝を折りて遣しける
女の宮仕にまかり出て侍りけるに珍らしき程はこれかれ物いひなどし侍りけるを程もなく一人にあひ侍りにければむ月のついたちばかりにいひつかはし侍りける
題しらず
前栽に紅梅を植ゑて又の春遲くさきければ
延喜の御時歌めしけるに奉りける
おなじ御時みづし所にさぶらひけるころしづめる由を歎きて御覽ぜさせよとおぼしくてある藏人におくりて侍りける十二首がうち
人のもとに遣はしける
人にわすられて侍りけるころ雨のやまずふりければ
題しらず
をとこにつきて外にうつりて
年を經て心かけたる女の今年ばかりをだに待ちくらせといひけるが又の年もつれなかりければ
題しらず
あひしりて侍りける人の家にまかれりけるに梅の木侍りけり。此花さきなむ時は必せをそこせむといひけるを音なく侍りければ
一本かへし
春の日事のついでありてよめる
かよひすみ侍りける人の家の前なる柳をおもひやりて
松のもとにこれかれ侍りて花を見やりて
紅梅の花を見て
これかれまどゐして酒たうべけるまへに梅の花に雪のふりかゝりけるを
兼輔朝臣のねやの前に紅梅を植ゑて侍りけるを三とせばかりの後花さきなどしけるを女どもその枝を折りてみすのうちよりこれはいかゞといだして侍れば
はじめて宰相になりて侍りける年になむ。
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堀河院の御時百首の歌めしける時立春の心を詠み侍りける
百首の歌の中に初春のこゝろを人にかはりてよめる
初春の心をよめる
正月一日ごろ雪の降りける日つかはしける
かへし
實行卿の家の歌合に霞の心をよめる
霞の心をよめる
百首の歌の中にうぐひすの心をよめる
始聞鶯といへる事をよめる
正月八日春立ちける日鶯のなきけるをきゝてよめる
あかつき鶯をきくといふ事をよめる
皇后宮にて人々歌つかうまつりけるに雨中鶯といふ事をよめる
良暹法師忍びてものへまかりけるに右大辨經頼が家の梅さかりにさきければ門にひねもすに立ちくらして夕つかたいひいれ侍りける
梅花夜芳といへることをよめる
朱雀院に人々まかりて閑庭梅花といへる事をよめる
道雅卿の家の歌合に梅花をよめる
梅花をよめる
子日の心をよめる
百首の歌の中に子日の心をよめる
柳絲隨風といふ心を
百首の歌の中に柳をよめる
池邊柳をよめる
呼子鳥をよめる
霞中歸雁といへる事をよめる
歸雁をよめる
花薫風といふ心をよみ侍りける
白河の花見の御幸に
人にかはりてよめる
宇治前太政大臣京極の家の御幸の日よませ給ひける
遠山櫻といへる事をよめる
松間櫻花といへる事をよめる
山寒花遲といふことを
新院の御かたにて花契遐年といへる事をよめる
終日尋花といふ事を
堀河院の御時女房たちを花山の花見せにつかはしたりけるにかへりまゐりて御前にて歌つかうまつりけるに女房にかはりてよませ給うける
山花を翫ぶといへる事をよめる
深山花を
人々にさくらの歌十首よませ侍りけるによめる
宇治前太政大臣の家の歌合にさくらをよめる
花爲春友といへる事をよみ侍りける
遙見山花をといへることをよめる
山花留人といへる事をよめる
堀河院の御時女御の御方の女房あまた花見ありきけるによめる
人にかはりてよめる
後冷泉院の御時皇后宮の歌合に櫻をよめる
月前花を見るといふ心をよめる
顯季卿の家にて櫻の歌十首人々によませ侍りけるによめる
水上落花といへる事をよめる
落花滿庭といへる事をよめる
堀河院の御時中宮の御方にて風靜花芳といへる事をつかうまつれる
落花の心をよめる
落花隨風といふ心をよめる
水上落花といへる心をよめる
落花衣にちるといへる事をよめる
堀川院の御時花のちりたるをかきあつめて大きなる物のふたに山のかたにつませ給ひて中宮の御方に奉らせ給へりけるを宮御覽じて歌よめとおほせありければつかうまつれる
花の庭にちりつもりたるをみてよめる
夜思落花といへる事をよめる
春ものへまかりけるに山田つくるを見てよみ侍りける
花をよみ侍りける
後冷泉院の御時月のあかゝりける夜女房御供にて南殿にわたらせ給ひたりけるに、庭の花かつちりておもしろかりけるを御覽じて是をしりたらむ人に見せばやとおほせ事ありて中宮の御かたに下野やあらむとてめしにつかはしたりければまゐりたるを御覽じて、あの花折りてまゐれと仰せ言ありければをりて參りたるをたゞにてはいかゞとおほせ事ありければつかうまつりける
新院の御方にて殘花風にかうばしといへる事をよめる
奈良にて人々百首の歌よみけるにさわらびをよめる
百首の歌の中に杜若を
春の田をよめる
苗代をよめる
後冷泉院の御時弘徽殿の女御の歌合に苗代をよめる
家の山吹を人々あまたまうできてあそびける次にをりけるを見てよめる
水邊款冬
おなじ心を
後令泉院の御時歌合に山吹をよめる
夕べにつゝじを見るといふ心をよめる
院の北面にて橋上藤花といへる事をよめる
藤花をよめる
坊のふぢの花さかりなりけるをみてよめる
紫藤藏松といへる事をよめる
二條關白の家に池邊藤花といへる事をよめる
百首の歌の中に藤花をよめる
雨中藤花といへる事をよめる
隣家藤花といへる事をよめる
三月盡の心をよめる
三月盡戀の心をよめる
重服に侍りけるとし三月盡日人のもとより音づれて侍りければつかはしける
攝政左大臣の家にて人々三月盡のこゝろをよませ侍りけるに
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春たちける日よみ侍りける
堀河院の御時百首の歌奉りける時よめる
百首の歌たてまつりける時初春の心をよめる
堀川院の御時百首の歌奉りける時殘雪をよめる
承暦二年内裏の後番の歌合に鶯をよめる
後冷泉院の御時皇后宮の歌合によみ侍りける
法性寺入道前太政大臣、内大臣に侍りける時十首の歌よませ侍りけるによめる
右大臣に侍りける時家に歌合志侍りけるに霞の歌とてよみ侍りける
堀川院の御時百首の歌のうち霞の歌とてよめる
霞の歌とてよめる
百首の歌奉りける時子日の心をよめる
家に侍りける女房のもとに正月七日前中宮の女房若菜を遣はしたりけるを聞きてつかはしける
堀川院の御時百首の歌奉りけるうち若菜の歌とてよめる
睦月の廿日頃雪の降りて侍りける朝に家の梅を折りて俊頼の朝臣につかはしける
かへし
梅の木に雪のふりけるに鶯のなきければよめる
永保二年二月后の宮にて梅花久薫といへる心をよみ侍りける
堀川院の御時百首の歌奉りける時梅の花の歌とてよめる
崇徳院に百首の歌奉りける時よみ侍りける
題志らず
百首の歌めしける時梅の歌とてよませ給うける
梅花夜薫といへる心をよめる
題志らず
中院に有りける紅梅の卸枝遣さむなど申しけるを又の年の二月計り花咲きたる卸枝に結附けて皇太后宮大夫俊成の許に遣し侍りける
堀河院の御時百首の歌奉りける時春雨の心をよめる
題志らず
堀川院の御時百首の歌の中に早蕨をよめる
崇徳院に百首の歌奉りける時春駒の歌とてよめる
堀河院の御時百首の歌のうち歸雁のうたとてよめる
歸雁の心をよみ侍りける
崇徳院に百首の歌奉りける時歌とてよめる
百首の歌めしける時春の歌とてよませ給うける
白川院花御覽じにおはしましけるに召なかりければよみて奉り侍りける
鳥羽院位おりさせ給うて後白川に御幸ありて花御らんじける日よみ侍りける
近衛殿に渡らせ給うて歸らせ給ひける日遠尋山花といへる心をよませ給うける
寛治八年さきのおほきおほいまうち君の高陽院の家の歌合に櫻の歌とて
京極の家にて十種の供養し侍りける時白河院御幸せさせ給うて又の日歌奉らせ給うけるによみ侍りける
毎朝見花といへる心をよみ侍りける
東山に花見侍りける日よみ侍りける
十首の歌、人のよませ侍りけるとき花の歌とて
崇徳院に百首の歌奉りける時花の歌とてよめる
夜思山花と云る心を
尋深山花といへる心をよみ侍りける
尋花日暮といへる心をよめる
花の歌とてよめる
賀茂の社の歌合とて人々よみ侍りける時花の歌とてよめる
春日の社の歌合とて人々よみ侍りけるときよめる
故郷花といへる心をよみ侍りける
日吉のやしろの歌合とて人々よみ侍りける時よめる
花の歌とてよめる
毎春花芳といへる心をよめる
百首の歌奉りける時よみ侍りける
歌合志侍りける時花の歌とてよめる
十首の歌人々によませさせ侍りける時花の歌とてよみ侍りける
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はるたつこゝろをよみ侍りける
はるのはじめのうた
百首哥たてまつりし時、はるのうた
五十首哥たてまつりし時
入道前関白太政大臣、右大臣に侍ける時、百首哥よませ侍けるに、立春の心を
題しらず
堀河院御時百首哥たてまつりけるに、のこりのゆきのこゝろをよみ侍りける
題しらず
天暦御時屏風哥
崇徳院に百首哥たてまつりける時、はるのうた
延喜御時の屏風に
述懐百首哥よみ侍けるに、わかな
日吉社によみてたてまつりける子日の哥
百首たてまつりし時
和哥所にて、関路鶯といふことを
堀河院に百首哥たてまつりける時、のこりのゆきのこゝろをよみ侍ける
題しらず
家百首哥合に、余寒の心を
和哥所にて、春山月といふ心をよめる
詩をつくらせて哥にあはせ侍しに、水郷春望といふことを
春哥とて
百首哥たてまつりし時
題しらず
百首哥たてまつりし時
崇徳院に百首哥たてまつりける時
晩霞といふことをよめる
をのこども詩をつくりて哥にあはせ侍しに、水郷春望といふことを
摂政太政大臣家百首哥合に、春のあけぼのといふ心をよみ侍ける
守覚法親王、五十首哥よませ侍けるに
きさらぎまでむめのはなさき侍らざりけるとし、よみ侍ける
守覚法親王家五十首哥に
題しらず
かきねのむめをよみ侍りける
梅花遠薫といへる心をよみ侍ける
百首哥たてまつりし時
千五百番の哥合に
梅花にそへて大弐三位につかはしける
返し
二月雪落衣といふことをよみ侍ける
題しらず
百首哥たてまつりしに、春哥
土御門内大臣の家に、梅香留袖といふ事をよみ侍けるに
題しらず
文集嘉陵春夜詩、不明不暗朧々月といへることを、よみ侍りける
祐子内親王ふぢつぼにすみ侍けるに、女房、うへ人など、さるべきかぎりものがたりして、春秋のあはれ、いづれにかこゝろひくなど、あらそひ侍けるに、人びとおほく秋に心をよせ侍ければ
百首哥たてまつりし時
摂政太政大臣家百首哥合に
刑部卿頼輔、哥合し侍けるに、よみてつかはしける
題しらず
帰雁を
百首哥たてまつりし時
守覚法親王の五十首哥に
閑中春雨といふことを
寛平御時きさいの宮の哥合哥
百首哥たてまつりし時
清輔朝臣のもとにて、雨中苗代といふことをよめる
延喜御時屏風に
題しらず
百首哥の中に
建仁元年三月哥合に、霞隔遠樹といふことを
百首哥よみ侍ける時、春哥とてよめる
千五百番哥合に、春哥
題しらず
白河院、鳥羽におはしましける時、人々、山家待花といへる心をよみ侍けるに
亭子院哥合哥
摂政太政大臣家百首哥合に、野遊のこゝろを
百首哥たてまつりしに
題しらず
花哥とてよみ侍ける
和哥所にて哥つかうまつりしに、春の哥とてよめる
題しらず
やへざくらをおりて、人のつかはして侍ければ
百首哥たてまつりし時
題しらず
和哥所哥合に、羇旅花といふことを
五十首哥たてまつりし時
故郷花といへる心を
千五百番哥合に
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平定ふんが家の歌合に詠侍りける
承平四年中宮の賀し侍りける時の屏風の歌
霞をよみ侍りける
冷泉院の東宮におはしましける時歌奉れと仰せられければ
延喜の御時月次の御屏風に
天暦の御時歌合に
題志らず
定文が家の歌合に
題志らず
天暦十年三月廿九日内裏の歌合に
鶯をよみ侍りける
題志らず
延喜の御時宣旨にて奉れる歌の中に
同じ御時屏風に
冷泉院の御屏風のゑに梅の花ある家にまらうどきたる所
齋院の御屏風に
もゝぞのに住み侍りける前齋院の屏風に
題志らず
恒佐右大臣の家の屏風に
若菜を御覽じて
題志らず
おほぎさいの宮に宮内といふ人のわらはなりける時醍醐の御門のお前にさぶらひける程におまへなる五葉に鶯の鳴きければ正月初ねの日つかうまつりける
題志らず
入道式部卿のみこの子日し侍りける所に
延喜の御時御屏風に水のほとりに梅の花見たる所
題志らず
屏風に
題志らず
子にまかりおくれて侍りける頃東山にこもりて
題志らず
天歴九年内裏の歌合に
題志らず
菅家萬葉集の中
題志らず
天歴の御時麗景殿の女御と中將の更衣と歌合し侍りけるに
平定文が家の歌合に
賀の御屏風に
天歴の御時御屏風に
題志らず
承平四年中宮の、賀し給ひける時の屏風に
宰相の中將敦忠朝臣の家の屏風に
齋院の屏風、山道行く人ある所
題志らず
圓融院の御時三尺の御屏風に
題志らず
權中納言義
題志らず
天歴の御時御屏風に
題志らず
屏風に
題志らず
延喜の御時藤壷の女御の歌合のうたに
あれはてゝ人も侍らざりける家に櫻の咲き亂れて侍りけるを見て
北の宮のもぎの屏風に
亭子院の歌合に
題志らず
天歴の御時歌合に
題志らず
天歴の御時歌合に
井手と云ふ所に山吹の花の面白く咲きたるをみて
屏風に
題志らず
亭子院の歌合に
題志らず
延喜の御時春宮の御屏風に
同じ御時月次の御屏風に
閏三月侍りけるつごもりに
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堀河院の御時百首の歌奉りけるに春たつ心をよめる
寛和二年内裏の歌合に霞をよめる
天徳四年内裏の歌合によめる
はじめて鶯の聲をきゝてよめる
題志らず
冷泉院春宮と申しける時百首の歌奉りけるによめる
鷹司殿の七十賀の屏風に子日したるかたかきたる所によめる
題志らず
梅花遠薫といふ心を
梅花をよめる
題志らず
天徳四年内裏の歌合に柳をよめる
贈左大臣の家の歌合によめる
古郷の柳をよめる
題志らず
京極前太政大臣の家に歌合志侍りけるによめる
この歌を判者大納言經信紅の櫻は詩に作れども歌にはよみたることなむなきと申しければあしたにかの康資王の母の許に遣しける
かへし
おなじ歌合によめる
承暦二年内裏の後番歌合によめる
遠山のさくらといふ事をよめる
題しらず
志ら川に花見にまかりてよめる
所々に花を尋ぬと云事を詠せ給ける
橘としつなの朝臣のふしみの山庄にて水邊櫻花といふことをよめる
一條院の御時ならの八重櫻を人の奉りけるを其折御前に侍りければその花を題にて歌よめとおほせごとありければ
新院のおほせ事にて百首のうた奉りけるによめる
人々あまたぐして櫻の花を手ごとは折りて歸るとてよめる
題志らず
歸雁をよめる
櫻の花のちるを見てよめる
天徳四年内裏の歌合によめる
太皇太后宮賀茂のいつきと聞え給ひける時人々まゐりて鞠つかうまつりけるに硯のはこのふたに雪をいれていだされたりけるしき紙にかきつけ侍りける
住みあらしたる家の庭に櫻の花のひまなくちり積りて侍りけるを見てよめる
橘としつなの朝臣のふしみの山庄にて水邊落花といふことをよめる
藤原兼房の朝臣の家にて老人惜花といふことをよめる
庭の櫻の散るを御覽じてよませ給ひける
さくらの花のちるを見てよめる
落花滿庭といふ事をよめる
題志らず
寛和二年内裏の歌合によめる
麗景殿の女御の家の歌合によめる
堀河院の御時百首の歌奉りけるによめる
新院位におはしましゝ時牡丹をよませ給ひけるによみはべりける
老人惜春といふ事をよめる
三月盡日うへのをのこどもを御前にめして春の暮れぬる心をよませさせ給ひけるによませ給ひける
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三月三日桃の花を御覽じて
天暦の御時の屏風に
世尊寺の桃の花をよめる
永承五年六月祐子内親王の家の歌合し侍けるに此なかの題を人々詠侍りけるに詠める
題志らず
天徳四年歌合に
屏風の繪に櫻の花のちるを惜みがほなる所をよみ侍りける
太神宮のやけて侍りける事志るしに伊勢國に下りて侍りけるにいつきのぼり侍りて彼の宮人もなくて櫻いとおも志ろくちりければ立ちどまりてよみ侍りける
山路落花をよめる
隣の花をよめる
花の庭にちりて侍りける所にてよめる
承暦二年内裏の後番の歌合に櫻をよみ侍りける
題志らず
三月ばかりに花のちるを見てよみ侍りける
永承五年六月五日祐子内親王の家に歌合し侍るによめる
題志らず
家の櫻の散て水に流るゝを詠める
白河にて花のちりて流れけるをよみ侍りける
粟田の右大臣の家に人々のこり花を惜み侍りけるによめる
庭に櫻の多く散て侍ければ詠める
三月ばかりに野の草をよみ侍りける
躑躅をよめる
月輪といふ所にまかりて元輔、惠慶などゝ共に庭の藤の花をもてあそびてよみ侍りける
題志らず
承暦二年内裏の歌合に藤花を詠める
民部卿泰憲近江守に侍りける時三井寺にて歌合し侍りけるに藤の花をよみ侍りける
題志らず
長久二年弘徽殿の女御の家の歌合にかはづをよめる
題志らず
法輪に道命法師の侍りけるとぶらひにまかり渡る夜によぶこ鳥のなき侍りければよめる
三月つごもりに郭公のなくを聞きてよみ侍りける
三月つごもりの日惜春心を人々よみ侍りけるによめる
三月つごもりの日親の墓にまかりてよめる
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年老いて後梅の花植ゑてあくる年の春おもふところありて
閨の前に竹のある所に宿り侍りて
大和のふるの山をまかるとて
花山にて道俗酒たうべける折に
面白き櫻を折りて友だちのつかはしたりければ
返し
櫻の花をよめる
前栽に竹の中に櫻の咲たるを見て
題しらず
貞觀の御時弓のわざつかうまつりけるに
家より遠き所にまかる時前栽の櫻の花にゆひつけ侍りける
春のこゝろを
花のちるを見て
歸る雁をきゝて
朱雀院の櫻の面白き事と延光朝臣のかたり侍りければ見るやうもあらまし物をなど昔を思ひ出でゝ
題しらず
やよひのついたちごろに女に遣はしける
春雨のふらばおもひのきえもせでいとゞなげきのめをもやすらむといふ古歌の心ばへを女にいひ遣はしたりければ
女のもとにつかはしける
衛門の御やす所の家うづまさに侍りけるにそこの花面白かなりとて折りにつかはしたりければきこえたりける
御かへし
小貳につかはしける
かへし
題しらず
寛平の御時花の色霞にこめて見せずといふ心をよみて奉れとおほせられければ
題しらず
京極の御やす所におくり侍りける
題しらず
忍びたりける男の許に春行幸あるべしと聞きて裝束一くだりてうじて遣はすとて櫻色の下襲に添へて侍りける
忘れ侍りにける人の家に花をこふとて
呼子鳥を聞きて隣の家におくり侍りける
壬生忠岑が左近のつかひのをさにて文おこせて侍りけるついでに身を恨みて侍りける返事に
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卯月のついたちの日ころもがへの心をよめる
二條關白の家にて人々殘花の心をよませ侍りけるによめる
應徳元年四月三條の内裏にて庭樹結葉といへる事をよませ給ひける
鳥羽殿にて人々歌つかうまつりけるに卯のはなの心をよめる
卯花連垣といへる事をよめる
卯花をよめる
卯花たがかき根ぞといへる心をよめる
卯花をよめる
鳥羽殿の歌合に郭公をよめる
尋郭公といへる事をよめる
郭公の歌十首人々によませ侍りける頃に
郭公尋ねける日は聞かで二日ばかりありてなきけるを聞きてよめる
長實卿の家の歌合に郭公の心をよめる
郭公まつ心を
時鳥をよめる
承暦二年内裏の歌合に郭公を人にかはりてよめる
子規をよめる
人々十首の歌よみけるに郭公を
郭公驚夢といへる事をよめる
待郭公と云る事をよませ給へる
俊忠卿の家の歌合にほとゝぎすをよめる
郭公をよめる
宇治前太政大臣の家の歌合に郭公をよめる
匡房卿美作守にて下りける道にて郭公なきけるをきゝてよめる
郭公をよめる
月前時鳥といへる事をよめる
曉聞郭公といへる事をよめる
尋郭公といふことをよめる
雨中郭公といへる事をよめる
五月五日實能卿のもとに藥玉つかはすとて
永承六年殿上にて根合にあやめをよめる
郁芳門院の根合にあやめをよめる
承暦二年内裏の歌合にあやめを
宮づかへしけるむすめのもとに五月五日くすだま遣はすとて
百首の中にあやめをよめる
五月五日家にあやめふくをみてよめる
むかし中の院にすませ給ひける頃はみえざりけるあやめを人の中の院のと申しけるを見てよませ給ひける
百首の歌の中にさみだれをよめる
五月雨の心をよめる
承暦二年内裏の歌合に五月雨の心をよめる
權中納言俊忠卿の家の歌合にさみだれの心をよめる
五月雨の心をよめる
攝政左大臣の家にて夏月の心をよめる
權中納言俊忠卿の家の歌合に水鷄の心をよめる
攝政左大臣の家にて水&keiRyokan;の心をよめる
實行卿の家の歌合に夏風の心をよめる
水風暮凉といへる事をよめる
ともしの心をよめる
家の歌合に盧橘をよめる
百首の歌の中に盧橘をよめる
二條關白の家にて雨後野草といへる事をよめる
實行卿の家の歌合に鵜川の心をよめる
夏月をよめる
六月廿日ごろに秋の節になる日人のもとに遣はしける
公實卿の家にて對水待月といへるこゝろをよめる
秋隔一夜といへる事をよめる
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鳥羽殿におはしましける頃常見花といへるこゝろををのこどもつかうまつりけるついでによませ給うける
みこにおはしましける時鳥羽殿に渡らせ給へりける頃池上花といへる心をよませ給うける
山のはなの心をよみ侍りける
百首の歌たてまつりける時花の歌とて
寛治八年さきのおほきおほいまうち君の高陽院の家の歌合に櫻をよめる
後朱雀院の御時うへのをのこどもひんがし山の花見侍りけるに雨のふりにければ白川殿にとまりて
落花滿山路といへる心をよめる
堀川院の御時百首の歌奉りける時櫻をよめる
崇徳院の御時十五首の歌奉りける時花の歌とてよみ侍りける
百首の歌奉りける時よめる
花の歌とてよみ侍りける
花留客といへる心をよみ侍りける
落花の心をよめる
久我内大臣の家にて身にかへて花惜むといへる心をよめる
花の歌とてよめる
花の散るを見てよみ侍りける
池に櫻の散るを見てよみ侍りける
花浮澗水といへる心をよみ侍りける
山家落花といへる心をよめる
落花客稀といへる心をよめる
みちの國にまかりける時なこその關にて花のちりければよめる
小野の氷室山のかたに殘の花尋ね侍りける日僧都證觀が坊してこれかれ歌よみけるによめる
百首の歌奉りける時春の歌とてよめる
堀川院の御時の百首のうちよぶこどりをよめる
おなじ百首の時すみれをよめる
嘉承二年后の宮の歌合に菫をよめる
堀川院の御時の百首のうち山吹をよめる
堀川院の御時肥後が家によき山吹ありときこしめしてければ奉るとて結びつけ侍りける
水邊山吹といへる心をよめる
山吹をよめる
百首の歌奉りけるとき山吹の歌とてよめる
土御門右大臣の家に歌合志けるとき藤花をよめる
永承六年内裏の歌合に藤花をよみ侍りける
百首の歌奉りける時よみ侍りける
やよひのつごもりの頃白川殿に御かたゝがへの行幸ありける夜春殘二日といへる心をうへのをのこどもつかうまつりけるついでによませ給うける
百首の歌めしけるとき暮のはるの心をよませたまうける
三月のつごもりによみ侍りける
百首の歌奉りける時暮の春の心をよみ侍りける
三月盡の心をよみ侍りける
行路三月盡といへる心をよめる
三月盡の日皇太后宮大夫俊成の許によみて遣はしける
閏三月盡によみ侍りける
海路三月盡といへる心をよめる
堀川院の御時百首の歌奉りける時春の暮をよめる
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釈阿、和哥所にて九十賀し侍りしおり、屏風に、山にさくらさきたるところを
千五百番哥合に、春哥
百首哥に
内大臣に侍ける時、望山花といへるこゝろをよみ侍ける
祐子内親王家にて、人々、花哥よみ侍けるに
題しらず
寛平御時きさいの宮の哥合に
題しらず
[承元四年九月止之]
千五百番哥合に
守覚法親王、五十首哥よませ侍ける時
摂政太政大臣家に五首哥よみ侍けるに
花哥よみ侍けるに
山ざとにまかりてよみ侍ける
題しらず
花見侍ける人にさそはれてよみ侍ける
題しらず
百首哥めしゝ時、春哥
見山花といへる心を
堀河院御時百首哥たてまつりけるに、花哥
花十首哥よみ侍けるに
花落客稀といふことを
題しらず
五十首哥たてまつりし中に、湖上花を
関路花を
百首哥たてまつりし、春哥
百首哥めしける時、春哥
春日社哥合とて、人々、哥よみ侍けるに
最勝四天王院の障子に、よしの山かきたる所
千五百番哥合に
ひとゝせしのびて大内の花見にまかりて侍しに、にはにちりて侍しはなをすゞりのふたにいれて、摂政のもとにつかはし侍し
返し
家のやへざくらをおらせて、惟明親王のもとにつかはしける
返し
五十首哥たてまつりし時
題しらず
入道前関白太政大臣家に、百首哥よませ侍ける時
花哥とてよめる
千五百番哥合に
落花といふことを
題しらず
太神宮に百首哥たてまつり侍し中に
残春のこゝろを
題しらず
百首哥中に
小野宮のおほきおほいまうちぎみ、月輪寺花見侍ける日よめる
曲水宴をよめる
紀貫之、曲水宴し侍ける時、月入花灘暗といふことをよみ侍ける
雲林院のさくら見にまかりけるに、みなちりはてゝ、わづかにかたえだにのこりて侍ければ
千五百番哥合に
百首哥たてまつりし時
堀河院御時、百首哥たてまつりける時
題しらず
延喜十三年、亭子院哥合哥
飛香舎にて藤花宴侍けるに
天暦四年三月十四日、ふぢつぼにわたらせたまひて、花おしませたまひけるに
清慎公家屏風に
ふぢのまつにかゝれるをよめる
はるのくれつかた、実方朝臣のもとにつかはしける
修業し侍けるころ、春のくれによみける
五十首哥たてまつりし時
山家三月尽をよみ侍ける
題しらず
寛平御時きさいの宮の哥合哥
山家暮春といへるこゝろを
百首哥たてまつりし時
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天歴の御時の歌合に
屏風に
冷泉院の東宮におはしましける時百首の歌奉れと仰せられければ
夏のはじめによみ侍りける
百首の歌の中に
圓融院の御時御屏風の歌
延喜の御時飛香舍にて藤花の宴侍りける時に
題志らず
田子の浦の藤のはなを見侍りて
山里の卯花に鶯のなき侍りけるを
題志らず
延喜の御時月次の御屏風に
題志らず
夏山をこゆとて
延喜の御時御屏風に
題志らず
天歴の御時歌合に
寛和二年内裏の歌合に
女四のみこの家の歌合に
天歴の御時の歌合に
同じ御時の御屏風に
北宮のもぎの屏風に
敦忠朝臣の家の屏風に
延喜の御時歌合に
屏風に
題志らず
天歴の御時御屏風に淀の渡りする人かける所に
小野宮の大臣の家の屏風にわたりしたる所に郭公なきたるかたあるに
定文が家の歌合に
題志らず
延喜の御時中宮の歌合に
春宮にさぶらひける繪にくらはし山に時鳥とびわたるころ
題志らず
西宮の左大臣の家の屏風に
延喜の御時月次の御屏風に
九條の右大臣の家の賀の屏風に
女四のみこの家の屏風に
延喜御時御屏風に
河原院の泉のもとに凉み侍りて
家に咲きて侍りける撫子を人のがり遣はしける
題志らず
右大將定國の四十賀に内より屏風てうじて給ひけるに
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卯月の一日によめる
題志らず
齋院の長官にて侍りけるが少將になりて賀茂の祭の使志て侍りけるを珍らしき由人のいはせて侍りければよめる
神まつりをよめる
郭公を待ちてよめる
關白前太政大臣の家にて時鳥のうたおの/\十首づゝよませ侍りけるによめる
題志らず
山寺にこもりて侍りけるに郭公のなき侍らざりければよめる
題志らず
閑中時鳥といふ事をよめる
題志らず
土御門右大臣の家に歌合し侍りけるによめる
題志らず
堀川院の御時百首の歌奉りけるによめる
右大臣の家の歌合によめる
郁芳門院のあやめの根合によめる
藤原通宗の朝臣歌合志侍りけるによめる
世をそむかせ給ひて後花橘を御覽じてよませ給ひける
なでしこの花を見てよめる
贈左大臣の家に歌合志侍りけるによめる
寛和二年内裏の歌合に
六條右大臣の家に歌合志侍りけるによめる
水邊納凉といふ事をよめる
題志らず
長保五年入道前太政大臣の家に歌合志侍りけるによめる
題志らず
閏六月七日よめる
題志らず
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