Title: Yoshitsune senbon zakura
Author: Takeda, Izumo, Sosuke Namiki, and Shoraku Miyoshi
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About the original source:
Title: Yoshitsune senbon zakura
Title:
Author: Izumo Takeda, Sosuke Namiki, and Shoraku Miyoshi

Publisher: Tokyo : Shun'yodo , 1928

Note: This text appeared in Nihon gikyoku zenshu, vol. 28.



義經千本櫻
幕柱五千本

大物の船櫓は

うら波競ふ

猛將の忠臣

芳野の花櫓は

やま風競ふ

化性の孝心

押へて締めて馴れさする、身の代の早鮨は、主從の縁に引かるゝ、内や床しき惡 者の底意は、あふむ返しの下の句は勇者の返禮、威勢輝やく高提灯、照らして歸る錦 の        陣羽織

締めつ緩めつ猶豫の調べ、血筋は親子の縁に引かるゝ鼓の愛着、音や床しき化性 の正體、恩返しの賜物と、賢者の添へたる名を、照らしたる狐火は、古栖へかへる狐 の        白羽織




二幕目 伏見稻荷の場

  1. 役名==九郎判官義經。


  2. 武藏坊辨慶。


  3. 龜井六郎重清。


  4. 駿河次郎清繁。


  5. 佐藤四郎兵衞忠信。


  6. 逸見の藤 太。


  7. 義經妾、靜御前。


本舞臺、三間の間、上の方へ寄せて、朱の大鳥居、これに稻荷社と云ふ額を 掛け、上に杉の大樹、下の方、玉垣、石燈籠、下の柱松の立ち樹、好き所に臺附きの 松の樹、すべて伏見稻荷社の體。ドンチヤンにて、幕明く。


[ト書]

ト奧にて



大勢

 エイ/\ワウ。



[ト書]

ト鬨の聲を上げる。



[唄]

吹く風に、連れて聞ゆる鬨の聲、物凄まじき景色かな、昨日は北闕の 守護、今日は都の落人の、身となり給ふ九郎義經、。。數多の武士も散り%\になり、 龜井六郎駿河の次郎、主從三人大和路へ、夜深に急ぐ旅の空。



[ト書]

ト好き時分、向うより、義經、紺羽織、胸當、手甲、脛當、毛沓にて、金の采を 持ち出て來り、後より次郎、半切れ胸當、小手脛當の形、重ね草鞋にて出て來る。



[唄]

後振り返れば堀川の、御所も一時の雲煙り、浮世は夢の伏見道、稻荷 の宮居に差かくれば、龜井の六郎、遲ればせに馳せ付け。



[ト書]

ト本道より、六郎、半切れ小手、脛當の形、重ね草鞋にて、帛紗包みの鼓を持ち 出で來り、舞臺へ來て



六郎

正しくあの鯨波は鎌倉勢、後を見するも殘念なり。お許しを蒙むりて、一合戰 仕らん。



義經

いやとよ重清、都にて舅川越太郎が云ひし、鎌倉どのゝ憤り、明白に云ひ開き、 卿の君の敢へなき最期も、義經が身の云ひ譯なるに、早まつて辨慶が、海野の太郎を 討つたゆゑ、止む事を得ず、都を開きしは、親兄の禮を思ふゆゑ。この後は猶以て、 鎌倉勢に刃向はゞ、主從の縁もこれ限り。



[唄]

仰せに二人も腕撫で擦り、拳を握つて扣ゆる折柄、義經の御後を、慕 ひ焦れて靜御前、こけつ轉びつ來りしが、それと見るより縋り付き。



[ト書]

ト向うより靜御前、前幕の形にて出で來り




エヽ、胴慾な我が君さま。



[唄]

暫し涙に咽びしが。



[靜]

武藏どのを制せよと、わたしを遣つたその後で、早御所をお立ちと聞き、二里三 里遲れうとも、追ひ付くは女の念力、ようも/\慘たらしう、この靜を捨て置いて、 二人の衆も聞えませぬ。わしも一緒に行くやうに、執成し云うて下さんせいなア。



[唄]

歎けば共に義經も、情に弱る御心、見て取つて駿河の次郎。



次郎

主君にも道すがら、噂なきにはあらねども、行く道筋は敵の中、取分けて落ち行 く先は、多武の峯の十字坊、女儀を同道なされては、寺中の思惑如何あらん。



[唄]

透かし宥むる時しもあれ、武藏坊辨慶、息を切つて馳せ着き。



[ト書]

ト向うより辨慶、前幕の形にて、走り出て來り、舞臺へ來て



辨慶

土佐坊、海野を仕舞つて退けんと、都に殘り、思はず遲參仕る。



[唄]

云ひも敢へずに御大將、扇を持つて丁々と、なぐり情も荒法師、目鼻 も分かず叩き立て。



義經

坊主、びくとも動いて見よ。義經が手討ちにせん。



[唄]

御怒りの顏色に、思ひがけなき武藏坊、はつと恐れ入りにける。



辨慶

この間大内にて、朝方どのに惡口せしとて御勘當、永々出仕せざりしが、靜さま の詫び言で、御免あつたは昨日今日。その勘當のぬくもりが、手の中にほの/\と、 まだ冷め切らぬ其うちに、又もや御機嫌を損なうたさうなれど、辨慶が身に取つて、 不調法せし覺え更になし。



義經

ヤア、覺えないとは云はれまい。鎌倉どのと義經が兄弟の不和を取結ばんと、川 越が實義、卿の君が最期を無下にして、義經が討手に上りし、鎌倉勢をなぜ切つた。 これでも、汝が誤まりでないか。サア、返答せよ。ドヾどうぢや。



[唄]

はつたと睨んで宣へば、武藏は返す詞もなく、頭も上げず居たりしが。



辨慶

憚りながら、その事を、存ぜぬにてはあらねども、正しく御所の討手として、上 つたる土佐坊、如何に御意が重いとて、主君を狙ふを、まじ/\と、見て居る者のあ るべきか。さある時は日本に、忠義の武士は絶え果てなん。誤まりならば幾重にも、 お詫び言仕らん。如何に御家來なればとて、あんまり酷い叱りやう。これと云ふも我 が君の、漂泊より起つた事。エヽ、口惜しい。



[唄]

無念々々と拳を握り、ついに泣かぬ辨慶が、足らぬ泪をこぼせしは、 忠義ゆゑとぞ知られける、靜も武藏が心を察し。




あれ程に云うてぢや程に、どうぞマア、御料簡遊ばして遣はされませいなア。



[唄]

和らかな詫び言の、その尾に付いて、龜井、駿河、御免々々と詫びけ れば、義經面を和らげ給ひ。



義經

母が病氣で故郷へ歸りし、四郎兵衞忠信を、我が供に召連れなば、武藏が詫び は聞かねども、行く先が敵となつて、一人にても好き郎黨を、力にする時節なれば、 この度は赦し置く。以後をキツと嗜なみ居らう。



[唄]

仰せに辨慶、ハツとばかりに頭を下げ、坊主頭を撫で廻し。



辨慶

これに懲りよ武藏坊。アヽ、靜さま、重ね%\の詫び言、いかいお世話でござ りまする。




マア、お詫びが濟んでめでたい。これからはこの靜が、君の御供をするやうに、 執成し頼む武藏どの。



[唄]

思ひ詰めたるその風情。



辨慶

いま詫び言頼んだとて、當り眼な返報、義理にも、アツと申したけれど、この辨 慶その意を得ぬ。御家來さへ後先に、引分れた忍びの旅。落ち付く所は兼ねて聞く多 武の峯、これ以て女は叶はず、夕に變る人心なれば十字坊の所存も計り難し。これよ り道を引違へ、山崎越えに津の國尼ケ崎、大物の浦より御船に召し、豐前の尾形をお 頼みあらうも知れず、それなれば長の船路、猶以てお供はなるまい。フツツリと思ひ 切つて、都にとゞまり、君の御左右を待ち給へ。



[唄]

云ふにワツと泣き出し。




ハアヽヽ。



[ト書]

ト泣き落し。



[靜]

今までお側に居た時さへ、片時お目にかゝらねば、身も世もあられぬこの靜。い つ又逢はれる事ぢややら、行く先知れぬ長の旅、後に殘つて一日も、なんと待つて居 られうぞ。如何なる憂き目に逢ふとても、ちつともいとはぬ、武藏どの、連れて行て 下さんせいなア。



[唄]

泪ながら我が君に、ひし/\と抱き付き、離れがたなき風情なり、靜 が別れに判官も、目をしばたゝき在せしが。



義經

只今武藏が云ふ通り、行く先知らぬ旅なれば、都に殘り義經が、迎ひの船を相待 つべし……ソレ。



[唄]

龜井に持たせし錦の袋、それこなたへと取出し。



[義經]

その品これへ。



[ト書]

ト龜井に持たせし皷を取り



[義經]

これこそ年來義經が、望みをかけし初音の皷、この度法皇より下し給はり、我が 手には入りながら、一手も打つ事なり難きに、兄頼朝を討てとある、院宣のこの皷、 打たねば違勅の科遁がれず、打つては正しく鎌倉どのに敵對も同然、二つの是非を分 け兼ねたるこの皷、身をも離さず持つたれども、また逢ふまでの印とも、思うて朝夕 慰めよ。



[ト書]

ト皷を靜に渡す。



[唄]

渡し給へば手に取上げ、今まではさり共と、思ふ願ひの綱も切れ、皷 をひしと身に添へて、かつぱと伏して泣き居たる、龜井の六郎進み出で。



六郎

長詮議に時移り、土佐坊が殘黨ばら、討つて來なば御大事。イザ。



[唄]

重清に諫められ、涙と共に立ち給へば、靜は其まゝ我が君の、御袖に 縋り付き。




自ら一人振り捨てられ、焦れ死に死なんより、淵川へなと身を投げて、死ぬる/ \、死ぬるわいなう。



[唄]

泣き叫べば、人々も持て餘し。



次郎

過ちあつては我が君の、御名の瑕瑾。



[唄]

なんと詮方駿河の次郎、立寄つて會釋もなく、取つて引退け。



[次郎]

幸ひの縛り繩。



[唄]

皷の調べ引解き、靜の小腕手ばしこく、過ちさせぬ小手縛り、道の枯 木に皷と共に、がんじ絡みに括し付け。



[ト書]

ト皷の調べを解き、これにて靜を括り、皷と共に臺付きの松の木へ繋ぎ



[次郎]

サア、邪魔は拂うたり。イザ。



三人

お立ちあられませう。



[唄]

いざさせ給へと諸ともに、道を早めて急ぎ行く。



[ト書]

ト義經先に龜井、駿河、辨慶付いて、鳥居の内へ入る。靜殘り



[唄]

後に靜は身を もがき、我が君の後影、見ては 泣き、泣いては見。




エヽ、胴慾な駿河どの、情にてかけられた、縛り繩が恨めしい。引けば悲しやお 形見の、鼓が損ねう、なんとせう。解いて死なせて下されいなう。



[唄]

聲をばかりに泣き叫ぶは、目も當てられぬ次第なり、落ち行く義經遁 がさじと、土佐が郎黨逸見の藤太、數多の雜兵、銘々松明、腰提灯、道を照らして追 ひ駈けしが、枯木の蔭に女の泣き聲、何者ならんと立寄つて。



[ト書]

ト向うより、藤太、半切れ、小手、脛當の形、大小、襷、鉢卷、重ね草鞋にて出 て來る。後より軍兵四人、弓張り提灯、十手を持ち、出て來り、舞臺へ來て、靜を見 付け



藤太

ヤア、此奴こそ音に聞く、義經が妾の靜と云ふ白拍子。繩までかけて宛行うたは、 巧し/\。この皷も義經重寶せし、初音と云ふ皷ならん。この道筋に判官も、隱がれ 居るに疑ひなし。福徳の三年目、エヽ、忝ない。



[唄]

藤太手早く繩切り解き、皷を奪ひ取り、引立て行かんとする所へ、四 郎兵衞忠信、君の御慕ひ來て、斯くと見るより飛びかゝり、藤 太が肩骨ひツ掴み、初音の皷を奪ひ返し、宙に引ツ提げ二三間、取つて投げ退け、靜 を圍ひ、ふんぢかつて立つたるは、心地よくこそ見えにけれ。



[ト書]

ト向うより、忠信、半切れ、胸當、小手、臑當の形。重ね草鞋にて出で來り、ツ カ/\と寄つて、藤太を取つて見事に投げ退け、靜を圍ひ、見得。




ヤア、忠信どの、好い所へ、ようマア來て下さんしたなア。



[ト書]

ト喜ぶ。藤太、起上がり



藤太

さては忠信、好き敵。搦め取つて高名せん。者ども、ソリヤ。



軍兵

やらぬワ。



[ト書]

ト取卷く。



忠信

ヤア、殊勝らしい、うんざいめら。ならば、手柄に搦めて見よ。



[唄]

云はせも置かず双方より、捕つたとかゝるを引外し、首筋掴んで、え いやつと、右と左へもんどり打たせ、隙間もなく後より、大勢拔きつれ切つてかゝれ ば、心得たりと拔き合せ、茅花の穗先と閃めく刀を、飛鳥の如く飛び越え跳ね越え駈 け廻り、肩身肩骨薙ぎ廻れば、わつとばかりに逃げ退きたり。



[ト書]

ト軍兵皆々かゝる。忠信、立廻り、トヾ軍兵下座へ逃げて入る。遲れて逃げる逸 見の藤太が首掴んで、 だうと投げ、足下に蹈まへ



忠信

汝等が分際で、この皷を取らんとは、胴より厚き面の皮、打破つてくれう。



[唄]

ぼん/\と蹈みのめせば、ギヤツとばかりを最期にて、其まゝ息は絶 え果てたり。



[ト書]

ト忠信、藤太を蹈み殺す。



[唄]

鳥居の元の木蔭より、義經主從駈け出でゝ。



[ト書]

ト鳥居の内より、義經、次郎、六郎、辨慶出て



義經

珍らしや忠信。



[唄]

仰せを聞くよりハツとばかり、こは存じよらぬ見參と飛び退つて手を 突けば、龜井、駿河、武藏坊、互ひに無事を語り合ふ、忠信重ねて頭を下げ。



忠信

先づは變らぬ君の尊顏、拜し申して拙者も安堵某も母が病氣見舞ひの爲、お 暇賜はり、生國出羽に罷り下り、長々の介抱、程なく母も本腹 いたし、罷り上らんと存ずるうち、君腰越より追ひ歸され、鎌倉どの御兄弟、 御仲不知と承るより、取る物も取り敢へず、都へ歸る道すがら、土佐坊君の討手と聞 き、夜を日についで堀川の御所へ今晩駈け付けしに、はや都を開かせ給ふと、聞くよ りこれまで御後慕ひ、思ひがけなき靜さまの、御難儀を救ひしは、我が存念の屆きし ところ。



[唄]

申上れば、御喜悦あり。



義經

ムウ、我れも當社へ參詣して、今の働らきを見屆けたり。鎌倉武士に刃向ふなと、 堅く申しつけたれど、土佐坊討たれし上からは、その家來を忠信が、討つたるとて構 ひなし。今に始めぬ汝が手柄、天晴れ/\。取分けて兄繼信も、我が矢面に立つて討 死したるは、稀代の忠臣その弟の忠信なれば、我が腹心を分けしも同然、今より我が 姓名を讓り、清和天皇の後胤、源の九郎義經と名乘り、まさかの時は判官に、成り替 つて敵を欺むき、後代に名を止めよ。即ち當座の褒美を得させん。



[唄]

家來に持たせし、御着長、忠信にたびければ、ハツとばかりに押頂き、 頭を土に摺り付け/\。



[ト書]

ト駿河に持たせし鎧と、忠信の前へ直す。



忠信

土佐坊づれの家來を、追ひ散らせしとあつて、御着長を下し賜はるその上に、 御姓名まで賜はるは、生々世世の面目、武士の冥加に叶ひし仕合せ、有り難う存じ奉 りまする。



[唄]

天を拜し地を拜し、喜び涙に暮れければ、判官重ねて。



義經

我れはこれより、九州へ立越え、豐前の尾形に心を寄せん。汝は靜を同道して、 都に止まり、萬事よろしく計らうてよからう……ナニ靜、便りもあらば音づれん。さ らば。



[唄]

さらば/\と立ち給へば、今が誠の別れかと、立寄る靜を、武藏坊、 龜井、駿河立ち隔て、押隔つれば忠信も我が君に暇乞ひ、互ひに無事をうなづき合ひ、 嘆く靜を押退けて、心強くも主從四人、山崎越えに尼ケ崎、大物指して出で給ふ。



[ト書]

ト義經先に、六郎、次郎、辨慶下座へ入る。忠信、靜殘つて後を見送り、思ひ入 れ。



[唄]

これなう暫し待つてたべと、行くを制し留むれば、御行方を打守り。




御顏を見るやうで、戀しいわいなう。



[ト書]

ト泣き落す。



[唄]

戀しいわいのと地に平伏し、正體もなく泣きければ。



忠信

オヽ、道理々々、さりながら、別れも暫し、この皷、君の筐とあるからは、君 と思うて肌身に添へ、憂さをお晴らしなされませ。



[唄]

下し賜はる御着長、ゆらりと肩にひツかたげ、宥め宥めて手を取れば、 靜は泣く/\筐の皷、肌身に添へ、盡きぬ名殘に咽せ返り、涙と共に道筋を、辿り/ \て。



[ト書]

ト忠信は鎧、靜は皷を持つて、兩人花道より入る。




三幕目 渡海屋の場
大物浦の場

  1. 役名==九郎判官義經。


  2. 武藏坊辨慶。


  3. 龜井六郎重清。


  4. 片岡八郎清繁。


  5. 娘お安實ハ若君。


  6. 銀平女房。


  7. お柳實ハ典侍の局。


  8. 渡海屋銀平實ハ新中納言知盛。


本舞臺、三間の間、二重舞臺。眞中に暖簾口、上の方、赤壁、これにいろ/ \の帳面。この上、誂らへの神棚、神酒徳利、燈明、下の方、戸棚、この所に菰包み の荷物を重ね、ズツと上手に、九尺の障子屋體、いつもの所に門口。爰におため、お とく、前垂れ掛けにて、爼板に向ひ、大根を切つて居る。上にお安、寢て居る。蒲團 かけあり、門口の側に灘助、梶六、太郎藏、五郎太、船頭の拵らへにて、右菰包みの 荷物を舞臺へ下ろして居る。すべて船問屋の體。てんつゝにて、幕明く。


とく

マア/\、皆さん一服



ため

のましやんせいなア。



灘助

イヤ、とてもの事に、この荷物を積込んでしまふべい。



梶六

それ/\、さうして緩くりしてのまう。



太郎

おためさんや、おとくどんの顏を見ながら



五郎

煙草にして、小當りもよからう。



兩人

又そんな、てんがうばつかり。



灘助

てんがうさまは六月だ。



梶六

囃すもお好き。



太郎

おきやアがれ。



[ト書]

ト此うち四人、荷を門口に運び



灘助

さうして、もう荷はこれきりかよ。



とく

サア、西國へ行く分は、それぎりでござんすが



ため

旦那さんの仰しやるには、まだ牛窓へ行く大事の荷物が



とく

中の間にござんすわいなア。



太郎

そんなら、もう一返り來ずばなるまい。



灘助

さうサ、おいらは殘つて、その荷物を調べるうち



梶六

二人は、舟場の遣繰りをするが好い。



五郎

何にしろ、マア、此奴を積込んでしまふべい。



太郎

それがいゝ。サア、やらかせ。



[ト書]

ト灘助、梶六手傳ひ、太郎藏、五郎太、荷を擔ぎ上げ



灘助

そんなら、早く頼むぜ。



梶六

ドレ、奧の荷を調べよう。



[ト書]

ト始終此うちてんつゝ、活け殺しにて、灘助、梶六、暖簾口へ、太郎藏、五郎太、 荷を擔ぎ向うへ、双方入る。兩人の女、料理拵らへして居て



とく

成る程、聲の大きな衆ぢやぞいなア。



ため

その大聲にも構はず、お安さんが爰に好う寐入つて



とく

サア、風でも引かせ申してはと、わたしが、蒲團をかけるも知らず



ため

後生樂のものぢやぞいなア。



[ト書]

ト云ひながら介抱して居る。合ひ方になり、障子の内より、辨慶、やつし山伏に て、風呂敷包みを背負ひ、出て來る。靜かに兩車の音。



辨慶

イカサマ、今日は日和だと思つたら、又ぼろ付いて來たさうだ。



[ト書]

女中みて



とく

オヽ、これはお客僧さま。さぞマア、御退屈でござりませう。



ため

さうして、おツ付け御膳を出しますのに、どこへお出でなされまする。



辨慶

イヤモウ、川留めに逢つた旅人のやうだと、好く云ひますが、西國への日和待ち で、連れ共もケロリンカン。わしもあんまりホツとした。内に只居やうより、西町へ 行つて、買ひ物でもして來ようと思つて。



とく

左樣でござりますか。併し、出船の雲が見えるかして、荷物を船へ積みましたれ ば、晴れ申すと、直ぐに出船。お手間を取らずに、早う戻つて。



辨慶

ムウ、さういふ事なら歸り途、船場へ廻つて來ようわいの。



ため

それでもあなた折角と、外のお客へは鳥貝鱠なれどお出家さまの事ぢやに依つて、 わざ/\と精進料理、ちつと待つてお上がりなされて。



辨慶

イヤ/\、愚僧は山伏なれば、精進には及ばぬ。鳥貝、鱠の方がよからう。



とく

でも、山伏樣なら、今日は二十八日。



ため

不動さまの御縁日。



辨慶

オヽ、ほんに、それ/\、大事の精進であつたわいの。マア、何にしろ、行つて 來ませう。



[ト書]

ト云ひながら、お安を跨ぎにかゝる。ドロ/\。



[辨慶]

アイタヽヽヽヽヽ。



[ト書]

ト足を擦つて、思ひ入れ。



兩人

どうなされました/\。



辨慶

イヤ、お娘が爰に寐て居たを、ツイ跨ぎ越したれば、俄かに足がすくばつて。



兩人

エ。



[ト書]

ト兩人、顏見合せて、思ひ入れ。



辨慶

アヽ、聞えた/\。なんぼ小さうても女の子、虫が知らして、しやき張つたもの と見えたわえ。



兩人

何をマア、わつけもない。



三人

ハヽヽヽヽ。



辨慶

ドレ、大降りのないうち



兩人

早うお歸りなされませ。



辨慶

ドリヤ、行つて來ようか。



[ト書]

ト唄になり、山下駄を穿き、はつてう笠を冠つて向うへ入る。下女兩人、見送り、 思ひ入れあつて



とく

ほんに、此やうな所に、お寐ぢやによつて、今のやうな。



ため

サア/\、ちやつとお目を、覺ましなされませ/\。



[ト書]

ト兩人抱き起す。お安目を覺まし



やす

ほんに、二人がお料理するを見て居ながら、ツイ眠たうなつて。



とく

サア/\、お目が覺めたなら、今朝お習ひの清書を母樣のお側で。



ため

好うお書きなされて、旦那さんのお歸りに、お目にかけたら、それこそ又



兩人

御褒美でござりませう。



やす

そんなら、いつものやうに、母樣に字配りしてもらはうか。



兩人

サア、お出でなされませ。



[ト書]

ト兩人、お安を連れ、合ひ方にて奧へ入る。



[唄]

かゝる所へ誰れとも知らぬ、鎌倉武士、家來引具し入り來り。



[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、向うより、相模五郎、旅形の侍ひにて、供侍ひ二三人、付 添ひ出て、直ぐに門口へ來り



五郎

亭主に逢はう。いづれに居る。



家來

亭主、出ませい/\。



[ト書]

ト喚く。奧より、おとく、おため、走り出て來ながら



兩人

ハイ/\、何の御用でござりまする。



五郎

其方どもは、なんだ。



兩人

この家の召仕ひでござりまする。



五郎

ヤア、慮外な奴。下女端下の存じた事でない。亭主を出せ/\。



兩人

イエ、旦那は他行、私しどもに何なりと。



五郎

ヤア、又しても無禮な奴。大切な御用、他行とあらば呼びにやれ。遲いと曲事だ ぞ、早くしろ。



家來

キリ/\致せ。



[唄]

權威にほこり詈しるにぞ、女房は驚ろき、奧より立出で。



[ト書]

トこの淨瑠璃にて、奧より典侍の局、好みの女房の拵らへにて、出て來り



典侍

これは/\、どなた樣かは存じませぬが、女子どもが、端ないは、お免し下さり ませ。併し、二人が申します通り、主は問屋廻りに出ましたで、宿にではござりませ ぬが、私しで濟む事なら、何の御用でござりまするな。



五郎

して、其方は何者だ。



典侍

主銀平が女房でござりまする。



五郎

女房とあらば、云ひ聞かさん。身共は北條が家來、相模五郎と云ふ者。この度義 經、尾形を頼み、九州へ逃げ下るとの風聞に依つて、鎌倉どのゝ仰せを請け、主人時 政の名代として、討手に只今下れども、打續きし雨風にて、船一艘も調はず、幸ひこ の家に借り置きたる船、日和次第に出船と聞いたるゆゑ、その船身共が借り受けて、 艪を押切つて下らん爲、罷り越した。旅人あらばぼいまくり、座敷を明けて休息させ い。サヽ、早く致せ早く致せ。



[唄]

權威を見せてのしあがれば、女房はハツと返答に、當惑しながら側へ 寄り。



典侍

それはマア/\、御大切な御用に船が無うて、さぞ御難儀。此方のお客も二三日 以前から、日和待ちして御逗留、今更船を斷わりまして、あなたの御用にも立て難う ござります。殊に先樣もお武家方なりや、御同船とも申されますまい。爰は御料簡遊 ばして、今夜の所を、お待ちなされましたら、其うちには日和も直り、何艘も何艘も、 入船の中を調べて。



五郎

ヤイ/\默れ、默り居らう。一日でも逗留がなれば、この家へは云ひ付けぬ。所 の守護へ權付けに云ひ付けるワ。奧に居る、その侍ひめが怖うて、おのれらが口から 云ひ憎いなら、身共が逢つて、直に云うてくれん。



典侍

 アヽモシ、お待ち遊ばしませ。お急きなさるは御尤もなれど、 あなたを奧へやりまして、直に御相談させましては、船宿の難儀、押付け主も歸りま せう。マア、それまでお待ちなされて。



五郎

ヤア、何をそれまで便々と。こりや聞えた。なんだな。奧の武士に逢はさぬは、 察するところ平家の餘類か。但し義經の由縁の者。家來ども、ソレ、拔かるな。



家來

ハア。



五郎

奧へ蹈ん込み、吟味せん。



[ト書]

ト立ちかへるを、局、引留め



典侍

アヽモシ、それではマア、主にお逢ひなされた上で



五郎

何を女郎め。最早誰れに逢はうより、直に相對。そこ退け。



[唄]

止むる女房を跳ね退け、突き退け、また取付くを荒氣なく。



[ト書]

ト五郎、侍ひ、奧へ行かうとするを、局、いろ/\支へる。下女兩人留めるを、 供の侍ひ、引捕へる。この立廻りのうち、雨車になり、向うより銀平、好みの拵らへ、 傘をさして出で來る。



[唄]

蹈み倒し蹴倒すを、戻りかゝつて見る、走り入つて彼の侍ひが、腕を 取つて。



[ト書]

ト此うち銀平、直ぐに舞臺へ來り、この體を見るより其まゝ内へ入り、女房を圍 ひ、五郎が手をグツと捻ぢ上げる。



五郎

アイタヽヽヽヽヽ。



銀平

イヤ、眞平御免下さりませ。私しは即ちこの家の亭主、渡海屋の銀平。見ますれ ば、女どもが、何か定めし不調法、御立腹のその樣子、私しめに一通り、仰しやつて 下さりませ。



[ト書]

ト五郎を突き放す。五郎、思ひ入れ。



五郎

ムウ、すりやおのれが、この家の亭主か。亭主なら云うて聞かさう。身は北條の 家來なるが、義經の討手を蒙むり、奧の武士が借りた船、此方 へ借らん爲、奧へ蹈ん込み、身が直に、その武士に逢はうと云へば、われの女房が遮 つて、止むるゆゑ、今の仕儀だワ。



銀平

ヘイ。憚りながら、そりやあなたが御無理のやうに存ぜられます。なぜと仰しや りませ。人の借りて置いた船を、無理に借りようと仰しやりますは、マア御無理ぢや アござりませぬか。その上に又、宿借りの座敷へ蹈ん込まうとなさるゆゑ、女どもが お留め申すを、蹈んだり蹴たりなされますは、ちとお侍ひ樣には、似合はぬやうに存 じます。一夜でも宿を致しますれば商ひ、旦那、その座敷へ蹈ん込ませましては、ど うもお客人へ私しが立ちませぬ。爰の所を御料簡なされまして、お歸りなされて下さ りませ。



五郎

イヤ、うぬ、素町人めが。鎌倉武士に向つて、歸れとは推參千萬。是非とも奧へ 踏ん込んで……うぬ、留立てせば手は見せぬぞ。



[ト書]

ト刀へ手を掛け、思ひ入れ。



銀平

アヽモシ、それはお前樣、御短氣でござりませう。私しも船問屋ではござれ、聞 きはづつて居りまする。惣別、刀脇差では、人を切るものぢやアないさうにござりま する。お侍ひ樣方の二腰は、身の要害、人の粗忽、狼藉を防ぐ爲の道具とやら、さる に依つて、武士の武の字は、戈を止めるとやら、書きますさうにござりますぞえ。



五郎

ヤア、小癪なる事を吐かしたな。その頬桁を、切り下げくれん。



[唄]

拔打ちに切りつくるを引ツ外し、相模が利腕むんづと取り。



銀平

こりやモウ、料簡がならぬわえ。町人の家は武士の城廓、敷居の内へ泥臑を踏み 込むさへあるに、この刀で、ダヽ誰れを切る氣だ。その上に又、平家の餘類の、イヤ 義經の由縁なんのと、旅人を脅すのか。よし又判官どのにもせよ、大物に隱れない、 眞綱の銀平が、お圍まひ申したらなんとする。サア、眞綱が扣へた。侍ひめ、ならば ビクとも動いて見い、素頭微塵にはしらかし、命を取楫、この世の出船。キリ/\爰 を、なくなるまいか。



[唄]

刀もぎ取り、宙に引提げ持つて出で、門の敷居に、もんどり打たせば、 死入るばかりの痛みを怺へ、顏をしかめて起上がり。



五郎

ヤイ、亭主め、侍ひを捕へて、よく酷い目に合せたな。この返報には、うぬが首 を。



[ト書]

ト思ひ入れ。



銀平

どうしたと。



[ト書]

ト立ちかゝる。



五郎

家來ども。サア、來い/\。



[唄]

暴風に遭うたる小船の如く、尻に帆かけて主從は、後をも見ずして逃 げ失せける。



銀平

ハヽヽヽ。口程にもない侍ひめだ。



典侍

ほんに、好い所へ戻つて、好い態であつたわいな。併し又、どうならうかと、ひ や/\思うて居ましたわいな。



銀平

なにサ/\。とは云ふものゝ、今のもやくやを、定めし奧のお客人が。



典侍

サア、大方お聞きなされたであらうわいな。



[ト書]

ト銀平、莨盆取寄せ、莨のみ、局、下女兩人捨ぜりふ。



[唄]

女夫がひそめく話し聲、洩れ聞えてや、一間の障子押開き、義經公、 旅の艱苦に、窶れ果てたる御顏ばせ、駿河、龜井も後に從ひ立出づる。



[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、障子屋體より、義經先に次郎、六郎付添ひ出で來る。銀平 見て



銀平

それ/\、お客樣が/\。



典侍

これはマア/\、端近う。



[ト書]

ト兩人云ひながら、此方へ來て、膝を直し、皆々思ひ入れ。



義經

隱すより顯るゝはなしと、兄頼朝の不興を受け、世を忍ぶ我が身の上、尾形を頼 み下らんと、この所に逗留せしに、其方よくも計り知り、時政よりの家來を退け、今 の難儀を救ひしは、町人に似合はぬ働らき、我れ一の谷を攻めし時、鷲の尾と云へる 木樵の童に、山道の案内させしに、山家には剛なる者。武士となして召使ひしが、そ れに優つた汝が働らき、天晴れ、世が世の義經なら、武士に引上げ、召使はんに、斯 く漂ひの身となつて、あるに甲斐なき事どもぢやなア。



[唄]

武勇烈しき大將の、身を悔みたる御詞、駿河、龜井も諸ともに、無念 の拳を握りける。



銀平

これは/\、有り難いそのお詞。イヤモウ、私しもこの界隈では、眞綱の銀平と 申して、少しばかりは人に知られて居りますれど、高が町人、只今の腕立ても、畢竟 申さば竈將軍、些細な事がお目にとまつて、我れ/\づれに御褒美の御意。冥加至極 もござりませぬ。殊に君の御顏を見覺え奉るは、先頃八島へ赴むき給ふ時、渡邊福島 より、兵船の役にさゝれ、私しが手船も御用に達し、一度ならずこの度も、不思議に お宿仕りまするも、恐れながら深き御縁でござりませう。さるによつて、お爲を存じ 申し上げたきは、いま歸りし北條が家來、取つて返さば御大事。一時も早う御乘船が、 よろしからうと存じまする。



[唄]

云ひもあへぬに、駿河の次郎。



次郎

サア、我れ/\もその思案なれど、この天氣にては、御出船如何あらんと、その 儀を。



銀平

アヽイヤ、そこに拔かりがござりませうか。弓矢打ち物は、お前樣方の御商賣。 船と日和を見る事は、私しどもの又商賣。昨日今日は巽、夜中になれば雨も上がり、 明け方には朝嵐に變つて、御出船にはひんぬき上々の日和、數年の功で、そこらはキ ツと見極めて置きましたて。



[唄]

見透かすやうに云ひけるは、その道々と知られける。



次郎

オヽ、銀平出かしたり。其方慥かに申す上は、氣遣ひあるまい。雨の晴れ間に片 時も早く。



六郎

主君の御供仕らん。



義經

ナニサマ、船中の事は、銀平よろしく計らひ得させよ。



銀平

ハツ、只今も申す通り、幼少より船の事はよく、鍛錬仕れば、御安堵あつて御乘 船、御見送りの爲、私しも手船にて、須磨明石のあたりまで、御供いたすでござりま せう。元船の在る所は、五丁餘り沖の方。船は即ち日吉丸、思ひ立つ日が吉日、吉祥、 兩具の用意仕り、後より追ツ着き奉りませう……女房はあなた方に、わざとお口を祝 はせ申して、女子どもは濱邊まで御案内申せ。



兩人

ハイ/\、畏まりました。



銀平

左樣なら、御免下さりませ。



[唄]

挨拶そこ/\銀平は、納戸の内へ入りければ。



[ト書]

ト銀平、奧へ入る。下女兩人、此うち銚子、杯、鉢肴など持つてくる。局よろし く



典侍

サア、何もなし、お粗末にはござりまするが、船路の旅を恙なう、おめで鯛の [1] むしり肴で、わざとお祝ひ遊ばさ れませ。



次郎

これは/\、要らぬ事を、銀平の心配。



六郎

殊に女房の心遣ひ、我が君



兩人

お取上げ遊ばしませい。



義經

主が厚き志し、門出を祝うて一献酌まん。



[ト書]

ト杯を取上げる。



女房

サヽ、お一つ召上がりませう。



[ト書]

ト注ぐを呑んで



義經

サヽ、其方達も、一つ/\。



[ト書]

ト杯を廻す。



兩人

然らば頂戴仕りませう。



[ト書]

ト杯を頂く。これより酒事、捨ぜりふにて、ちよつとあつて



義經

最早船場へ赴むかん。



次郎

それがよろしうござりませう。イザ、御案内を。



典侍

ハイ/\。ソレ、女子ども。



兩人

畏まりました。



[ト書]

ト雨車。局、思ひ入れあつて



典侍

小雨ながらも、大切なお身の上、暫しのうちもお姿を。



[唄]

隱れ簑笠、憚りながら。



[ト書]

ト簑笠を取出し、義經に着せる。



義經

オヽ、過分々々。



[唄]

龜井駿河も諸ともに、簑笠取つて着せ參らせ、二人も手早く紐引締め、 いざさせ給へと主從三人、女が案内に打連れて、船場へこそは。



[ト書]

トこの淨瑠璃、雨車にて、おとく、おため、傘をさし先に立ち、義經、次郎、六 郎、向うへ入る。局、見送るうち、奧より灘助、梶六、薦包みや長持など持ち出て來 り



灘助

おかみ樣、親方が云ひ付けた、牛窓へ行く中の間の荷物。



梶六

これで、殘りはごんせぬかな。



典侍

オヽ、こりや、二人の衆。そりや大切の荷物、麁相のないやう、まだ行李もある であらう。



灘助

オツト、あれも一緒か。ドレ、もう一遍。



梶六

此奴らも、來さうなものだ。



[ト書]

ト雨車、風の音にて、兩人、奧へ入る。向うより太郎藏、五郎太走り出て、門口 へ來り



太郎

牛窓の荷はまだかな。



五郎

艀舟の支度は、すつぱりだ。



典侍

オヽ、いま噂して居ましたわいな。



[ト書]

ト此うち灘助、梶六、奧より、薦包みの行李を持ち出で



灘助

サア、これ切りだ……丁度いゝ、ちよつとそこまで。



兩人

合點だ。



[ト書]

ト四人、長持を門口へ運び



灘助

サア、荷はもうこれでよし。



梶六

爰でこそ、一服のんで、と云つたところが



太郎

あの女中衆は、どこへ行きました。



典侍

今お客を船場まで



灘助

送りにか。



五郎

ホイ、しけた。



典侍

イヤ、しけと云へば、此方に知れぬ事ぢやが、此やうな日和でも、船を出さるゝ ものかいな。



灘助

さればサ。わしらも、この商賣をして居るが、なかなかこの天氣ぢやア、また二 三日は上がるまいと思ふのに。



梶六

爰の親方、銀平どのゝ云ふには、この日和は、夜中にやアぐわらりと上がつて、 朝東風に變つた所で、直ぐに出船。



太郎

その時急に、荷を積むの、船拵らへのと云つちやア手遲れ。



五郎

なんでも、今のうち荷を積み込んで、船も支度をして置けとの事。



灘助

それも、これまで云はしやる通り



梶六

違ひがないゆゑ、此やうに



皆々

支度をするのだ。



典侍

さうかいな。そんなら、大方銀平どのが、キツと日和を見極めた所が



灘助

あればこそ、云ひ付ける通り



梶六

手配り用意も



皆々

充分でござります。



典侍

そんなら、隨分氣を付けて。



四人

サア、運んでしまふべい。



[唄]

おつと合點と船子ども、てんでに荷物を艀舟まで、行く道すがら。



[ト書]

ト四人よろしく、右の荷を擔ぎ、向うへ入る。これに構はず



[唄]

門送りして女子ども、息急き内へ入相時。



[ト書]

ト此うち向うより、おとく、おため戻つて來る。時の鐘、直ぐに内へ入る。



兩人

ハイ、お見送り申しました。



典侍

ヤレ/\、マア、お客方も御機嫌好う、立たせ申されば、二人は奧の片付けもの



兩人

畏まりました。



[ト書]

ト時の鐘、どらにて兩人奧へ入る。局、思ひ入れあつて



典侍

兎や斯うするうちもう日暮れ。ドレ、次手にお燈明を。



[唄]

火打鳴らして油さし、神棚の上に灯を照らせば。



[ト書]

ト燧箱を出し神棚より、燈へ火を灯す。この時奧よりお安、清書双紙を持ち出て 來り。



やす

母樣、清書をしましたわいなア。



典侍

オヽ、お安か。ようしやつた。父さんに見せませうが、今夜は侍ひ衆を元船まで 送つてなれば、其方も寐るまで爰に居や。ほんに、こちの人とした事が、千里萬里も 行くやうに身拵らへ。もう日も暮れた。用意が好くば行かしやんせぬか。



[唄]

呼べど、くつとも應へなし。



[典侍]

返事せぬは、もし晝の草臥れで、轉寐ではあるまいか。コレ、銀平どの/\。



[謠]

抑々これは、桓武天皇九代の後胤、平の知盛の幽 靈なり。



[ト書]

ト鳴り物入り、謠切れると後コイヤイ、上手の障子引拔くと、内に銀平、本行知 盛の拵らへ、長刀を構へ、床几にかゝり居て



銀平

渡海屋銀平とは假の名、新中納言知盛と、實名を顯はす上は。



[唄]

恐れありと娘の手を取り、上座に移し奉り。



[ト書]

ト大小の合ひ方、浪の音。



[銀平]

君は正しく、安徳君にて渡らせ給へど、源氏に世を狹められ、所詮勝つべき軍な らねば、知盛諸とも海底に沈みしと欺むき、密かに供奉なし、この年月、お乳の人を 妻と云ひ、御介添の二人の侍從を下女となし、勿體なくも我が子と呼び奉り、時節を 待ちし甲斐あつて、九郎判官義經を、今宵のうちに討取つて、年來の本望達せん事。 アラ喜ばしや、嬉しやなア、典侍の局も、喜ばれよ。



[唄]

勇める顏色、威あつて猛く、平家の大將知盛と、その骨柄に顯はれし。



典侍

さては常々のお願ひ、今宵と思し召し立ち給ふな。ハハア、勇ましや、さりなが ら、九郎は鋭き男子とやら。仕損じばし給ふな。



知盛

なにサ/\、そのゆゑにこそ手段を巡らし、最前北條が家來、相模五郎と云はせ しも、我が手の者、討手と僞はり狼藉させ、我れ義經に荷擔人の體を見せ、今宵の難 風を日和と僞はり、船中にて討取る計略なれども、知盛こそ生き殘つて、義經を討つ たるなどゝ、忽ちに沙汰あつでは、末々君を御養育の妨げともなり、また重ねて頼朝 に仇も報はれず、さるによつて某、人數を手配りして、艀舟にて後よりぼツ付き、義 經と海上にて戰はゞ、西國にて亡びたる、平家の惡靈知盛が幽靈なりと、雨風を幸ひ に、彼れらが眼を眩まさん爲、我が出立ちも朧げに、怪しく見する白糸縅、白柄の長 刀、追ツ取りのべ、九郎が首取り立歸らんと、その軍用の品取まとめ、彼の牛窓へと 積みたる荷物は、皆これかゝる手段の物の具。



典侍

斯ばかり深き御計らひ。必定勝利に疑ひなし。



[唄]

局が喜び、知盛思惟し。



知盛

勝負の場所は、この大物、何條勝利とは思へども、もし自然この沖に當つて、提 灯松明一度に消えなば、我れ討死の合ひ圖と心得、君にもお覺悟させ參らせ、御亡骸 見苦しからぬやうナ、……兼ねてこの事、心得召され。



典侍

アヽモシ、後氣遣はずと、好い吉左右を知らせてたべ。



知盛

云ふにや及ぶ。斯くまで仕込みし我が計略。たとへ義經天地を潜る術ありとも、 やわか仕損じ申さんや。一門の仇、鬱憤晴らす時節到來。



[ト書]

トばた/\になり、向うより灘助、梶六、白の四天の拵らへにて、松明を持ち、 走り出で、直ぐに舞臺へ來り



兩人

お迎ひ。



[ト書]

ト兩人よろしく住ふ。此うち局、以前の銚子と、三方へ載せたる土器を取上げ、 思ひ入れあつて、お安に飮ませ



典侍

めでたき出陣。



[ト書]

ト知盛へ三方の土器を渡し



[典侍]

知盛卿、イザ、御杯。



知盛

ハツ。



[ト書]

ト局、酌して、知盛飮み



[知盛]

實に天杯をうながされ、嚴命蒙り、義戰の旗上げ。



[ト書]

ト此うち八ツの太鼓鳴る、知盛、思ひ入れあつて



[知盛]

八ツの太鼓も、御年の數を象る、合ひ圖の知らせ……オオそれよ……一天四海を 治め給へば。



[ト書]

ト知盛諷ひながら、陣扇を持ち立上がり



[謠]

國も動かぬこの君の惠みの/\、治まる御代こそめでたけれ。



[ト書]

トこの文句一杯に舞ふ事あつて納まる。



[知盛]

ハヽヽヽヽ。



典侍

めでたき門出。



知盛

追ツ付け勝鬨。



やす

知盛、早う。



知盛

ハツ。



[唄]

飛ぶが如くに。



[ト書]

ト風の音、カケリになり、三重にて、知盛思ひ入れ。灘助、梶六、先に松明を振 り立て向うへ一散に入る。局、後を見送り、舟玉の札箱より、太刀を出してお安に渡 す。

三重にて
本舞臺、上手に寄せて中足、二間の二重、一面に伊豫簾を下ろし、下手向う は浪手摺り、この前に高き岩組、蘆原、浪の音にて道具納まる。


[唄]

夜も早次第に更け渡り、雨風烈しく聞ゆれば、賤が伏屋も大内の、昔 に返る御裝束、初めの姿引かへて、神の御末の御粧ひ、いと尊くも見え給ふ。



[ト書]

ト伊豫簾上がる。おとく、おため、官女の姿にて後に扣へ、典侍局は十二單衣、 お安は冠姿束にてよろしく扣へゐる。



[ト書]

ト床の合ひ方にて



典侍

斯くやごとなきお身、如何に計略なればとて、我が娘と呼びなして、賤の姿にや つさせ申せし、畏れ多さ勿體なき、これ皆、平家不善の罪、積ると知らで人々は榮華 に月日を送るうち、さてこそ壽永の



[唄]

秋風に、木の葉も共に散る花の、須磨の内裏を攻め落され、云ひ甲斐 なくも一門方。



[典侍]

知教、教經お二人の、諫めも耳に入らばこそ。



[唄]

崩れ立つたる味方の勢ひ、引立てられて兩卿も、思はず船に打乘つて、 波の哀れや海の上、陸には源氏、平家は皆、赤間ケ關や壇の浦、軍の勝敗試さんと、 日の丸畫きし陣扇、船の へさき押泣て ゝ。



[典侍]

これ射給へと玉虫が。



[唄]

招けば敵より武者一騎。



[典侍]

那須の與市宗高と。



[唄]

名乘つて海へざんぶと乘り入り、弓矢番ひし折しもあれ、北風烈しく 荒波に、船を搖り上げ搖り落し。



[典侍]

扇も更に定らねば



[唄]

これはと與市も躊躇ふうち。



[典侍]

沖には平家、陸には源氏の諸軍勢、鳴りを靜めて、見物す。



[唄]

宗高一世の浮沈ぞと、心に神を念じけん、少し風間を得たりや應、切 つて放せば過たず、要射切つて、バラバラバラ、扇は空へヒラ/\/\、夕日に映り て皆紅ゐ、水は白波立田川、秋の紅葉と流るれば、敵も味方も一同に、射たりや/\ と譽むる聲、海に響きて凄まじく。その時、二位の尼君には、はや世は斯くと思しけ ん、君を抱き參らせて、既に入水とありけるを、知盛卿の計らひにて、密かに供奉し、 それよりも、この大物に忍ばせ申し、折を窺ふ今宵の手段、味方の勝利疑ひなし。君 にも今に知盛の、吉左右あらん、御待ちあれ、二人も心付けられよ。



兩人

畏まりました。



[唄]

そよとの音も知らせかと胸轟ろかす鉦太鼓、すはや軍の眞最中と、君 のお側に引添うて、知らせを今やと待つ折柄、知盛の郎黨相模の五郎、息吐きあへず、 馳せ着けば。



[ト書]

トどんちやん烈しく、向うよりバタ/\にて、五郎、早打ちの拵らへにて、走り 出で來る。局見て



典侍

ヤレ、待ち兼ねし相模の五郎。樣子はどうぢや、なんとなんと。



五郎

ハツ、兼ねて主君の手段の如く、暮れ六ツ過ぎより味方の小船を乘り出し、義經 が打乘つたる、元船間近く、漕ぎ寄せしに



[唄]

折しも烈しき武庫山颪しに、連れて降りくる雨雷。



[五郎]

時こそ來れと味方の軍勢、みな海中に



[唄]

飛び込み/\、西國にて亡びし平家の一門、義經に恨みをなさんと、 聲々に呼はれば。



[五郎]

敵に用意やしたりけん



[唄]

提灯松明バラ/\と、味方の船に乘り移り、爰を先途と戰へば。 味方の駈武者大半打たれ、事危ふく見えて候ふ。某は取つて返し、主君の御先途見屆 け申さん。はや、おさらば。



[唄]

申しもあへず、駈り行く。



[ト書]

ト五郎、注進の振りあつて、トヾ向うへ入る。



典侍

ヤア/\、すりや一大事に及びしか。さるにても、知盛の御身の上こそ氣遣はし。



とく

定かにそれと、戰ひの



ため

たとへ黒白は分らずとも



典侍

沖の樣子は如何ならん。



[唄]

一間の障子、押明くれば。



[ト書]

ト典侍、兩人へ思ひ入れ。兩人、外へ見付けの障子を明けると、後打拔き、波手 摺り、二重にして、遠見に兵船の模樣、高張りを灯し、誂らへの通りある。局お安を 抱き上げ立ち身。侍女兩人も引添ひ、海面を見やつて、思ひ入れ。



[唄]

提灯松明星の如く、天を焦せば漫々たる、海も一目に見え渡り、數多 の兵船、やり違へ/\、船櫓を小楯に取り、敵も味方も入り亂れ、船を跳び越え跳び 越えて、追ひつ捲りつ、えい/\聲にて、切り結ぶ、人影までもあり/\と、戰ふ 聲々風に連れ、手に取るやうに聞ゆるにぞ。



典侍

アレ/\、御覽ぜ。あの中に、知盛の在すらん。



[唄]

やよ何所にと伸び上がり、見給ふうちに。



[ト書]

ト兵船、提灯を段々に消す。



[典侍]

ヤヽヽヽ、提灯松明次第々々に、消え失せて、沖もひつそと、靜まりしは。



[唄]

これこそ知盛が討死の合ひ圖かと、あまり呆れて泣かれもせず、途方 に暮れて立つたる所に、入江丹藏、朱になつて立歸り。



[ト書]

ト花道より丹藏、手負ひにて駈け出で



丹藏

我が君、典侍のお局さま。



[ト書]

ト本舞臺へ來て平伏する。



典侍

さ云ふは入江の丹藏ならずや。して/\樣子は、如何なるぞ。



丹藏

さればに候ふ、義經主從手痛く働らき、既に危ふく見えけるが。



[唄]

味方の手段白浪と、思ひの外に、さとくも察し。



[丹藏]

御主君知盛公、大勢に取卷かれ



[唄]

風波烈しく切り立つれば、あしらひ給へど多勢に無勢運の底なる命の 引汐。



[丹藏]

必定海に飛び入つて、はや御最期と存ずれば、お局にも早、お覺悟の御用意あれ。 拙者はこれより御主君の、冥土の御供仕らん。早、おさらば。



[唄]

云ひもあへず諸肌くつろげ、持つたる刀を突き立てゝ、汐の深味へ飛 び込めば。



典侍

ヤヽヽヽ、さては知盛卿も、敢へなく討たれ給ひしか。



兩人

お局樣。



典侍

ホイ。



[唄]

はつとばかりにと だうと伏し、前後も知らず 泣きけるが、局は歎きの中よりも、御顏つく%\打守り。



[典侍]

二歳餘り見苦しき、この茅屋を玉の臺と、思し召しての御住居、朝夕の供御まで も、下々と同じやうに、さもしい物、それさへ君の御心では、殿上にての榮華とも、 思うてお暮らしなされしに、知盛亡び給ひては、賤が伏家に御身一つ、置き奉る事さ へも、ならぬやうに成り果てゝ



[唄]

遂にはこの浦の土となり給ふかや。



とく

上なき御身にかばかりも



ため

悲しい事の數々が



典侍

續けば續くものかいなう。



[唄]

口説き立て/\、身も浮くばかり歎きしが。



[典侍]

アヽ、由なき悔み事、今は云うても何かせん。いでお覺悟を。オヽ、さうぢや。



[唄]

涙ながら御手を取り、泣く/\濱邊に出でけるが、いと尋常なる御姿、 この海に沈めんかと、思へば目もくれ心もくれ、身もわな/\とぞ顫ひける、君は賢 しく在ませど、死ぬる事とは露知り給はず。



やす

コレナウ乳母、覺悟々々と云うて、何國へ連れて行くのぢや。



典侍

オヽ、さう思し召すは理り。ようお聞き遊ばせや。この日の本にはな、源氏の武 士蔓つて、恐ろしい國、この浪の下こそ、極樂淨土と云うて、結構な都がござります る。その都には、祖母君、二位の尼御を始め、平家の一門あの知盛も在すれば、君に もそこへ御出であり、物憂き世界の苦しみを、免がれさせ給へや。



[唄]

宥め申せば、打悄れ給ひ。



やす

そりや、嬉しいやうなれど、あの恐ろしい浪の下へ、只一人行くのかや。



典侍

アヽ、勿體ない、なんのマア。このお乳が美しう育て上げたる君樣を、只お一人、 あの漫々たる千尋の底へやりまして、なんと身も世もあられませう。このお乳がどこ までも、お供いたしまするわいなう。



やす

それなら嬉しい。其方さへ行きやるなら、何國へなりと行くわいなう。



典侍

オヽ、よう云うて給はつたなア。



[唄]

引寄せ/\、抱き締め。



[典侍]

火に入り水に溺るゝも、前の世の約束なれば。



[唄]

未來の誓ひまし/\て。



[典侍]

もうこの上は、天照大神へ、お暇乞ひ遊ばせや。



[唄]

東に向はせ參らすれば、美しき御手を合せ、伏拜み給ふ、御有り樣、 見奉れば、氣も消え%\。



[典侍]

オヽ、ようお暇乞ひ遊ばした。佛の御國は、こなたぞや



[唄]

指さす方には向せ給ひ。



やす

今ぞ知る、御裳裾川の流れには、浪の底にも都ありとは。



[唄]

詠じ給へば。



典侍

ソレ、硯。



[ト書]

ト侍女手早く、硯箱持つて來り、局へ差出す。



[典侍]

今一度とつくり。



やす

今ぞ知る、御裳裾川の流れには、浪の底にも都ありとは。



[ト書]

局、これをサラ/\と檜扇へ認め、吟じ見て



典侍

オヽ、お出かしなされた、ようお詠み遊ばしたなアその昔、月花の御遊の折から、 斯樣にお歌を詠み給はばなんぼう喜び給はんに、今際の際にこれが、マア、云ふに甲 斐なき御製ぢやなア。



[唄]

口説き立て/\、涙の限り、聲の限り、歎き口説くぞ道理なる。



[典侍]

アヽ、歎いても詮なき事、片時も早う、極樂への御門出を急がん。



[唄]

若君しつかと抱き上げて、磯打つ波に、裳裾を浸し、海の面を見渡し /\。



[ト書]

ト好き時分より、中の舞を打込み、局、岩組みへ上り、キツとなつて



[典侍]

如何に八大龍王、恒河の鱗屑、君の御幸、守護し給へ。



[唄]

ざんぶと打込む御製の扇、渦く浪に飛び入らんとする所に、いつの間 にかは、九郎義經、龜井、駿河も駈け寄つて、君を奪ひ取り、局官女を引立つて、一 間の内へ



[ト書]

ト局、お安を抱へ、海へ飛び入らんとする所へ、屋體より、義經、陣立ての形、 次郎、六郎、凛々しき拵らへにて、付添ひ走り出て、直ぐに義經、お安を奪ひ取り、 局を引立て、次郎、六郎、同じく侍女二人を引立て、皆々屋體の内へ入る。三重にて、 返し。

本舞臺、一面の浪の遠見、眞中に大岩。上下は岩の張り物にて道具納まる。


[唄]

かゝる所へ知盛は、大童に戰ひなし。



[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、ドンチヤンのあしらひ、向うより、知盛、好みの拵らへ、 長刀を突き、出て來る。引下がつて、辨慶、半切れの形にて、付いて出る。花道にて、 知盛、思ひ入れあつて



知盛

我が君は何所にまします。お乳の人、典侍の局。



[唄]

呼はり/\、 だうと伏し。



[知盛]

エヽ、無念、口惜しや。ナニこれしきの手に、弱りはせじ。



[唄]

弱りはせじと、長刀杖に立ちあがり。



[知盛]

お乳の人、我が君樣。



[唄]

よろぼひ/\、駈け廻れば、一間を蹈み明け、九郎判官、君を右手の 小脇にひん抱き、局を引附け、突ツ立ち給へば。



[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、義經、お安を抱き、典侍の局、側に、次郎、六郎付添ひ出 る。知盛キツと見て



[知盛]

あら珍らしや、如何に義經。



[謠]

思ひぞ出づる浦浪の、聲をしるべに出で船の、知盛が沈みしその有樣 に、また義經をも海に沈めんと夕浪に浮べる長刀取り直し、巴浪の紋あたりを拂ひ。



[知盛]

サア/\、勝負々々。



[唄]

勝負々々と詰め寄れば、義經少しも騒ぎ給はず。



義經

ヤア知盛、さな急かれそ。義經が云ふ事あり。



[唄]

靜々と歩み出で。



[ト書]

ト肥前節になり



[義經]

其方、西海にて入水と僞はり、君を供奉なし、この所に忍び、一門の仇を報はん とは、天晴れ/\。我れこの家に逗留せしより、並々ならぬ人相骨柄、察するところ 平家にて、何某ならんと思ふゆゑ、辨慶に云ひ含め、その事計り知つたるゆゑ、艀舟 の船頭を海へ切り込み、裏海へ船を廻し、夙よりこれへ入込んで、始終詳しく見屆け て、君も我が手に入つたれども、日の本をしろし召す君何條義經が擒となすいはれあ らん。恐れあり/\、君の御身は義經が、守護し奉れば、氣遣はれな、知盛。



[唄]

聞く嬉しさは典侍の局



典侍

オヽ、あの詞に違ひなく、先程より義經どの、段々の情にて、我が君の御身の上 は、知るべの方へ渡さんとの、武士の堅い誓言。喜んでたべ、知盛卿。



[唄]

聞くに凝つたる氣も逆立ち、局を取つて突きのけ。



知盛

チエヽ殘念や、口惜しや。我れ一門の仇を報はんと心魂を碎きしに、今宵暫時に 手段顯はれ、身の上を知られしは、天命々々。まつた、義經、君を助け奉るは、天恩 を思ふゆゑ、これ以て知盛が恩に被るべきいはれなし。サア、今こそ汝を一太刀恨み、 亡魂へ、イデ手向けん。



[唄]

痛手によろめく足蹈みしめ、長刀追ツ取り立向ふ。辨慶押隔て、打ち 物業にて叶ふまじと、珠數サラ/\と押揉んで。



辨慶

如何に知盛、斯くあらんと期したるゆゑ、我れも疾より、船手へ廻り、計略の裏 を缺いたれば、最早惡念發起なせ。



[唄]

持つたるいらたか知盛の、首へヒラリと投げかくれば。



知盛

ムウ、さてはこの珠數かけたるは、知盛に出家とな。エヽ、穢らはし/\。そも 四姓始まつて、討つては討たれ、討たれては討つは、源平の慣ひ、生き變り死に變り、 恨をなさで置くべきか。



[唄]

思ひ込んだる無念の顏色、眼血走り、髮逆立ち、この世からなる惡靈 の、相を顯はすばかりなり、君は始終を聞し召し、知盛に向はせ給ひ。



やす

我れを供奉し、長々の介抱は、其方が情。今日また麿を助けしは、義經が情なれ ば、仇に思ふな、知盛。



[唄]

勿體なくも御涙を、浮べ給へば典侍の局、共に涙に暮れながら、用意 の懷劍咽喉に突き立て、名殘り惜しげに、御顏を打守り/\。



典侍

よう仰しやつた、いつまでも義經の志し、必らず忘れ給ふなや。源氏は平家の仇 敵と、後々までも、このお乳が、仇し心も付けうかと、人々に疑はれん。さあれば生 きてお爲にならぬ。君の御事、くれ%\も、頼み置くは義經公。



[唄]

さらばとばかりこの世の暇、敢へなく息は絶えにける。思ひ設けぬ局 の最期、君は猶更知盛も、重なる憂き目に、勇氣も碎け、暫し詞もなかりしが、御座 近く、涙をハラハラと流し。



[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、典侍の局、自害して落入ると、知盛、思ひ入れあつて



知盛

ハヽア、果報はいみじく、尊き君と生れさせ給へども、西海の波に漂よひ、海に 望めども、汐にて水に渇せしは、これ餓鬼道。



[唄]

或る時は風波に遭ひ、お召しの船を荒磯に吹き上げられ今も命を失は んと。



[知盛]

多くの官女が泣き叫ぶは



[唄]

阿鼻叫喚、陸に源平戰ふは、取りも直さず、修羅道の苦しみ、又は源 氏の陣所々々に、夥多の駒の嘶くは畜生道。



[知盛]

いま賤しき御身となり、人間の浮き艱難目前にして、六道の苦しみを受け給ふ、 これと云ふも、父清盛、外戚の望みあるに依つて、姫宮を男の子と云ひ觸らし、權威 を以て御位につけ、天道を欺むきし、その惡逆、積り/\て、一門我が子の身に報い しか。



[唄]

是非もなや。



[知盛]

我れ斯く深手を負うたれば、長らへ果てぬこの知盛、今この海に身を沈め、末代 に名を殘さん。大物の沖にて、判官に仇なせしは、知盛が怨靈なりと、傳へよや。 サヽ、息あるうちに片時も早く、君の供奉を、頼む/\。



義經

ホウ、我れはこれより九州の、尾形の方へ赴むくなり。君の御身は義經が、何所 までも供奉なさん。



[唄]

御手を取つて出で給へば、龜井、駿河、武藏坊、御後に引添うたり、 知盛ニツコと打笑みて。



知盛

昨日の仇は今日の味方、アラ心安や、嬉しやなア。これぞこの世の暇乞ひ。



やす

知盛。さらば。



知盛

ハツ。



[唄]

振返つて御顏を、見奉るも目は涙、見返り給ふ別れの門出、留まるこ なたは冥土の出船。



[知盛]

三途の海の瀬踏みせん。



[唄]

碇を取つて頭に擔ぎ、渦卷く波に飛び入つて、敢へなく消えたる忠臣 義心、その亡骸は大物の、千尋の底に朽ち果てゝ、名は引汐に搖られ流れ、搖られ流 れて、後白浪とぞ。



[ト書]

トこの淨瑠璃のうち、義經先にお安を抱き上げ、次郎、六郎、辨慶付いて、花道 へ來る。知盛碇を持つて、よろしく岩臺の上に上がる。



皆々

さらば。



[唄]

なりにける。



[ト書]

ト段切、知盛、浪間へ飛び込む。



[ト書]

ト直ぐに出端を打ちかける。これにて花道の人數、皆皆向うへ入る。知らせにつ き

シヤギリ

[1] In our copy-text the character in green was New Nelson 2137 or Nelson 1891.




五幕目 釣瓶鮨屋の場

  1. 役名==彌助實ハ三位中將維盛。


  2. 若葉の内侍。


  3. 六代君。


  4. 鮨屋、彌左衞門。


  5. 同女房、おつぢ。


  6. 同娘、お里。


  7. 梶原平三景時。


  8. 權太女房、小せ ん。


  9. 一子、善太。


  10. いがみの權太。


本舞臺、三間の間、二重舞臺、見附け赤壁、納戸口。上の方、押入れ、まい ら戸、これに錠前卸しあり、下の方、鮨桶大分積み重ね、いつもの所に門口、釣瓶鮨 といふ看板をかけ、舞臺に、おつぢ、やつし女房、前垂れ襷がけにて、鮨を積んで居 る。お里、振り袖、やつし前垂れを締め、竹の皮に鮨を包み居る。門口に鮨買ひの仕 出し、二人立ちかゝり、てんつゝにて幕明く。


[唄]

立歸る、春は來ねども花咲かず、娘がつけた鮨ならば、なれがよかろ と買ひに來る、風味も吉野下市に、賣り廣めたる所の名物、釣瓶鮨屋の彌左衞門、留 守の内にも商賣に、拔け目も内儀が早漬けに、娘お里が片襷、裾に前垂れほや/\と、 愛に愛持つ鮎の鮨、押へて締めてなれさする、旨い盛りの振り袖が、釣瓶鮨とは物ら しく、締木に栓を打込んで、桶片付けて



[ト書]

ト此うち、仕出し鮨を買ひ、捨ぜりふにて、向うへ入る。兩人、そこら片付け



さと

申し母さん、昨日父さんの仰しやるには、晩には内の彌助と祝言さす程に、世間 晴れて、女夫になれと云はしやんしたが、日が暮れてもお歸りないは、嘘かいなア。



つぢ

オヽ、アノ云やる事わいの。なんの嘘であらうぞ。器量の好いを見込みに、熊野 詣でから連れて戻つて、氣も心も知ると、彌助と云ふ我が名を讓り、主は彌左衞門と 改めて、内の事任せて置かしやるは、其方娶はす兼ねての心。 今日は俄かに役所から、親仁どのを呼びに來て、思はぬ隙入り、迎ひにやろにも人は なし。



さと

サイナ折惡う彌助どのも、方々から鮨の誂らへ、仕込みの桶 が足るまいと、空き桶を取りに行かれましたりや、もう戻らるゝであらうわいな。



[唄]

噂半ばへ空桶荷ひ、戻る男の取なりも、悧巧で伊達で、色も香も、知 る人ぞ知る優男、娘が好いた厚鬢に、冠り着せても憎からず、内へ入る間も待ち兼ね て、お里は嬉しく。



[ト書]

ト向うより彌助、やつし袖なし羽織の形にて、鮨の空桶を擔ひ、出で來り、舞臺 へ來て、門口へ入る。



[さと]

アレ、彌助さん、戻らんしたか。エヽモウ、待ち兼ねたわいな。なぜマア此やう に、遲かつたのぢやえ。もしやどこそへ寄つてかと、氣が廻つて、大抵案じた事ぢや ないわいな。



[唄]

女房顏して云うて見る、流石鮨屋の娘とて、早い馴れとぞ見えにける。 母はにこ/\笑ひを含み。



つぢ

彌助どの、氣にかけて下さんな。この吉野の里は、辨天の教へに依つて、夫を神 とも佛とも、戴いて居よとある、天女の掟、その代り、悋氣も深い、また有やうは親 の孫、瓜の蔓にではござらぬわいの。



彌助

これはマア、却つて迷惑。段々お世話の上へ、大切なお娘御まで下され、お禮の 申しやうもござりませぬ。さりながら、兎角お前には、彌助どの/\と、どの付けを なされて、さりとては氣の毒、矢ツ張り彌助、どうせい斯うせいと、お心安う、ナア 申し。



つぢ

イヤ/\、それは免して下され。



彌助

そりや又なぜでござります。



つぢ

さればいの。彌助という名は、これまで連合ひの呼び名、どの付けせずに、どう せい斯うせいとは、勿體なうて云ひ憎い。慣れたどの付け、さして下されいの。



[唄]

實に夫をば大切に、思ふ掟を幸ひに、娘へこれを聞けがしの、母の慈 悲とぞ聞えける。



[つぢ]

ほんにわしとした事が、奧に、まだ仕掛けの用、暫らく店を、頼みましたぞや。



[唄]

母は納戸へ入りにける。



[ト書]

トおつぢ、思ひ入れあつて奧へ入る。



さと

コレ、彌助、父さんも母さんも、其方と今宵、祝言させうと仰しやるに依つて、 これからは、お里さまお里さまと、さま附けは止めにして、女房どものお里、と呼び 捨てにしてたもいなう。



彌助

イヤ/\、滅相もない事仰しやりませ。どうして御主人の娘御を、呼び捨てにな りませうぞ。



さと

其やうな事云はずと、云うて見や。



彌助

それでも、どのやうに致します事やら。



さと

そんなら、わたしが教へてあげうほどに、よく覺えて置きなさんせ。



彌助

ハイ/\、どうぞお教へなされて下さりませ。



さと

斯うやつて、内へ歸つて來たら、オホン、女房ともの お里、いま戻つた、斯う云ふのぢやわいなア。



[ト書]

ト仕方して教へる。



彌助

左樣なら、斯う戻つて、女房とものお里さま、いま戻 つた。



さと

アレ、矢ツ張り樣ぢやわいなア。



彌助

そんなら、女房どものお里、いま戻つた。



さと

オヽ嬉し。



[唄]

割りなき仲と見えにける。この家の惣領、いがみの權太。



[ト書]

トてんつゝになり、向うより權太、スタ/\出て



權太

阿母は内にか。



[ト書]

ト内へ入る。お里、思ひ入れ。



お里

兄さん……ようお出でなさんした。



權太

なんだ、その面は。よく來たが恟りか。わりやア彌助と、巧い事をして居るさう な。コレ、彌助もよく聞け。いま追ひ出されて居ても、爰の内の物は、竈の下の灰ま でおれが物だ。今日は親仁の毛蟲が、役所へ行たと聞いたによつて、ちつと阿母に云 ふ事があつて來た。二人ながら奧へ行け。行つて阿母を、ちよつと呼んで來い。エヽ、 行きやアがれ。



[唄]

睨み廻され、ウヂ/\と、これにと云うて立つ彌助、娘も共に引添う て、一間へこそは入りにけれ。母は一間を立出でゝ。



[ト書]

ト彌助、お里、暖簾口へ入る。おつぢ出て思ひ入れ。



つぢ

わりや權太郎ぢやないか。ほんにマア、目に見るさへも腹が立つ……とつとゝお のれ、うせ居らぬか……南無阿彌陀佛々々々々々々。



權太

モシ/\、お母さん、ちよつと待つておくんなさいまし。



[ト書]

トおつぢ、思ひ入れ。



つぢ

何にもわれに用は無い……どうなとしをれ。



[ト書]

ト奧へ行きかける。



權太

アヽ、モシ/\、ちよつと待つて下さいまし。



[ト書]

ト云ひながら側へ寄る。



つぢ

コリヤヤイ、おのれはマア、勘當受けをつた内へ、ノサ/\と遠慮もなう、第一 世間へ聞えが惡い。サヽ、どこへなと、早う行き居らぬか。



權太

ちよつとのうちは、いゝぢやねえか。偶々來たのに、そんなに邪慳に云ひなさん な。コレ、母さん、聞いてくんなさい。イヤモウ、おれも今度と云ふ今度は、コツキ リ上を明けやした。イヤサ、ホツカリしたよ。アヽ、恐しい恐しい、無頼漢仲間の友 達連れ合ひ、頭無しまで借り込んで、今ぢやア首も作り付けのやうだ。誠にみじめ觀 念佛が聞いて呆れらア。人を付け。おれが體が、始末におへなくした。



つぢ

こりや又親仁どのゝ留守を考へ、無心に來たか。性懲りもない椀 白者、其おのれが心から、嫁御があつても足踏み一つさす事ならぬ。聞きやこ の村へ來て居るげなが、互ひに知らねば、摺り合つても嫁姑の明き盲目、眼潰れと 人々に、云はれるが面目ない。エヽ不所存者め。



[唄]

目に角を、立て替つたる機嫌にぐんにやり、直ぐではゆかぬと、いが みの權太、思案し替へて。



權太

申し、母者人、今晩參つたは、無心ではござりませぬ。お暇乞ひに參りました。



つぢ

そりやマアなんで。



權太

私しは遠い所へ參ります程に、親仁樣もお前樣も、隨分おまめでござりませ。



[唄]

悄れかゝれば、母は驚ろき。



つぢ

遠い所は、そりやどこへ。どうした譯で、何に行くのぢや。



[唄]

根問ひは親の騙され小口、サアしてやつたと眼を瞬き



權太

親の物は子の物と、お前にこそ無心申せ、いつに人の物を箸片し、いがんだ事も 致しませぬに、不孝の罪か、昨夜わしは、大盗人にあひました。



つぢ

や……、なんと云やる。



權太

サア、その中には、代官所へ上げる年貢、銀三貫目といふもの盗み取られ、云ひ 譯もなく仕樣もなく、お仕置にあふよりはと、覺悟極めて居りまする。情ない目にあ ひました。



[唄]

かます袖をば顏に當て、しやくり上げても出ぬ涙、鼻が邪魔して眼の 縁へ、屆かぬ舌ぞ恨めしき、甘い中にも分けて母親、實と思ひ目を摺り。



つぢ

鬼神に横道なしと、年貢金を盗まれ、死なうと覺悟は、まだ出かした。災難にあ ふも親の罰、よう思ひ知れよ。



權太

アイ/\、思ひ知つては居りますけれど、どうで死なねばなりますまい。



つぢ

コリヤ、ヤイ。



權太

ハイ/\。



つぢ

常のおのれが性根ゆゑ、これも騙りか知らねども、しやうぶ分けにと思うた金、 親仁どのに隱して遣らう。これでほつとり、性根を直し居れ。



權太

アイ/\/\。



[唄]

そろ/\戸棚へ、子の蔭で、親も盗みをする。母の、甘い錠さへ明け 兼ねる。



[ト書]

ト二重舞臺へ上がり



つぢ

南無三、こりや錠が卸りてあるが、鍵がなうては。



權太

そりやア、雁首で、コチ/\が好うござります。



つぢ

オヽ、器用な子ぢやの。



[ト書]

ト腰より煙管を出す。



[唄]

仕馴れたる、おのが手業を教へる不孝、親は我が子が可愛さに、地獄 の種の三貫目、後をくろめて持つて出て。



[ト書]

ト權太、煙管にて錠を叩き明ける。おつぢ、戸棚より銀包みを三貫目通り出し



つぢ

アヽコレ、なんぞに包んでやりたいものぢや。



[ト書]

ト思ひ入れ。



[唄]

限りない程甘い親、うまい和郎ぢやといがみの權太、鮨の空き桶好い 入れ物、これへ/\と親子して、金をつけたる黄金鮨、蓋しめ栓しめ。



權太

アヽモシ、これがようござります。



[ト書]

ト鮨の空き桶を持ち來る。兩人してこれへ金を入れる。



つぢ

サアよいワ。これで目立たぬ。早う持つて行け。



[ト書]

ト桶を權太へ渡す。



[唄]

親子が工合の最中へ、苦い父親彌左衞門、これも疵持の足の裏、アタ フタとして門口を。



[ト書]

ト向うより彌左衞門出て來て、門口へ來て



彌左

いま戻つたぞよ。明けいよ/\。エヽ、明けぬい。



[ト書]

ト門口を叩く。兩人、アタフタ思ひ入れ。



權太

南無三、親仁だ。



[ト書]

トうろたへる。



[唄]

内にはてんだううろたへ廻り、その桶を爰へ/\と、空き桶と共に並 べて、親子はヒソ/\、奧と口とへ引分かれ、息を詰めてぞ入りにける。



[ト書]

ト右の桶を空き桶と一緒に併べ、暖簾口へ入る。



彌左

なぜ明けぬぞい。早う明けぬかい。



[唄]

頻りに叩けば奧より彌助、走り出て、戸を明ける、内入り惡く、あた りを見廻し。



[ト書]

ト奧より彌助出で來り、捨ぜりふにて門口を明ける。、彌左衞門、内へ入り



[彌左]

コリヤ、又どいつも寢て居るか。云ひ付けた鮨どもは仕込んであるか。



[唄]

鮨桶を、提げたり、明けたり、くわつたくわた。



[彌左]

こりや思ふほど仕事が出來ぬわい……マヽ、茶を一つ。



彌助

ハイ/\。



[ト書]

ト暖簾口へ入る。彌左衞門、思ひ入れあつて、腰より幕前の手拭に包みし、切り 首を取出し、鮨の空き桶へ隱し、蓋をして居る。奧より彌助、茶を汲み出て來り



[彌助]

ハイ、お茶おあがりなされませ。



[ト書]

ト差出す。彌左衞門、恟りして



彌左

オヽ……ムウ、茶か。



[ト書]

ト桶を片寄せ、茶碗を取つて、茶を呑み



[彌左]

さうして、女房どもやお里めは、何をして居るぞ。



彌助

阿母樣もお里さまも、奧に仕事をなされてゞござりまする……これへお呼び申し ませう。



[ト書]

ト奧へ行かうとするを、彌左衞門、留めて



彌左

アヽコレ。



[ト書]

トあたりを見廻し、門口を締め



[彌左]

先づ/\。



[ト書]

ト彌助を二重舞臺へ直す。



[唄]

内外見廻し、表を締め、上座へ直し、手をつかへ。



[ト書]

ト合ひ方。



彌左

君の親御、小松の内府重盛公の、御恩を受けたる某何卒御子維盛卿の、御行くへ をと思ふ折柄、熊野浦にてお出逢ひ申し、月代を勸め、この家へお供申したれども、 人目を憚り、下部の奉公、餘りと申せば勿體なさ。女房ばかりに仔細を語り、今宵祝 言と申すも、心は娘をお宮仕へ。彌助々々と賤しき我が名をお讓り申したも、彌々助 くるといふ文字の縁起。人は知らじと存ぜしに、今日鎌倉より、梶原平三景時來つて、 維盛卿を圍まひあると退引きさせぬ詮議、烏を鷺と云ひ拔けては歸れども、邪智深い 梶原、もしや吟味に參らるゝも知れずと、心企みは致しは置けど、油斷は怪我の基。 明日からでも、我が隱居所、上市村へお越しあられませう。



[唄]

申し上ぐれば維盛卿。



彌助

父重盛の厚恩を、受けたる者は幾萬人、數限りなきその中に、おとこがやうな者 あらうか。昔は如何なる者なるぞ。



[唄]

訊ね給へば。



彌左

私しめは平家盛りの折柄、唐土育王山へ祠堂金をお渡しなさるゝ時、音頭の瀬戸 にて、三千兩の金盗み取られ、役目の難儀、切腹にも及ばん所、有り難いは重盛さま、 日の本の金、唐土へ渡す我れこそは、日の本の盗賊と、御身の上を悔み給ひ、重ねて なんの崇りもなく、お暇を下され、親里へ立歸つて、由緒ある鮨商賣、今日を安樂に 暮らせども、忰權太郎めが盗み騙り、殺生の報いぞと、思ひ知つたる身の懺悔、お恥 かしうござります。



[唄]

語るに付けて維盛も、榮華の昔父の事、思ひ出され御膝に、落つる涙 も痛はしき、娘お里は今宵待つ、月の桂の殿もうけ、寢道具抱へ立出づれば、主はハ ツと泣く目を隱し。



[ト書]

ト暖簾口よりお里、絹布團、二つ枕持ち出し來る。兩人、思ひ入れ。



彌左

コレ、彌助、いま云ひ聞かした通り、上市村へ行く事を、必らずともに忘れまい ぞ。今宵はお里と、爰にゆるり。嚊とおれとは離れ座敷、遠いが花の香がなうて、ア、 氣樂にあらう、ハヽヽヽヽ。



[唄]

打笑ひ、奧へ行くのも娘は嬉しく。



[ト書]

ト彌左衞門、奧へ入る。彌助、お里殘り



さと

ほんにマア、粹な父さん。離れ座敷は隣り知らず、餅搗きませうと、オヽをかし ……ホヽヽヽヽ、此方は爰に天井拔け、寢て花せう。



[唄]

蒲團敷く、維盛卿はつく%\と、身の上、又は都の空、若葉の内侍や 若君の、事のみ思ひ出されて、心も澄まず氣も浮かず、打悄れ給ひしを、思はせぶり と、お里は立寄り。



[さと]

これはマア……エヽ、辛氣な。何案じてぢやぞいなア。二世も三世も固めの枕、 二つ並べて、こちや寢よう。モシ、お月さんも、もう寢たぞえ。



[唄]

先へころりと轉び寢は、戀の罠とぞ見えにけり、維盛枕に寄り添ひ給 ひ。



[ト書]

トお里、二枚折り屏風を立て、蒲團着て寢る。



彌助

これまでこそ假の情、夫婦となれば二世の縁、結ぶに辛き一つの云ひ譯、何を隱 さう某は、國に殘せし妻子あり、貞女兩夫に見えずの、掟は夫も同じ事、二世の固め は、免してたも。



[唄]

流石小松の嫡子とて、解けたやうでもどこやらに、親御の氣風殘りけ る、神ならず佛ならねば、それぞとも、知らぬ道をば行き迷ふ、若葉の内侍は若君を、 宿ある方に預け置き、手負ひの事も頼まんと、思ひ寄る身も縁の端、この家を見かけ、 戸を打ち叩き。



[ト書]

ト向うより若葉の内侍、六代の手を引き出で來り、門口へ來て



若葉

頼みませう……一夜の宿を頼むわいの。



[唄]

一夜の宿を乞ひ給へば、維盛は、好い退き汐と表の方、叩く扉に聲を 寄せ。



彌助

この内は鮨商賣、宿屋ではござらぬわいの。



[唄]

愛想の無いが愛想となり。



若葉

イヤ申し、幼ないを連れた旅の女、是非に一夜を頼むわいの。



[唄]

是非に一夜とのたまふにぞ斷わり云うて歸さんと、戸を押し開き月影 に、見れば内侍と六代君、ハツと戸をさし、内の樣子、娘の手前も訝かしく、そろ/ \立寄り見給へば、早くも結ぶ夢の體、表に内侍は不思議の思ひ。



若葉

今のはどうやら我が夫に、似たと思へど、形かたち、頭も青き下男。よもやマア。



[唄]

よもやと思ひ給ふうち、戸を押し開いて維盛卿。



彌助

若葉の内侍か、六代か。



若葉

さては我が夫。



六代

父樣かいなう。



[唄]

なう懷かしやと取縋り、詞は無うて三人が、泣くより外の事ぞなき。



彌助

先づ/\内へ。



[唄]

先づ/\内へと、密かに伴ひ。



[彌助]

今宵は取分け、都の事を思ひ暮らして居たりしが、親子ともに息災で、不思議の 對面、さりながら、某この家に居る事を、誰が知らせしぞ。殊に又、はる%\の旅の 空供を連れぬは、何とも以て。



[唄]

訊ね給へば若葉の君。



若葉

都でお別れ申してより、須磨や八島の軍を案じ、一門殘らず討死と、聞く悲しさ も嵯峨の奧、泣いてばつかり暮らせしに、高野とやらんに在すると、云ふ者があるゆ ゑに、小金吾召連れお行くてを、志す道、追手に出逢ひ。



[唄]

可哀や金吾は深手の別れ、頼みの力も無い中に。



[若葉]

巡り逢うたは嬉しいが、三位中將維盛さまが、袖の無いお羽織に、このお頭は何 事ぢやいなう。



[唄]

むせび絶入り給ふにぞ、面目なさに維盛も、額に手を當て袖を當て、 伏し沈みてぞ在します、泪の内にも若葉の君、臥したる娘に目を付け給ひ。



若葉

若い女中の寢入り端、殊に枕も二つあり、定めてお伽の人ならん。斯くゆるがし きお暮らしなら、都の事も思し召し、風の便りもあるべきに、打捨て給ふは、お胴慾 でござりまするわいなう。



彌助

それも心にかゝりしかど、文の落ち散る恐れあり、分けてこの家の彌左衞門、父 重盛への恩報じと、我れを助けてこれまでに、重々厚き夫婦が情、何がな一禮返禮と、 思ふ折柄、娘の戀路、つれなく云はゞ過ちあらん、却つて恩が仇なりと、假の契りは 結べども、女は嫉妬に大事を漏らすと、彌左衞門にも口留めして、我が身の上を明か さず、仇な枕も、親への義理。



[唄]

義理にこれまで契りしと、語り給へば臥したる娘、堪え兼ねしか聲上 げて、ワツとばかりに泣き出だす、こは何ゆゑと驚ろく内侍、若君引連れ、逃げ退か んとし給へば。



[ト書]

トお里、起き上がり



さと

ア、モシ、マア、お待ちなされて下さりませ。



[唄]

涙と共に、お里は駈け寄り。



[さと]

先づ/\これへ。



[唄]

内侍若君上座へ直し。



[さと]

私しは里と申して、この家の娘。いたづら者、憎い奴と、思し召されん申し譯、 過ぎつる春の頃、色珍らしい草中へ、繪にあるやうな殿御のお出で。



[唄]

維盛さまとは露知らず、女の淺い心から。



[さと]

可愛らしい、愛しらしいと



[唄]

思ひ染めたが戀の元。



[さと]

父も聞えず母さんも、夢にも知らして下さんしたら、例へ焦れて死ぬればとて。



[唄]

雲井に近き御方へ、鮨屋の娘か惚れらりよか。



[さと]

一生連れ添ふ殿御ぢやと、思ひ込んで居るものを、二世の固めは、親への義理に 誓つたとは、情ないお情に。



[唄]

あづかりましたと だうと伏し、身を慄はして 泣きければ、維盛卿は氣の毒と、内侍も道理の詫び涙、乾く間もなき折からに、村の 役人駈け來り、戸を叩いて。



[ト書]

ト向うより、宿役人出で來り、舞臺へ來て、門口を叩き



役人

コレ/\、いま爰へ鎌倉から、梶原平三さまがお出でなさる。内を掃除して置か つしやれ。必らず麁相のないやうに、さつしやれや。



[唄]

云ひ捨てゝこそ立歸る。人々ハツと泣く目も晴れ、如何はせんと俄の 仰天、お里はさそくに心付き。



[ト書]

ト宿役人、引返して入る。



さと

先づ/\親の隱居屋敷、上市村へ、早う/\。



[唄]

と氣をあせる。



彌助

實にその事は彌左衞門、我れにも教へ置きしかど、とても開かぬ平家の運命、檢 使を引受け潔う、腹掻き切らん、さうぢや。



[ト書]

ト腹切らうとする。内侍、留めて



若葉

コレ、お待ち遊ばせ。この若のいたいけ盛りを、思し召し、一先づ爰を。



[唄]

と無理矢理に、引立て給へは維盛も、子に引 かさるゝ後ろ髮、是非なくその場を落ち給ふ、御運の程ぞ危ふけれ。



[ト書]

ト彌助、内侍、六代の手を引き三人とも向うへ入る。



[唄]

樣子を聞いたかいがみの權太、勝手口より跳り出で。



[ト書]

ト暖簾口より、權太、ツカ/\と出で來たり



權太

お觸れのあつた、内侍、六代、維盛彌助め、ふん縛つてくれべいか。



[唄]

尻引ツからげ駈け出すを。



さと

コレ、待つて下さんせ。兄さん、これはわたしが一生の願ひ。どうぞ見遁がして 下さんせいなア。



[ト書]

ト縋る。



權太

べら坊め、大金になる仕事だワ。エヽ、退きやアがれ。



[唄]

縋るを蹴飛ばし毆り飛ばし、最前置きし金の鮨桶、これ忘れてはと引 ツ提げて、後を慕うて追うて行く。



[ト書]

ト權太、お里を蹴飛ばし、以前の鮨桶を引ツ抱へ、門口へ出て、一散に向うへ入 る。



さと

申し、父さん……母さんイなう。



[唄]

呼ぶ聲に、彌左衞門、母も駈出で。



[ト書]

ト奧より彌左衞門、おつぢ、出で來り



兩人

ヤア、娘、何事ぢやぞいの。



さと

申し、先刻都から、維盛さまの御臺若君、尋ねさまよひお出であり、積る話しの その中へ、詮議に來ると知らせを聞き、三人連れて上市へ、落しまするを情ない、兄 さんが聞いて居て、討取るか生捕つて褒美にすると、たつた今、追ひ駈けてござんし たわいなう。



[唄]

云ふより恟り彌左衞門。



彌左

そりや一大事ぢや。ソレ、脇差寄越せ。



[ト書]

トお里、戸棚より脇差を持つて來て、彌左衞門に渡す



[唄]

嗜みの朱鞘の脇差、腰にぼツ込み、駈け出す向うへ。



[ト書]

ト彌左衞門、一腰を差し、ツカ/\と花道へかゝる。



[唄]

矢筈の提灯、梶原平三景時、家來數多に十手持たせ、道を塞いで。



[ト書]

ト時の太鼓になり、向うより景時、陣羽織、手甲、臑當うしろ鉢卷、凛々しき形 にて、重ね草鞋にて、采を持ち出で來る。軍兵人、袖なし羽織 を着たる形にて矢筈の紋付き、高張り提灯を持ち、後より摺込み四天の捕り手四人付 き、出で來り、花道にて、彌左衞門に行き合ひ、キツとなつて



景時

ヤア、老ぼれめ、何所へ行く。逃げるとて逃がさうか。



[唄]

追取り卷かれて、ハツと吐胸、先も氣遣ひ、爰も遁がれず、七轉八倒、 心は早鐘、時に時つく如くなり。



[景時]

ヤア、比奴横道者。おのれ今日、維盛が事詮議すれば、存ぜぬ知らぬと云ひ拔け る。其まゝにして歸せしは、思ひ寄らず踏み込まう爲、この家に維盛隱まひある事、 所の者より地頭へ訴へ、早速鎌倉へ早打ち、取るものも、取り敢へず來れども、油斷 の體は、おのれを取逃がすまい爲。サア、首討つて渡すか。但し違背に及ぶか。返答 ぶて。ドヽどうだ。



[唄]

責め付けられ、叶はぬ所と胸を据ゑ。



彌左

成る程、一旦は隱まひないとは申したれども、餘り御詮議が強いゆゑ、隱しても 隱されず、はや先達て首討ちましてござります。御覽に入れるでござりませう。何を 申すも爰は門中。マヽヽ、これへお通り下さりませ。



[ト書]

ト皆々舞臺へ來り、内へ入る。



[唄]

伴ひ入れば母娘、どうなる事と氣遣ふうち、鮨桶引ツ提げ、彌左衞門、 靜々出でゝ向うに直し。



[ト書]

ト梶原、上の方へ通る。彌左衞門、桶を取出し、梶原の前へ直し



彌左

三位維盛の首、お受取り下されい。



[唄]

蓋を取らんとする所へ、女房駈け寄り、ちやつと押へ。



つち

アヽコレ、親仁どの、この桶の中には、わしがちやつと大事の物を入れて置いた。 こなさん、明けてどうさつしやる。



彌左

オヽ、われは知るまい。この桶には、最前維盛卿のお首を討つて、入れて置いた。



つぢ

イヤ/\、この桶には、こなたに見せられぬ物があるわいの。



彌左

エヽ、おのれが、何にも知らぬからぢや。



つぢ

イヤ、こなたが知らぬゆゑぢやわいの。



[ト書]

ト兩人爭ふ。



[唄]

爭ひ果てねば梶原平三。



景時

ヤイ/\、さては此奴等、云ひ合せ、巧んだな、拵らへたな。 ソレ、者ども、括れ。



家來

ハツ……動くな。



[ト書]

ト取卷く。



[唄]

縛れ括れと下知の下、捕つた/\と取卷く所に。



權太

維盛夫婦、餓鬼めまで、いがみの權太が、生捕りました。



[唄]

討取つたりと呼はる聲、ハツとばかりに彌左衞門、女房娘も氣は狂亂、 いがみの權太は嚴めしく、若君内侍を猿縛り、宙に引立て目通りに、どつかと引据ゑ。



[ト書]

ト權太、鮨桶を抱へ、内侍六代を縛つて出てくる。



[權太]

親仁の賣僧が三位維盛を、熊野浦より連れ歸り、道にて頭を剃りこぼち、青二才 にして彌助と名を替へ、この節は嫌らしい聟詮索。生捕つて面恥と存じたに、思ひの 外手強い奴、村の者の手を借りて、やう/\と討取つて、首に致して持參仕りました。 御實檢下さりませう。



[ト書]

ト桶を景時の前へ差出す。景時、首を見る事あり



景時

成る程、月代を剃りこぼち、彌助と云ふとは存じながら、先達て云はぬは、彌左 衞門めに、思ひ迷ひをさゝう爲。聞き及んだいがみの權太、惡者と聞きしが、お上へ 對しては忠義の者。出かした/\……内侍六代生捕つたな。ハテ、好い器量。夢野の 鹿で思はずも、女鹿子鹿の手に入るは、天晴れの働らき。褒美には、親彌左衞門めが 命赦してくれう。



權太

アヽモシ、親の命位を赦してもらはうと思つて、この働らきは致しませぬ。



景時